#4 人間オークションに〝出品〟されるのは……

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仕事人間のジェームズは、急いで婚約者を見つけなければならないという状況に陥った。友人のアイデアで〝期間限定の婚約者〟を人間オークションで競り落とすことに決めるが……。


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 なぜこんなことに? ジェームズ・ウィルキンスは不機嫌な表情を隠そうともせず、有名クラブ〈ニックス〉のステージ袖に立っていた。オフィスに残してきた仕事のことも気になった。自ら興した会社のCEOであるジェームズは、現在、多忙を極めている。のっぴきならない事情がなければ、チャリティ・オークションなどに出席するつもりはなかった。ましてや……。何もかも、友人のデイビッドのせいだ。いや、そもそもは大伯母のバーバラのせいと言ってもいい。大伯母のことは好きだが、ちゃめっ気がありすぎるほどの女性で、そこに困らされる場合も多い――


 ――ことの起こりは先週。たまには顔を出すようにと大伯母に命じられ、久しぶりに邸宅を訪ねた時のことだ。従兄弟のクロードも呼ばれていたのには驚いた。正直に言って、この従兄弟とは仲がよくない。

 いつものように、大伯母は豊かな銀髪をきれいにまとめ、洒落た服を着ていた。ひとしきり、当たり障りのない会話を続けたあと、大伯母はこう言い出した。

「ジェームズも、クロードも、結婚する気はないの?」

 またそれか。ジェームズは内心でため息をついた。三十歳を越えてから、周囲の人間、特に親や親戚たちは、結婚、結婚と口うるさく言うようになった。この二年ですっかり耳にたこができている。

「いつかはしますとも」ジェームズは聞き流すつもりで答えた。クロードも軽く眉をひそめている。親戚連中から同じようにせっつかれているのだろう。

「いつかでは遅いのよ。あたくしのように、一生独身で通すことになりますよ」大伯母は大きなひとりがけソファにゆったりと身を沈めた。

「伯母様はいくつになっても青春を謳歌してらっしゃるじゃないですか」ジェームズはにこやかに言った。

「おだてても無駄よ」大伯母は顔をしかめて言う。そして、ふいに何か思いついたように目をきらめかせた。

「ふたりとも早く結婚相手を見つけなさい。あなたたちふたりのうち、新年のパーティに婚約者を連れてきたほうに、あたくしのコレクションをすべて譲ってもいいかもしれないわね」

 ジェームズはぎょっとした。「伯母さま、すべてというとあのビーナス像は――」

「ええ、もちろんあれも一緒に」

 大伯母のバーバラ・ラドリーはアンティーク蒐集家だ。見事な作品を山ほど持っているが、中でもそのビーナス像は、子供の頃のジェームズをとりこにした。以来ずっと、いつかは譲ってほしいと願い続けてきた。大伯母もそう約束してくれたのに、今になってとんでもない条件を出すとは。

 ジェームズは青くなった。大伯母は言い出したらきかないところがある。

 それを横目に、クロードがしたり顔でうなずいた。「じつは結婚を考えている女性がいましてね。僕は、新年のパーティで婚約者をご紹介できますよ」

 嘘だ――ジェームズはそう直感した。クロードは同い年で、昔からジェームズをライバル視していた。ただジェームズに勝ちたいという理由で、ビーナス像を手に入れようとしているのだろう。しかも、クロードは美術品になんの関心もない。どれほどの傑作だろうと、金に換えて投資にまわしてしまうような男だ。あのビーナス像も、譲り受けたとたんに売り払ってしまうのは目に見えていた。それだけは阻止しなければならない。

 あのビーナス像はミロのものほど有名ではないが、知る人ぞ知る芸術作品だ。大伯母がどういったいきさつで所有しているのか不思議だが、垂涎の的であることは確かだろう。素朴で、だからこそ力があり、ジェームズがアートに興味を持つきっかけともなった。

 そう、あのビーナス像はジェームズの原点だ。名門の生まれでありながら、一族の経営する企業に身を置かず、みずから会社を興したのも、あのビーナス像があってこそ。自分には芸術の才能はなかったが、そのかわり、才能ある者の手助けをしたいと思うようになった。自分の援助で、のちの世に影響を与えるような美が生まれれば、それほど幸せなことはない。

 今、ジェームズは家具の製造、販売で成功を収めている。才能ある家具作家を発掘して、一般家庭でも使えるというコンセプトでデザインを依頼し、自社で製造して売り出す――これが当たった。すでに全米に店舗があり、アメリカでインテリアショップ〈アクア〉の名前を知らぬ者はいないと言ってもいい。現在は海外で積極的に展開中だ。

 ジェームズは成功の出発点であるあのビーナス像を、どうしても手に入れたかった。そのためなら、大伯母の望みどおり、結婚だろうとなんだろうとしようじゃないか。

「わかりました。僕も真剣に結婚を考えてみることにします」ジェームズは大伯母にそう言ったが、実際問題、結婚してもいいと思える相手はいなかった。

 その翌日、ジェームズは大伯母から難題を突きつけられたことを友人のデイビッドに相談した。

「任せとけ」デイビッドは力強く言った。「僕に考えがある」

「考え?」ジェームズは尋ねた。

「うん、来週、僕が支援している団体がチャリティ・オークションを開くことになっているんだ」

「それで?」

「目玉は人間オークションだ。そこで〝期間限定の婚約者〟を競り落とせばいい」

 人間オークションというものがあるのはジェームズも知っていた。例えば、どこぞの有名人や、人が振り返るほどの美女と〝一日デートできる権利〟がオークションにかけられ、参加者がそれを競り落とすという寸法だ。とはいえ、デート相手ならまだしも、婚約者?

「そう都合よく〝婚約者〟が出品されるのか?」ジェームズは尋ねた。

「そこはまあ、支援者の権限でなんとかする。ここはニューヨークだ。ありとあらゆる人間がひしめいている。君と同じく、何かの事情で、しばらくのあいだだけ〝婚約者〟が必要な女性のひとりやふたりいるだろ。ほら、親の進める縁談をぶち壊したいとか。そういう女性を探して、オークションに自分を〝出品〟するよう説得するさ。あとは、君が競り落とせばいいだけだ」デイビッドはこともなげに言う。

「そんな女性が見つかるなら、わざわざオークションに出てもらわなくても、直接取り引きしたらいいだろう?」

「それで、その女性が君に本気になったら? 面倒が起こるぞ。オークションという形をとるのは、期間限定だと念押しするためだよ。会場に集まった人たちがその証人だ」

 デイビッドの言うとおりだった。大伯母から新年のパーティに婚約者を連れてこいと言われた時、ジェームズも、誰かにその役を頼むことは考えた。しかし、相手が本気で結婚を狙うようになったら――どんな策をめぐらしてくることか。過去には浮き名を流してきたジェームズだったが、最近は財産目当てに近寄ってくる女性の群れにすっかりまいっていた。

 過去の浮き名にしても、流すつもりで流したのではない。ごくふつうに女性と付き合っても、名門の生まれがたたって、タブロイド紙におもしろおかしく書き立てられてしまう。事実、遊び歩いた時期もあったが、結局は仕事のほうが面白かった。逆に、身に覚えのないガセネタを載せられることもしょっちゅうだ。遊び人風の外見にも問題があるのかもしれない。この容姿には昔から悩まされてきた。

「僕が〝婚約者〟を競り落としたら、またタブロイド紙にすっぱ抜かれて、大伯母に知られてしまうんじゃないか?」

「君の大伯母さんは、タブロイド紙なんか読むのかい?」

 まず読まないだろう。ちゃめっ気があるとはいえ、品のいい女性だ。

「まあ、読んだにしても大伯母も屋敷の者たちも、いつもの根も葉もない噂だと思うだろうな」しぶしぶ認めた。

「それに、今度のチャリティ・オークションはクラブで開かれる。それほど大きなイベントじゃないし、集まるのは若い連中だから、たとえ噂になっても、大伯母さんの耳には入らないさ」デイビッドはたたみかけるように言った。

 デイビットは学生時代からの親友で、明るく、人好きのする性格だ。羽目を外しがちなのが玉にきずだが、だからこそ、ジェームズと気が合うのかもしれない。ジェームズは何ごとも自分のやり方で通すのに慣れているが、この友人はたまに思いも寄らないことをしでかすため、それが通用しなかった。その発想力には一目置いているものの、デイビッドのせいでとんでもない事態に巻きこまれることも少なくなかった。

 一抹の不安を抱えながらも、結局、ジェームズはデイビッドの提案を受け入れることにした。国外に店舗を増やそうとしている今、自分で手を打ちたくとも、その時間がなかった。

「わかった、その手でいこう」

「よしきた。とにかく、オークション開始の時間に間に合うように会場に来てくれよ」

 デイビッドに言われたとおり、ジェームズはオークション開始前に会場に来た。しかし、やはり仕事に追われ、時間はぎりぎりになってしまった。

 そこで知らされたのは――ジェームズ自身がオークションに出品されるという事実だった。

「デイビッド! 話が違うじゃないか!」

 ジェームズは声を張りあげた。デイビッドがにっと笑った時、はじめからそのつもりだったのだとわかった。

 ジェームズが時間ぎりぎりに来ることも織りこみずみだろう。出品されるのが自分だと知っていたら、ジェームズがこんな話に乗るはずはない――デイビッドにまんまとはめられたのだ。この土壇場で〝本日の目玉〟は変更できない。ジェームズとしても、チャリティ・イベントをだいなしにはしたくなかった。そうして頭を抱えているうちにオークションが始まり、ジェームズは晴れて〝出品〟されることになった。


「本日の目玉! ミスター・ジェームズ・ウィルキンスとの婚約! 期間は一カ月です!」

 司会者がアナウンスしたとたん、オークション会場にはキャーッという女性たちの黄色い声が沸きあがった。エミリーがぎょっとして会場を見渡した時、あのモデルの姿が目に入った。司会者の告げた名前に驚いたらしく、目を丸くしてステージを見つめている。

 エミリーはモデルの視線を追って、ステージを見た。ステージにあがったのは、確かにものすごくハンサムな男性だ。黒髪、茶褐色の目、すらりとした長身。女性たちは色めき立っているが、司会者の次のひと声で、歓声は悲鳴に変わった。

「落札額のお支払いは現金のみ! 即金でお願いします!」

 ゴールドカードは持っていても、現金など持ち歩かないのがセレブだ。しかし、今日のエミリーは、ゴールドカードこそ持っていなくても、現金なら束で抱えている。

 もちろん、オークションに参加する気はなかった。いくらハンサムとはいえ、見ず知らずの男性と一カ月間だけ婚約する権利を競り落とす? 婚約者気分を味わうために? 馬鹿馬鹿しい。でも、エミリーはシャンパンを飲みすぎていた。頭の中も、足元もゆらめいている。そういえば、昨日はろくに寝ていない。無意識のうちにぱっと手をあげ、本能のように競りに加わっていた。あとはただの勢いだった。

 いつの間にか競りあがった額は十万ドル。いくらセレブでも、そんな大金を持ち歩いている女性などいない。落札者としてステージに押しあげげられたエミリーは、バッグに手を入れて札束をつかみ、高々と掲げた。会場中がどよめく中、朗らかなプレゼンターの声が聞こえた。

「それでは、誓いのキスを!」

 その言葉にうながされて、あのとてつもなくハンサムな男性が進み出た。どことなく不機嫌そうな表情だ。顔が近づいてくる。

 キス? キスって何?

 頭の中と足元のゆらめきがひどくて、エミリーはもう何も考えられなくなっていた。

 温かな唇がエミリーの唇にそっとふれる。

「これで僕は君のものだ」

 深みのある声でそうささやかれた気がしたけれども、次の瞬間、エミリーは気を失っていた。

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