第5話 漢口空襲
日中戦争のさなかの昭和一四年一〇月三日、漢口飛行場にSB爆撃機が空爆を仕掛け、同機体が投じた爆弾のうちのひとつが仮設戦闘指揮所近辺に着弾、数十人が死傷するという大惨事となった。
その中には一連空司令官の塚原二四三少将、あるいは将来の海軍航空をしょって立つ人材として嘱望されていた幹部らも含まれていた。
一〇機にすら満たないSB爆撃機、その相手から被った損害としてはあまりにも人的ダメージは大きかった。
さらにその衝撃が冷めない一〇月一四日、ふたたび二〇機ほどのSB爆撃機が漢口飛行場を奇襲する。
同機体の投じた爆弾は駐機場に並べられていた陸海軍の航空機に甚大なダメージを与え、海軍機だけでも四〇機が撃破されてしまった。
最初の奇襲の時には、塚原少将をはじめとした現地関係者らに同情的だった海軍上層部も、短期間に同じ過ちを二度も繰り返されたのであれば堪忍袋の緒も切れる。
油断と無能によって一機数万円もする機体をむざむざ地上でおしゃかにされてしまっては貧乏海軍としてはたまったものではない。
当然のことながらこの件にかかわった関係者に対する海軍上層部の聴取は峻烈を極め、その後更迭人事の嵐が巻き起こる。
一方で海軍上層部は関係者らの報告から自軍の探知能力あるいは早期警戒能力が極めて低いことを思い知らされる。
敵発見の手段は監視哨や聴音機など、今もって人間の目や耳に頼ったものばかりだったからだ。
この件について、海軍大学校教官の柳本大佐から興味深い提案がなされる。
それは、電波を使った探知装置を飛行場に配備すべしというものだった。
自ら電波を発射するという行為について、それこそ闇夜に提灯ではないかという意見も出たが、だがしかし動かない基地であれば最初からその所在は暴露されているのだから特に問題は無い。
むしろ、敵に奇襲されずに済むというメリットのほうが明らかに大きいことは漢口空襲を思い返せばすぐに分かる。
それと、欧州では英国とドイツとの間で熾烈な電探開発合戦が行われているという情報も現地駐在の海軍武官から入ってきており、ドイツ贔屓の多い帝国海軍としては柳本大佐の提案は無視出来ないものでもあった。
いささか消極的な動機だが、つまりはドイツがやってるんだったら我々もぜひやらなければならない、ということだ。
そのことで、海軍は陸軍に頭を下げて電探のノウハウを伝授してもらうことにする。
陸軍のほうはすでに漢口空襲の半年以上も前に電探の基礎的実験に成功しており、この分野では明らかに海軍に対してリードしていたからだ。
さらに、この電探を陸上基地だけでなく軍艦にも載せようという動きも出てくる。
最優先で載せるのは戦艦や巡洋艦といった水上打撃艦艇ではなく航空機をその主戦力とする空母だ。
相手を視認しながら撃ち合う水上艦艇同士の戦いとは違い、空母同士の戦いは遠距離における飛行機を使った殴り合いだ。
敵が繰り出してくる拳、つまりは敵艦上機を早い段階で探知することが出来ればその分だけリアクションタイムを多く取ることが出来る。
逆に、自軍の空母に漢口空襲と同じ状況が現出すればそれこそたいへんな事態だ。
もし、万一爆弾や魚雷あるいは燃料の搭載作業中のタイミングで被弾した日には目も当てられない。
格納庫内でガソリンや火薬の誘爆がひとたび惹起すれば、戦艦や巡洋戦艦を改造した大型空母の「加賀」や「赤城」でさえ致命傷を免れることは不可能だろう。
貧乏海軍としては、早期警戒能力の欠如を理由に高価な空母を無為に沈められるようなことがあってはならない。
二度にわたる漢口空襲は確かに海軍航空隊に大きな爪痕を残した。
だがしかし、一方で電測兵器の開発を加速させることにもなり、その戦訓は後に大いに生かされることになる。
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