第86話 錬度
搭乗員の命を無視した信じられない自爆攻撃。
まったくもって想像の埒外だったその奇襲から辛くも被害を免れた第三・三任務群の「エセックス」と「サラトガ2」、それに第三・四任務群の「タイコンデロガ」と「エンタープライズ2」はそれぞれ四八機、合わせて一九二機のF6Fヘルキャット戦闘機を日本艦隊に向けて発進させる。
「敵であれ味方であれ、搭乗員に自殺を強いるような非道な連中は許さない」
一九二人の搭乗員はその誰もが日本軍がとった戦法にショックを受けながらも、しかし一方でこれまでにない戦意と敵愾心をたぎらせていた。
他方、これら機体を迎撃するため、第三艦隊の九隻の空母からは二一六機の零戦が慌ただしく発進する。
零戦はそのいずれもが五三型で統一されており、二〇〇〇馬力に迫る誉発動機とさらに比較的軽量な機体とも相まってその総合性能はわずかではあるがF6Fに優越している。
ふつう、数が多いうえに機体性能も勝っているのであれば、奇襲でもされない限りその勝利は固いはずなのだが、しかしそうはならなかった。
F6Fの搭乗員に比べて零戦隊のそれは、明らかに技量面において見劣りがしたからだ。
三年あまりにわたる米国との戦争によって、帝国海軍もこれまでに多くの将兵が戦死したが、その中でも搭乗員の死傷率はとりわけ高く、戦前に入念な訓練を施したその多くを失ってしまった。
このことが影響して、現在の零戦隊の平均錬度もまた開戦時のそれに比べて明らかに低下していた。
特に顕著だったのが新たに母艦航空隊に配属された若年搭乗員たちだった。
燃料や弾薬を惜しみなく使って飛行訓練や射撃訓練を行えた米軍に対し、予算や物資に大きな制限を課された帝国海軍のほうはとてもではないが米軍のような理想的な教育環境による搭乗員育成など出来るはずもない。
訓練用の燃料や弾薬は乏しく、練習機そのものの数が少ないうえに教官や教員といった人材さえ定数をそろえるのに四苦八苦しているのが実情だから、訓練生に対する教育もとても十分なものとは言えなかった。
実際、訓練生は飛行機の操縦よりも防空壕をつくるための土木作業に駆り出されたり、あるいは食糧増産のための農作業に従事したりしている時間のほうが長いくらいだった。
そのような内容の薄い速成教育を受けた搭乗員では、複雑な操作を必要とする旋回格闘戦などとても望めるものではない。
そういった若年兵に対しては、狭い飛行甲板に慣れるための離着艦訓練ならびに零戦の速度性能に頼った一撃離脱という名の猪突猛進戦法を教えるしかなかった。
他にも母艦戦闘機隊の搭乗員であれば洋上航法や編隊機動、それに爆撃の訓練もやっておきたいところなのだが、しかし燃料事情が逼迫している中においては端折らざるを得なかった。
特別攻撃、いわゆる特攻もまたそういった差し迫った状況の中で生み出されたものの一つだった。
いずれにせよ、日米搭乗員の教育格差は実戦の空において冷酷な現実を突きつける。
零戦を駆る若年搭乗員は同じくルーキーが駆るF6Fに対して明らかに分が悪かった。
多くの零戦の若年搭乗員は長機の機動についていくのに精いっぱいで周囲を確認する余裕が無いのに対し、サッチウィーブをはじめとした連携訓練を十分に積んだF6Fのルーキーは視野もそれなりに広く維持している。
零戦の若年搭乗員はそこを面白いように突かれ、次々とフィリピンの青い海へ墜ちていった。
そんな若年搭乗員を守るべく熟練搭乗員や中堅搭乗員は奮闘するが、その数はあまりにも少ない。
単機航法も可能な熟練はその多くが特攻隊の護衛任務に回されていたからであり、中堅もまた同様だった。
それゆえ、第一次攻撃隊のF6Fは零戦の拘束という任務を完璧に成し遂げる。
その戦闘空域からわずかに離れた高空をハルゼー提督が放った戦爆雷からなる第二次攻撃隊が北へ向けて進撃を続ける。
これを追撃出来た零戦はほとんど無かった。
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