第72話 老嬢の意地
新型戦艦「ワシントン」が相手どるのはそのいずれもが手負いの旧式戦艦だった。
艦上構造物の至る所に大穴を穿たれ、そこから吐き出される煙に巻かれた半死半生の「金剛」型戦艦が一隻。
それに、少なからず被弾し、後方に薄く煙を曳いている同じく「金剛」型戦艦が二隻。
あともう一隻「金剛」型戦艦があるが、しかしこちらは艦首を下にして水面下に没しつつあるから放っておいても構わなかった。
もはや、沈没は時間の問題だ。
一対三の数的劣勢とはいえ新型戦艦と旧式戦艦とではその性能差は隔絶している。
しかも相手の主砲は「ワシントン」に比べて砲口径が小さく門数も少ない。
そのうえ手負いなのだから、これで負けるほうがどうかしている。
同世代の戦艦であっても四〇センチ砲と三六センチ砲の差は大きい。
砲弾重量に関しては最低でも五割、「ワシントン」が運用するSHSであれば二倍近くにまでその差は広がる。
防御力の差も大きい。
もともと巡洋戦艦として建造された「金剛」型戦艦は高速性能を重視したがゆえに装甲が薄い。
一方、「ワシントン」の防御力も褒められたものではないが、それでも「金剛」型戦艦が放つ七〇〇キロに満たない三六センチ砲弾であれば、よほどの至近距離から撃ち込まれない限り装甲を貫かれる心配は無い。
それになにより「金剛」型戦艦は竣工から間もなく三〇年を迎えようかという骨董品だ。
もし仮に、「金剛」型戦艦が万全であったとしても、「ワシントン」の勝利は揺るがない。
「ワシントン」の艦長や砲術長はそう考えていた。
一方、「ワシントン」の将兵らは「金剛」型戦艦を相手どることになった幸運を素直に喜んでいた。
相手が弱ければ弱いほど自分たちの生存率は間違いなくアップする。
そこへ、「大和」型戦艦を相手どらなくても済むという安堵感が上乗せされる。
姉妹艦である「ノースカロライナ」を一撃のもとに葬ったあの恐ろしい敵と対峙しなくて済むのだから無理も無い。
そのことで「ワシントン」の艦内にはリー提督の采配に対する感謝とともに油断、もっと言えば弛緩したような空気が将兵の間で流れていた。
いずれにせよ、「ワシントン」がまず成すべきことは、集団戦のセオリーに従って戦力の大きい、つまりは傷の浅い二隻の「金剛」型戦艦を早いうちに撃破することだ。
敵に反撃のリアクションタイムを与えずに始末するには必中距離まで急迫し、四〇センチ砲弾をそれこそ雨あられのように叩き込んでやればいい。
残る瀕死の「金剛」型戦艦はその後でゆっくり料理すればよかった。
そう考えた「ワシントン」艦長はいまだ余力を残す二隻の「金剛」型戦艦のうちの近いほうに向けて砲撃を開始するよう命じる。
すでに、深手を負って炎上中の「金剛」型戦艦に注意を向ける者はいなかった。
だが、「ワシントン」が無視した「金剛」型戦艦、「霧島」の名を持つその戦艦はまだ死んではいなかった。
生き残った乗組員の戦意もまた衰えてはいない。
度重なる被弾によって使える主砲は半減していたが、しかし当たり所が良かったせいか火器管制装置のほうはいまだに正常動作している。
それに、浸水も無かったから艦の水平も保たれていた。
つまりは、まだ艦の性能に見合った正確な砲撃が出来るということだ。
その「霧島」が無造作に至近を通り過ぎようとする「ワシントン」に向けて密かに照準をつける。
ゼロ距離射撃というには大げさだが、それでも投影面積の大きい「ワシントン」に対しては必中距離と言っていい。
「金剛」への射撃を開始した「ワシントン」に対し、「霧島」は静かに砲塔を旋回させる。
上甲板に澱のようにまとわりつく煙が意図せずカムフラージュの役を演じてくれる。
その「霧島」が猛炎とともに四発の三六センチ砲弾を吐き出した。
一方、「金剛」を追い回していた「ワシントン」にとって、死に体同然だと思っていた「霧島」の砲撃はまさに青天の霹靂だった。
その「霧島」が放った四発の三六センチ砲弾が、大きく横腹をさらした「ワシントン」に殺到する。
乗組員の執念がのり移ったのか、初弾にもかかわらずそのうちの一発が命中する。
至近距離から放たれた三六センチ砲弾は「ワシントン」の装甲をぶち破るには十分な残速を保っていた。
その砲弾は「ワシントン」の機関室に飛び込んで炸裂、同艦の心臓部に甚大なダメージを与える。
さらに「霧島」は最後の力を振り絞り、二発、三発とその主砲弾を「ワシントン」に撃ち込んでいく。
突然の被弾によって生じた「ワシントン」の苦境を歴戦の「金剛」と「榛名」は見逃さない。
速力の衰えた「ワシントン」に対し、両艦は韋駄天を生かして砲門の少ない後方に一気に回り込む。
後は三門の四〇センチ砲と一六門の三六センチ砲の戦いとなった。
近距離とはいえ門数の少なさから有効打を与えられない「ワシントン」に対し、「金剛」と「榛名」は三六センチ砲弾を次々に叩き込んでいく。
「ワシントン」は「ノースカロライナ」のように弾火薬庫に火が入って爆沈するようなことはなかったが、それでも三六センチ砲弾によって一寸刻みにされていく。
艦上構造物は爆砕され、射撃管制システムの中枢を失ったことでその砲撃は正確性を欠いた。
相次ぐ三六センチ砲弾の洗礼によって「ワシントン」が燃え上がる。
その頃には「霧島」もまた、艦としての命が燃え尽きようとしていた。
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