第70話 反撃の四六センチ砲

 敵ながら腹が立つくらいに見事な回避運動だった。

 小まめな転舵と併せて増速や減速も織り込んでいるのだろう。

 その未来位置が極めて読みにくい。


 米戦艦列のうちでその五番艦から八番艦の位置にある「マサチューセッツ」と「アラバマ」、それに「ワシントン」と「ノースカロライナ」の四隻の新型戦艦は第三戦隊の「金剛」型戦艦に加えて第一戦隊の四隻の「大和」型戦艦からも狙われている。

 三六門の四六センチ砲ならびに三二門の三六センチ砲のつるべ打ちにあう彼女たちの周囲はひっきりなしの着弾によって水柱が盛大に立ち上っている。

 しかし、四隻の米戦艦は立ち上る水柱の間を右へ左へとせわしなくその艦首を振り回し、必死の回避運動を続けている。

 それでも、さすがに全艦無傷とはいかず、「マサチューセッツ」が艦後部に「比叡」が放った三六センチ砲弾を食らい火災が発生していた。

 しかし、それもすぐに消し止められ、「マサチューセッツ」は何事も無かったかのように砲撃を続行している。


 一方で、すべての米戦艦から狙われた第三戦隊の被害は甚大だ。

 石川司令官が座乗する第三戦隊旗艦「比叡」は艦首の被弾に伴う浸水によって大きく前傾し砲撃不能に陥っている。

 そのうえ四番砲塔付近から猛煙を噴き上げている。

 艦前部は水責め、艦後部は火責めと、船乗りにとっては悪夢ともいえる状況だ。

 被害応急に失敗し、隔壁をぶち抜かれるかあるいは弾火薬庫に火が入ればその時点で彼女の命運は尽きてしまう。

 「比叡」の艦内では将兵らがその生存をかけて必死のダメージコントロールにあたっているはずだ。

 二番艦の「霧島」もまた状況は悪い。

 「比叡」のように喫水線下に大穴を穿たれて艦が大きく傾くようなことこそないものの、それでも艦上構造物の多くを叩き壊されてしまっており、反撃の砲火も弱々しいものとなっている。

 正面からの殴り合いは、タフさを代償にスピードを追求した「金剛」型戦艦の最も苦手とするところだ。

 現状、その弱点がモロに露呈していると言ってよかった。

 「比叡」や「霧島」と同様、「金剛」ならびに「榛名」もまたすでに被弾しているが、しかしこちらは両艦ともに当たり所が良く、いまだに全砲門が健在なうえに機関の全力発揮も可能だった。

 しかし、いつまでもそのような幸運が「金剛」や「榛名」に続かないことも目に見えている。


 第三戦隊の惨状に、沢本長官をはじめとする第一艦隊の将兵が焦慮の色を濃くするなか、「紀伊」艦長の森下大佐は目標としている敵八番艦に接近したことでその動きを観察することが出来た。

 森下艦長は、本来であれば今年初めに「大和」艦長になるはずだった。

 しかし、ブリスベン沖海戦をめぐる粛清人事の影響で昨年一一月に「紀伊」の艦長に繰り上げ就任したのだ。

 森下艦長は操艦の名手であり、それと同時に回避のスペシャリストでもあった。

 そんな彼だからこそ、逃げの一手を打つ敵五番艦以降の新型戦艦の立場を自身に置き換えて観察していればなにがしか見えてくるものがある。


 一方、敵の八番艦、米軍で言うところの「ノースカロライナ」にとって不運だったのは眼前を行く五番艦と六番艦、それに七番艦の三隻の僚艦の敵弾回避の動きがバラバラだったことだ。

 一隻だけでも神経を使うのに、それが前に三隻もあれば出来る操艦も限られてくる。

 「ノースカロライナ」が現在、難儀な状況に置かれていることを森下艦長は理解すると同時に回避パターンもまた看破する。


 「砲術! 目標艦だけでなく前方の七番艦の動きにも注意しろ!

 敵八番艦は敵七番艦にやや遅れて同艦と同じ回避パターンを取っている。七番艦が右に行けば同じく右、左に行けば左だ。加速と減速も同様で、常に同じ距離ならびに位置関係を保つように運動している。おそらくは衝突を恐れてのことだろう。敵八番艦撃破の鍵は敵七番艦が握っている」


 森下艦長の端的な要約に砲術長もまた了解と短く返す。

 一を聞いて十を知るのは海軍士官だけでなく人類全体のお約束事だ。

 同時に砲術長は力強く宣言する。


 「敵の回避動作を先読み出来れば、これだけ距離も縮まったことですし確実に当てることが出来ます。次からは斉発で行きます」


 砲術長もまた第三戦隊が危険な状況にあることを承知しているのだろう。

 無駄弾が出る可能性を理解しながらも即戦即決を志向する。

 森下艦長もまた、砲術長の方針に異存は無い。

 次の砲撃までに少し間が空く。

 敵七番艦の動きを観察しつつ敵八番艦への発砲のタイミングを計っているのだろう。

 そしてその時が来る。

 主砲が轟音とともにこれまでに無い大量の炎を噴き上げる。

 反撃の四六センチ砲。


 「紀伊」がその咆哮をあげた瞬間だった。

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