第91話 先手

 奇跡とも言うべき状況が現出していた。

 一〇〇機ほどの零戦が二〇〇機近いF6Fに勝利し、戦闘海域周辺の制空権を奪取したのだ。

 零戦は一撃離脱だけではなく、最近ではあまり見ることのなくなった旋回格闘戦を織り交ぜてF6Fの背後を取り、これを容赦無く撃ち墜としていった。

 F6Fが蹴散らされた今、上空にあるのは零戦とあとは避退空域から戻ってきた友軍観測機の姿だけだ。

 ドイツの光学技術をふんだんに採り入れた測距儀、同じくドイツから導入された射撃レーダーを含む射撃管制装置、そのうえ観測機が使えればマーシャル沖海戦以来の歴戦の将兵を数多く抱える「大和」は無敵だ。

 乗組員の多くがそう思い、第一艦隊司令長官の角田中将もまたそのうちの一人だった。


 「距離三三〇〇〇で砲撃を開始せよ。飛行機屋の奮闘のおかげでこちらは観測機が使える。惜しまずに砲弾を撃ち込んで、速やかに着弾を寄せていけ!」


 距離三三〇〇〇メートルというのは優秀な射撃管制装置を持つ戦艦にとっても大遠距離であり、一昔前なら命中は望めないとしてもっと引き付けてから撃つようにしていたはずだ。

 だが、これまでの光学測距儀に比べて格段に正確な距離精度が出せる射撃レーダーと熟練の観測機乗りの技量が合わされば三三〇〇〇メートルであっても命中させることは不可能ではない。

 ただ、不可能では無いとしても、それでも三三〇〇〇メートルというのは常識外れあるいは無謀と言っても差支えないほどの超遠距離だ。

 盛大な無駄弾が発生すると分かっていてなお第一艦隊は砲撃を急がなければならない理由があった。

 とにもかくにも眼前の敵をさっさと片づけて、少しでも早く第二艦隊の救援にいかなければならない。

 旧式戦艦四隻で同じ数の新型戦艦を相手どらなければならない第二艦隊の現状はあまりにも過酷だ。


 旗艦「大和」が口火を切り、二番艦の「武蔵」がそれに続く。

 「信濃」以下の各艦もわずかに遅れて砲撃を開始する。

 敵の「アイオワ」級戦艦ならびに艦型不詳の二隻の大型艦が反撃したのは三〇〇〇〇メートル前後、おそらくは切りの良い三〇〇〇〇メートルかあるいは三三〇〇〇ヤードあたりに砲戦距離を設定していたのだろう。

 帝国海軍と同等かあるいはそれ以上に優れた射撃管制システムを持つであろう「アイオワ」級戦艦も、観測機が使えない状況では後手に回るのは仕方が無い。


 「アイオワ」級戦艦が砲撃を開始した時点で、第一艦隊の七隻の「大和」型戦艦はそのいずれもが目標艦に対してその着弾をかなり近くまで寄せていた。

 その中で真っ先に夾叉を得たのは三番艦の「信濃」だった。

 重巡「利根」艦長から「信濃」艦長へとステップアップした大佐殿は、かつて帝国海軍の遠距離砲撃の命中率は米海軍の三倍と吹聴した、鉄砲屋の中でも知る人ぞ知る名物男だ。

 遠距離砲戦については誰よりもこだわりがあったのだろう。

 その研究成果が結実したのかあるいはマグレなのかは分からないが、いずれにせよ「信濃」がトップランナーに躍り出た。

 七姉妹の中でいの一番に斉射を開始した「信濃」が放った九発の砲弾が敵の三番艦を押し包み、巨大な水柱が立ち上る。

 同時に敵三番艦の後部に爆煙がわき立つ。

 「信濃」乗組員が歓声をあげる一方で「アイオワ」級三番艦はさほどこたえた様子も見せず、反撃の砲火を放つ。

 いくら「大和」型戦艦が放つ四六センチ砲弾が破格の威力を持っていたとしても、一発や二発で新型戦艦が参るはずもない。

 一トン半にも及ぶ四六センチ砲弾をもってしても並みの戦艦であれば廃艦に追い込むまでに一〇発程度の命中弾が必要だとされているし、防御力に秀でた大型戦艦であれば一五発、眼前の「アイオワ」級であればあるいは二〇発近く叩き込まないと致命傷にはならないかもしれない。


 「信濃」に続き、「大和」と「武蔵」、それに「紀伊」が夾叉を得る。

 マーシャル沖海戦以降、数多くの修羅場をくぐってきた三隻の乗組員の技量もまた「信濃」に劣るものではない。

 一方、米艦隊もただやられているわけではない。

 敵の七番艦と八番艦の二隻に狙われた「近江」がうっすらと煙をひいている。

 だがしかし、さほどこたえた様子も見せずに「近江」は砲撃を続行している。

 状況は好条件に恵まれた、つまりは制空権下で戦うことが出来る第一艦隊側が明らかに優勢だった。

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