第97話 老嬢突撃

 距離二五〇〇〇メートルを切ったあたりでさすがに第二艦隊のことを無視できなくなったのか、四隻の「サウスダコタ」級戦艦が「長門」や「陸奥」、それに「金剛」や「榛名」に対してその砲門を向ける。

 これを見た第二艦隊司令長官の宇垣中将は、敵艦が発砲を開始した時点で変針するよう命じる。

 米新型戦艦の主砲の発射速度あるいは投射能力といったものは帝国海軍の戦艦に比べて明らかにその上をいく。

 至近弾を食らったりあるいは夾叉されたりしてから変針していては回避が間に合わないかもしれない。

 早めの変針命令はそういった可能性を考慮したものだ。

 なにより、四〇〇〇〇トン近い排水量を持つ「長門」の慣性はあまりにも大きすぎるから、つまりは舵が利き始めるまでにどうしても相応の時間を要してしまう。

 それに、観測機が使えないのにもかかわらず米戦艦の射撃はかなり正確だったから、やはり早めに動いておくほうが無難だった。


 「サウスダコタ」級戦艦は、二五〇〇〇メートル近く離れているのにもかかわらず精度が、特に距離のそれが非常に高かった。

 かなり高性能な射撃レーダーを搭載しているのだろう。

 「長門」や「陸奥」、それに「金剛」や「榛名」のほど近い海面に巨大な水柱が次々にわき立つ。

 それらをかいくぐるようにして四隻の旧式戦艦は「サウスダコタ」級への距離を詰めていく。

 「長門」や「陸奥」の四一センチ砲弾はともかく、「金剛」や「榛名」の三六センチ砲弾であれば甘く見積もっても二〇〇〇〇メートル、確実を期すのであれば一五〇〇〇メートル以内にまで近づきたい。

 だが、それが極めて困難だということも宇垣長官は理解していた。

 こちらが肉薄すれば、相手の方は適切な間合いを取るべく距離を置こうとするはずだ。

 旧式の米戦艦のそれとは次元の違う機動力を持つ「サウスダコタ」級であればそれは十分に可能だ。

 そうなれば敵が脅威を覚える、つまりは敵がこちらを無視出来ないぎりぎりの遠い間合いで撃ち合いながらその一方で変針を繰り返し、敵に無駄弾と時間を使わせるしかない。

 積極的に撃ちかけつつも小まめな回避運動を繰り返すがゆえに「長門」や「陸奥」、それに「金剛」や「榛名」の主砲弾は「サウスダコタ」級を捉えるには至っていない。

 だが、それでも双方が撃ち合っていれば、命中弾はともかく至近弾くらいは発生する。


 そして、それは日本側に幸運をもたらし、逆に米側に不運をもたらした。

 「長門」と「陸奥」、それに「金剛」や「榛名」が放つ主砲弾は一式徹甲弾で、これは従来の九一式徹甲弾と同様、水中弾効果を強く意識した砲弾だった。

 水中弾効果とは目標艦の手前に落下した砲弾が水中をそのまま直進し相手の水線下に命中することを言うが、一定の角度で砲弾が入水しなければその効果は十全に発揮されない。

 中間距離で放った「金剛」の三六センチ砲弾のうちの一弾は「マサチューセッツ」の手前に落ちそのまま水中を馳走、同艦の水線下にある船体に命中した。

 「マサチューセッツ」は「サウスダコタ」級戦艦の三番艦であり、同級はそれまでの旧式戦艦や「ノースカロライナ」級よりもさらに充実した水中弾防御を施していた。

 だが、水中弾防御を施しているとはいっても当然ながらそれは艦の全長に及ぶものではない。

 「金剛」が命中させた水中弾は艦首先端にほど近い、水中弾防御がなされていない部分を食い破り大穴を穿った。

 艦首側の浮力の不足が指摘されている「サウスダコタ」級戦艦、そのうちの一艦である「マサチューセッツ」にこの一弾は目に見えにくいがしかし大きなダメージを与えた。

 浸水によって艦体がわずかに傾き、そのことで射撃精度が損なわれてしまったのだ。


 このことを敏感に読み取った「金剛」艦長は宇垣長官に目標を敵三番艦から敵四番艦に変更する旨を具申する。

 敵の一番艦と二番艦は「長門」と「陸奥」に任せ、「金剛」は射撃精度を失った三番艦を無視して「榛名」とともに敵四番艦を討ち取る。

 宇垣長官も勝機到来とばかりに「金剛」艦長の申し出を許可する。

 敵三番艦が水平を回復しないうちに、そして敵四番艦が「榛名」を攻撃している間に「金剛」が距離を詰めて敵四番艦を討ち取ってくれれば宇垣長官としても願ったりかなったりだ。

 そして、四番艦を無力化した後は当然のこととして敵三番艦にその矛先を変える。


 司令長官ならびに艦長の意を受けた「金剛」が加速を開始する。

 帝国海軍最古参、英国生まれの老嬢が米国のヤングレディに突撃をかけた。

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