第115話 画餅現実に
七隻の「大和」型戦艦にはそれぞれ六機の零式観測機が搭載されていた。
ベテランが希少種となっている戦闘機隊やあるいは攻撃機隊と違い、観測機のほうはいまだにその多くを熟練で固めることが出来ていた。
鉄砲屋にとって、砲撃戦の支援に携わる観測機乗りは同じ飛行機乗りでも戦闘機やあるいは攻撃機のそれよりも遥かに大切な、つまりは搭乗員の中でも最優先で保護されるべき対象だったからだ。
だから、この戦いが始まるまで帝国海軍の観測機乗りで特攻を命じられた者は一人として存在していない。
そして、今次作戦においては、これらのうち三機は観測任務にあたり残る三機は米戦艦が主砲射撃を開始するまでは後方空域で待機するよう命じられていた。
観測任務を外れた零式観測機はそのいずれもが操縦員だけが搭乗し、後席には偵察員の代わりに爆薬が置かれている。
二一機の零式観測機は米戦艦が砲撃を開始すると同時に所属艦ごとに一丸となり、海面上を這うようにしてそれら米戦艦に肉薄する。
砲撃戦に移行してからの突撃としたのは敵の機銃や機関砲の脅威から少しでも逃れるためだ。
戦艦の主砲発射時の爆風は凄まじい。
艦上における立ち位置が悪ければ、人命さえも容易に奪う。
だから、機銃員たちは主砲発射の際は艦内に避難するかあるいは艦上の遮蔽物の陰に隠れるなどしてその爆風から身を守る。
零式観測機のような低速な機体は、ふつうであれば高角砲や機関砲、それに機銃を多数搭載する米戦艦に近づくことは自殺行為に近い。
しかし、その脅威が高角砲だけで済むのであれば肉薄することも不可能ではない。
一方、米側には油断があった。
すべての日本空母を撃沈した以上、この戦域に重大な経空脅威は存在しない。
数機の双発機が第三・一任務群にしつこくまとわりついていたが、しかしそれら機影もすでに視界からもレーダーからも消えている。
日本本土から発進する機体についても、今のところその機影は認められていない。
実際、レーダーに映っているのは彼我の観測機ばかりであり、爆弾や魚雷を搭載していないこれら機体は戦艦にとっては脅威とは成り得ない。
そういった思い込みが零式観測機に対する対応を遅らせてしまう。
それでもいち早く異変を察知した、つまりは目端の利く砲員が操る一二・七センチ連装高角砲が火を噴く。
近接信管を装備した高角砲弾は海面ぎりぎりを飛ぶ零式観測機の周囲で爆発し次々にそれらを撃破していく。
だが、砲撃に確保できたリアクションタイムはあまりにも短く、阻止できたのは三分の一程度でしかない。
残る機体は次々に目標とした戦艦に突っ込んでいく。
零式観測機は速度性能こそ低いものの、一方で旋回性能が高く操縦性は良好だ。
しかも、それら機体を操っているのはその誰もが零式観測機を扱い慣れた熟練。
いずれの機体も狙い過たず艦橋、しかもその多くが上部に激突し、抱えていた爆薬や燃料とともに爆散する。
零式観測機の自爆攻撃を食らったのは一番艦から七番艦まで、つまりは五隻の「モンタナ」級戦艦と二隻の「アイオワ」級戦艦だ。
これら七隻は一隻の例外もなく艦橋上部にある光学測距儀やレーダーアンテナといった射撃管制システムの枢要部を吹きとばされる。
いずれの艦も速やかに予備の射撃指揮装置に切り替えられるが戦力ダウンは否めない。
米戦艦が零式観測機の特攻によって混乱に陥る最中、そのどさくさに紛れるようにして距離二〇〇〇〇メートルにまで近づいた艦があった。
重雷装艦に改造された「五十鈴」と「北上」の旧式軽巡コンビだった。
彼女らは米戦艦群の未来位置に向けて九三式六一センチ酸素魚雷をぶっ放す。
その数八〇本。
航跡をほとんど残さない青白い殺人者が米戦艦群の未来位置に向かって海面下を突き進む。
戦闘が始まるまでは誰もが画餅あるいは捕らぬ狸の皮算用と考えていた一連の作戦は、だがしかし第三艦隊や神雷部隊、それに零式観測機搭乗員の献身や犠牲によって実行可能となった。
「目標の変更を指示する。『紀伊』『尾張』目標敵戦艦八番艦、『駿河』『近江』九番艦。『大和』と『武蔵』、それに『信濃』については目標の変更は無しだ。そのまま砲撃を続行せよ。なお、対応艦の反撃力を奪った艦はただちに敵四番艦から敵七番艦までのいずれかに目標を変更せよ」
冷静な口調ながらも少しばかりの興奮と苦衷が入り混じった声音で伊藤長官が命令を下す。
いまだ無傷、つまりは完全な戦力を維持している敵の八番艦と九番艦の「サウスダコタ」級戦艦はそれぞれ「紀伊」と「尾張」、それに「駿河」と「近江」がツープラトンでこれを叩き、全艦が手負いとなった「モンタナ」級の中でも特に手練れと思われる一番艦から三番艦まではこれまで通り「大和」と「武蔵」、それに「信濃」が相手どる。
そして、目標を撃破した艦は残るそれぞれ二隻の「モンタナ」級かあるいは「アイオワ」級にその砲門を向ける。
彼我の距離は三〇〇〇〇メートルを切り大遠距離砲戦から遠距離砲戦に移行しつつある。
互いに命中弾を得るには至っていないが、それでも天秤は明らかに日本側に傾きつつあった。
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