第6話 戦艦大和

 昭和一六年八月一一日付で第一艦隊司令長官に就任した高須中将は眼前にそびえる黒鉄の城から目が離せなかった。

 先日竣工したばかりの最新鋭戦艦「大和」。

 基準排水量六四〇〇〇トン、全長二六三メートル、全幅三八・九メートルという破格の巨体に四六センチ三連装砲塔を三基備える巨大戦艦だ。

 幅広の船体は、だがしかしバルバスバウの採用等によって二七ノットの高速を発揮し、波高い外洋での安定性は他の戦艦の比ではない。

 巨体ゆえに艦内容積も大きく、兵員一人あたりの居住面積は広く医療設備はこれまでのどの帝国海軍艦艇よりも充実している。

 対空兵装は八九式一二・七センチ連装高角砲が六基一二門といささか物足りないし機銃もまた船体の割にはその搭載数が少なく感じるが、他はおおむね満足できる水準にある。


 日米関係が険悪化、開戦すらも叫ばれるこの時期に「大和」が完成したのは工事を急いだのはもちろんだが、それとは別に着工時期が早かったのも大きな理由のひとつだ。

 「大和」の書類上の起工は昭和一二年一一月四日となっているが、正確には違う。

 製造に手間のかかる砲熕兵器や装甲、それに機関の準備はとっくの以前から進められており、それは「大和」以外の二番艦以降についても同様だった。

 鉄砲屋が権力を掌握する帝国海軍において、軍縮条約明けに巨大戦艦を建造することは必然であり、マル三計画の予算が通るという前提ですでに事を進めていたのだ。

 長崎では二番艦の「武蔵」、横須賀では三番艦の「信濃」、さらに大分では四番艦の「紀伊」もまた産声をあげている。

 時節柄、いずれの艦も竣工式は質素かつ秘密裏に行われていたこと、さらに報道管制を徹底していたこともあり、国民の多くは日本が新たに四隻もの巨大戦艦を手にしたことは知らない。

 帝国海軍としては日米間で艦隊決戦が生じるまでは「大和」型戦艦の存在を秘匿しておきたいという意図があった。


 その「大和」以下の四隻は同型艦のみで編成され、第一艦隊第一戦隊となる。

 第一艦隊司令長官に就任した高須中将はそのうちの第一戦隊も併せて指揮する。

 旧来であれば第一戦隊は連合艦隊司令部が直率することになっていた。

 だが、戦いの規模が大きくさらに複雑化する中、スペースに限りのある戦艦に司令部機能を置くことは現実的では無い。

 そのことで、連合艦隊司令部は今年の夏から陸に上がっている。


 「海軍内では『大和』と『武蔵』、それに『信濃』と『紀伊』の慣熟訓練が完了した時点で米国との戦争に踏み切るという噂がある。最初は与太話だと思っていたが、意外に真実かもな。こんな戦艦を見たら、誰だって気が大きくなって米国にさえも勝てると考えてしまうだろう」


 妖刀と呼ばれる日本刀が見る者を魅了し、人を斬りたくさせるのと同様、「大和」には砲撃戦をやってみたくなるような危険な魅力がある。

 無意識に抱いた剣呑な感想を振り払いつつ、高須中将は海軍を取り巻く現在の政治情勢に思いをはせる。

 すでに、国民の多くは米英討つべしと怪気炎を上げ、陸軍や海軍の上層部にもドイツに続けとばかりに戦争を望む者も少なくない。

 高須中将は日独伊三国軍事同盟や日米開戦には反対の立場だったが、現状は厳しい。

 軍政面では及川大将の後を襲って嶋田大将が近日中に海軍大臣に就任するが、彼ではこの大きな流れを止めることは出来ないだろう。

 軍令畑の長である永野軍令部総長は政治とは距離を置くスタンスだからこちらも期待出来ない。

 間もなく大将に昇進する連合艦隊司令長官の豊田中将に至っては陸軍と大喧嘩する未来しか見えない。


 「米英とひと合戦やらなければならないのか」


 高須中将は暗澹たる思いで「大和」をみやる。

 「大和」は何も答えてくれない。

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