マーシャル沖海戦

第10話 太平洋艦隊司令長官

 圧倒的に不利な戦況の中、それでもキンメル太平洋艦隊司令長官は焦燥よりも自身に湧き上がる疑問のほうが勝っていた。


 「なぜ、日本海軍は南方戦域に六隻もの戦艦を投入したのか」


 しかも、その六隻は四〇センチ砲を持つ「長門」型や、あるいは「伊勢」型や「扶桑」型といったいずれも三六センチ砲を一二門装備する有力艦ばかりだ。

 さらには驚くべきことに「長門」と「陸奥」は英国の最新鋭戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「レパルス」との撃ち合いを制し、二隻まとめてマレーの海底深くに叩き込んだというのだ。

 それはそれで大戦果ではあるのだが、しかし南方戦域に戦力を集中しすぎた結果として太平洋正面には脚こそ速いものの攻撃力も防御力も貧弱な四隻の「金剛」型しか使えない状況になっている。

 なぜ日本海軍がそのようなことをしたのか。

 このことについて、キンメル長官は情報参謀のレイトン中佐に問うたのだが、頭脳明晰な彼をもってしてもはっきりしたことは分からないとのことだった。

 ただ、レイトン中佐はまだ仮説の段階だと断ったうえで少しばかり重そうな口を開く。


 「マレー攻略はフィリピン攻略に並ぶ南方作戦の二本柱のひとつです。だからこそ同作戦に日本は二隻もの戦艦を投入した。

 その二隻の戦艦、『長門』と『陸奥』のマレー派遣に関しては英国の事前宣伝が効き過ぎたのでしょう。英国がマレーに戦艦を送り込むとなると、日本もそれに対抗するために戦艦を送り込まざるを得ない。しかも、相手が新型戦艦であれば、日本が切れるカードは『長門』型戦艦しかありません。ただ、『プリンス・オブ・ウェールズ』と『レパルス』が『長門』と『陸奥』に後れを取ったことについては正直意外でした。

 それと、南方作戦に戦艦を六隻も投入すれば、それはもう成功は約束されたようなものでしょう。東南アジアの友軍戦力は最大でも重巡洋艦ですので、六隻どころか一隻の戦艦でさえ対抗することは不可能です。ただ、このことだけで日本海軍が六隻もの戦艦を投入したことに対する理由にはならないと思います」


 「英戦艦の敗北が意外だったということについては私も同意する。だが、そうなってくると分からんのは連中が太平洋正面の防備をどう考えているのかだ。

 あるいは、四隻の『金剛』型だけで太平洋艦隊と戦えるとでも思っているのか?」


 「まず、考えられるのは『金剛』型戦艦とさらにそれに続く巡洋艦や駆逐艦で夜戦を仕掛けてくることです。『金剛』型戦艦が機関換装によって高速戦艦となったことは周知の事実です。その脚の速い『金剛』型戦艦が友軍の巡洋艦を、そして敵巡洋艦が我が方の駆逐艦を叩く。その間に敵駆逐艦は我が戦艦群に肉薄雷撃を敢行する。

 日本の駆逐艦はその多くが片舷一二射線を持つ重雷装艦ともいうべきものです。仮に二〇隻が突撃を仕掛け、その半数を失ったとしても一二〇本の魚雷を我が方の戦艦群に撃ち込むことが出来ます。もし仮にそのうちの一割が命中すれば戦艦の半数、二割が命中すれば我が方の戦艦群は完全にその戦力を喪失するでしょう。これが第一の仮説です。

 第二の仮説は根拠が薄いのですが、日本海軍がすでに新型戦艦を戦力化している場合です。日本海軍はマル三計画で四隻の戦艦を建造しているはずですが、そのうちの何隻かがすでに就役している可能性は極めて低いとはいえ完全には排除できません。実際、我々もまた『ノースカロライナ』や『ワシントン』を就役させていますから」


 二つの可能性を提示したレイトン中佐に対し、一方のキンメル長官は少しばかり考え込む。

 ありそうなのは、敵が夜戦を仕掛けてくることだ。

 劣勢な側が優勢な敵に立ち向かうのに夜の闇を利用するのは古今東西の戦における常套手段と言っていい。

 正面からの殴り合いでは勝ち目がなくとも、夜の闇に紛れる乱戦であれば戦術次第で勝機をつかむことは十分に可能だし、そのことを証明した戦いは世界史の中にいくらでもる。


 「貴官のいう通り、我々に出来るということは敵も出来ると考えたほうが無難かもしれんな。もし、仮に日本軍が新型戦艦をすでに就役させていたとして、その戦力はどの程度のものだろうか」


 「マル三計画において議会に通告した建造費を信じるのであれば、その予算規模から三五〇〇〇トンから四〇〇〇〇トンの間ではないでしょうか。なので、武装については主砲は最低でも三六センチ、最大であれば四〇センチと推測されます」


 「ならば最悪の場合は『ノースカロライナ』級に匹敵する四隻の新型戦艦と四隻の『金剛』型戦艦を相手どることになるな。だが、それでも半数は元が巡洋戦艦の防御力の弱い『金剛』型だ。連中の不利は変わらんと考えるが」


 「そこは、小職が判断するところではありません。私はあくまでも入手した情報の価値あるいは真偽を吟味し、それを整理したうえで提供するのが仕事です。その情報をどう判断し活用するかは作戦参謀を始めとした用兵側のマターであると考えます」


 見方によっては縦割りの弊害とも思えなくもないが、相手の領分に立ち入らない見識とも解釈できるレイトン中佐の物言いにキンメル長官は苦笑を漏らす。

 雲の上の上官であれ遠慮なくはっきりと物を言ってくれることは、正しい決断をすることが仕事の司令長官にとってはなによりもありがたい。


 「分かった。日本軍の戦力については最悪を想定したうえで事に当たるとしよう。中佐にはご苦労だが、引き続き日本海軍の情報収集を頼む」


 そう言ってレイトン中佐を退室させた後、キンメル長官は思考をすでに発動されているマーシャル攻略作戦に切り替える。

 太平洋における反攻の第一段は戦艦八隻に空母三隻、それに数十隻の巡洋艦や駆逐艦による一大作戦になるはずだった。

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