第62話 対空戦闘

 上空を守っていた七〇機あまりの零戦が東の空に向けて高度を上げていく。

 電探が捉えた敵編隊は三〇〇機程度とみられるから数的劣勢は明らかだ。

 それでもいまだ無傷を保つ空母「龍驤」と「瑞鳳」、それに「祥鳳」から飛び立った最後の零戦隊はなんらためらうそぶりも見せず、敵編隊へと立ち向かっていった。

 やがて、零戦の防衛網を突破した機体が第一艦隊上空に迫ってくる。

 その機影は急降下爆撃機であるSB2Cヘルダイバーのものであったが、その高度が異様だった。

 急降下爆撃を行うにはあまりにもその高度が低すぎる。


 「反跳爆撃を狙っているのか?」

 「あるいは敵の急降下爆撃機には雷撃能力が付与されているのかもしれません」


 沢本長官のつぶやきに航空参謀が律儀に答える。

 その言葉の意味するところに沢本長官はもとより参謀長をはじめとした司令部スタッフも顔色を変える。

 「大和」型戦艦はよほどの大型爆弾でない限りは多少被弾したところでさほど痛痒は感じないが魚雷であれば話は別だ。

 水上艦艇や潜水艦が使用する魚雷はもちろん、小粒の航空魚雷でさえ当たり所が悪ければ大量の浸水をきたす。

 浸水によって船体に傾きが生じれば高い精度を求められる砲撃に著しい支障をきたしてしまう。

 ただの一発も当てさせるわけにはいかない。

 そして、敵のSB2Cの機動は航空参謀が言ったように雷撃機が行うそれに移行しつつあった。

 SB2Cが雷撃を狙っているのは意外だったが、それでもやるべきことはTBFアベンジャー雷撃機に対して行うことと一緒だ。

 沢本長官はただちに対空戦闘開始を下令した。


 急降下爆撃機による雷撃が日本側の意表を突いたのに対し、「大和」以下の各艦から撃ち上げられる対空砲火の密度もまたそれと同様かあるいはそれ以上にSB2C搭乗員らに大きな動揺と衝撃を与えていた。


 午前中に攻撃した日本の機動部隊の対空砲火は貧弱だった。

 射撃精度はそれほど悪くはなかったが、しかし高角砲や機銃の数があまりにも少なく、そのことで撃墜されたSB2Cはごくわずかでしかなかった。

 だから、同じ国の海軍の軍艦なのだから水上打撃部隊のほうもたいしたことはないだろうと考えて無造作に理想の射点に遷移しようとしていたSB2Cは、しかしまともに第一艦隊が撃ち上げる弾幕の中に突っ込むはめになった。


 「大和」と「武蔵」、それに「信濃」と「紀伊」はそれぞれブリスベン沖海戦後の修理の際にすべての副砲を撤去、代わりに一〇基もの八九式一二・七センチ連装高角砲を増備していた。

 このことで、「大和」型戦艦は一隻あたり三二門にも及ぶ高角砲を備えるに至っている。

 また、一六隻ある「陽炎」型駆逐艦はそのいずれもがさらに高性能の九八式一〇センチ連装高角砲を三基装備しており、「金剛」型戦艦や「青葉」型重巡も高角砲を増備、あるいは新型に換装している。

 これら以外にも、日欧交通線からもたらされたドイツ製の九センチ高角砲やボフォース社製の四センチ機関砲が一部の戦艦や重巡に試験搭載されている。

 さらに射撃指揮装置もドイツ製に置き換わり、その性能は国産のそれより一枚も二枚も上手をいく。

 それら射撃指揮装置の高性能化は、あるいは高角砲や機銃の増備以上に各艦の対空能力の向上に恩恵をもたらしていたかもしれない。


 三〇〇門近い高角砲から撃ち上げられた砲弾はSB2Cの前後左右あるいは上下に黒い死の花を咲かせる。

 これまでの帝国海軍艦艇の当たらない対空砲火のイメージを一新させるほどにその狙いは正確だった。

 なにより、弾幕の密度が濃い。

 たちまち一〇機あまりのSB2Cが抱えていた魚雷やあるいは燃料タンクに火が入って爆散、さらにほぼ同じ数の機体が煙を曳きながらマリアナの海へと墜ちていく。

 また、撃墜には至らなかったものの、発動機や機体にダメージを受けて魚雷を投棄せざるを得ない状況に追い込まれたものも少なくない。


 一度に二割を超える被撃墜機とさらに多数の損傷機を出したこれらSB2Cに対し、第一艦隊は立て直す暇をあたえない。

 こんどは各艦に装備された二五ミリ機銃が火を噴く。

 三連装や連装、それに単装の合わせて一五〇〇丁を超えるその銃口から吐き出される二五ミリ弾は八〇機以下にまで撃ち減らされたSB2Cを次々に絡めとっていく。

 一般的な戦闘機の機銃弾である一二・七ミリ弾や二〇ミリ弾に比べて二五ミリ弾の威力は破格だ。

 艦上急降下爆撃機としては優秀な防弾装備を誇るSB2Cといえども、よほど当たり所に恵まれない限り致命傷は免れない。

 予想を遥かに上回る強烈な対空砲火の洗礼を浴びたことで、SB2Cのクルーたちは艦隊中央に位置する「大和」型戦艦への雷撃は現実的ではないと判断する。

 それこそあっという間に戦力の半数を失ったのだ。

 このまま突き進んでも敵に格好の的を提供するだけに終わってしまう。

 そこで彼らは最も手近でしかも他艦からの支援をうけにくい外郭に位置する「陽炎」型駆逐艦に目標を変更する。


 一方、狙われた側の「陽炎」型駆逐艦はその卓越した運動性能と練達の艦長の操艦によって投下された魚雷を余裕をもって回避する。

 もし、仮にSB2Cがいつものごとく一〇〇〇ポンド爆弾を用いて急降下爆撃を行っていれば「陽炎」型駆逐艦の何隻かは確実に撃破されていたはずだが、米側から見ればこれはもう皮肉と言う以外になかった。

 SB2Cの攻撃が終わった時点で被雷した「陽炎」型駆逐艦は一隻も無く、第一艦隊は隊列を整え直し、さらに速度を上げてサイパンを目指す。

 間もなく米水上打撃部隊がその視界に入ってくるはずだった。

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