#6 やっぱり君のほうがいい!

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エミリーを捨てた元婚約者フィリップは、そのせいで祖父を怒らせ、送金を止められてしまう。たちまち新しい恋人に逃げられて、フィリップはエミリーとよりを戻そうとする。


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 イタリア、ローマ。

 フィリップ・バロウズは柔らかなブロンドの髪をかきあげ、鼻歌交じりに受話器を取りあげた。こうして過ごしてみると、冬のヨーロッパも悪くない。寒い時期にイタリアへ追い払われた時には気が滅入ったものだが、今は心の中に春の花が咲き乱れているも同然だ。いや、体だって、新しい恋人と温め合えばいい。そう、唯一の問題は懐が寂しくなってきたことだけだった。

 一流ホテルのキングサイズのベッドで、フィリップは新しい恋人に腕枕をしたまま、アメリカへ国際電話をかけた。彼女がフィリップの肩に頬をすり寄せ、脚を絡ませてきた。

 実家の電話に出たのは、当然、執事だった。祖父への取り次ぎを頼む。電話をかわった祖父は機嫌がよさそうだった。幸先がいい。当たり障りのない話をしたあと、フィリップはとうとう切り出した。

「じつはさ、エミリーと別れたんだ」

 一瞬の間があいた。

「どういうことだ?」祖父の声が険しくなった。

 しかし、ここで怖じ気づくわけにはいかない。

「イタリアで運命の女性と出会ったんだよ。彼女と結婚する。ただ、エミリーに贈った婚約指輪やら何やらで入り用だったから、その、いくらかまた口座に入れておいてもらえたら……」制限なしのクレジットカードを持っているとはいえ、その引き落とし口座がからっぽではさすがにまずい。

「この……馬鹿者が!」

 思わず耳から受話器を離すほどの大声が響いた。フィリップにもたれていた彼女が、何ごとかと体を起こす。祖父の怒声は続いていた。

「エミリーのようにきちんとした娘と結婚するというから、安心しておったのに。おまえにはもう金は渡さん!」

 そこで電話が切れた。祖父が受話器を叩きつけるようすが目に浮かびそうだ。祖父は一族の重鎮だ。父も母も祖父には逆らえない。こういう時、いつも取りなしてくれた優しい祖母は、三年前に他界している。そういえば、祖父が「きちんとした娘と結婚しろ」と口うるさく言い始めたのは、祖母が亡くなったあとのことだった。

 フィリップはため息をついた。祖父の怒りが静まるまで待つしかないだろう。エミリーが祖父のお気に入りなのは知っていたが、まさかこれほどとは。フィリップとしても、エミリーがいやだというわけではない。はじめて紹介された時には、あの美しい姿に目をみはった。ただ、しっかり者と言われるエミリーに、多少の息苦しさを感じていたのは確かだ。それでも、熱心に結婚を勧める祖父に逆らうことはできなかった。イタリアで、彼女に出会うまでは。

 フィリップは、心配そうにこちらをのぞきこんでいる彼女を抱きしめた。黒髪で、小麦色の肌をした僕の女神。正直に言えば、運命の女性だと思った相手は彼女がはじめてではないが、今度こそ本物だろう。体の相性がそれを証明している。

「困ったことになったよ」フィリップは彼女のひたいにキスをした。

「どうしたの?」

「僕はもはや貧乏人だ」フィリップはおどけたように言った。もちろん、生活に困るわけではない。しばらく豪遊は控えなければならないという意味だ。

「ええっ?」彼女は目を丸くしている。

「祖父を怒らせちゃってね。もう金はもらえない」

「そう……」彼女はぱっと起きあがり、ベッドから出て、手早く服を着始めた。

「どうしたんだい?」フィリップは首をかしげた。

「帰るのよ」

「でも、今日はこれからオペラに――」

「――行く前にドレスと宝石を買ってくれる約束だったわよね。私には黒のドレスとルビーが似合うなんて、あなたがさんざん言うから楽しみにしてたけど、お金がないんじゃ無理でしょ?」

 フィリップはぽかんとしていた。今日のドレスと宝石ならもちろん買えるが――彼女はバロウズ家がどれほどの金持ちなのかわかっていないらしい。

「それじゃ、今まで楽しかったわ。お互いに楽しんだんだから、恨みっこなしよ。チャオ!」

 彼女はそう言って、さっさとスイートルームから出ていった。大きすぎるほど大きなベッドに、フィリップはぽつんと取り残された。

 金目当て、か。金目当ての女たちには慣れていたが、こうも変わり身が早いと、さすがにこたえた。ようやく、きちんとした女性と結婚しろという祖父の言葉が理解できたような気がする。冷静に振り返れば、黒髪の彼女に引かれたのは、エミリーと正反対のタイプだったからなのかもしれない。あの息苦しさから少し開放されたかっただけだ。

「そうだ、やっぱり僕にはエミリーしかいない」フィリップはつぶやき、再び受話器に手を伸ばした。気持ちを切り替えてみると、それがとてもいい考えに思えた。やっぱりエミリーと結婚することにしたと言えば、祖父の機嫌もなおるだろう。

 さっそくエミリーに電話をかけたが、家にはいないらしく、携帯にかけても、応答するのは事務的な留守電の声ばかりだ。

 居ても立ってもいられず、フィリップはフロントを呼び出した。

「プライベートジェットの手配を頼むよ。うん、できるだけ急いでほしい」

 懐が寂しくなってきたとはいえ、一族の所有するプライベートジェットなら自由に使える。祖父に知られれば、また怒りを買うかもしれないが、フィリップはどうも一般の旅客機に慣れなかった。

 長期出張を勝手に終わらせて帰るのも少々まずいかもしれない。しかし、どうせはじめから休暇のようなものだった。フィリップは一族の会社に籍を置いている。そこでつまらないミスをしてしまい、ここローマに追いやられた。そろそろほとぼりも冷めているだろう。大事なのは、エミリーを取り戻すこと。今何をしようとも、エミリーと復縁すれば、祖父の怒りは解けるはずだ。

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