第2話 調理実習はお米研ぎと食器洗い担当でした
惣菜屋で働くのは中年から年配の女性が多く、声の主が気になったものの、それ以上に腹が音を立てて主張してきたので、それで興味は失せてしまった。ジュース一本と唐揚げ、サラダなどをタッパーに詰めてレジに持っていく。
「七百十円です。有難う御座います」
レジ袋を受け取り外へ出る。そろそろ梅雨に向かう風が生温く頬を撫でていく。心持ち重くなった右手を一度ゆすって荷物を安定させてから、図書館に置いてある自転車へ足を進めた。
――料理、そろそろ覚えた方がいいかな……。
ほぼ毎日外食に頼る生活を、貧乏学生としては改めたいと思っている。金曜日が惣菜屋で買う以外はスーパーで適当に揃えるだけに留まっており、一週間置いてある惣菜を順番に手に取るだけだ。寂しい食事事情に陥ってから一年以上経ったわけだが、一向に料理癖が付くことはない。
今まで出来たことと言えば、炊飯器でご飯を炊くか鍋でうどんやラーメンなどの麺類を煮るくらいで、包丁は買ってきて包装を開けることなく棚に仕舞われている。きっと、彼氏の一人でもいればやる気も出るだろうに、部屋に同性の友人以外の誰かが遊びに来たことは一度も無い。
カゴが付いていないため、ハンドルに袋を引っかけ漕ぎ出す。
――暑い。
今日は夏日を超えて真夏日になるらしい、朝のBGMとしてつけているテレビのお姉さんが言っていたことを思い出す。自転車を颯爽と漕いでいるはずなのに、一向に生温い風しか近寄ってきてくれない。半袖が正解だったと後悔しながら袖を捲り上げる。額から居心地悪そうに垂れてくる汗を豪快に拭った。
今は六月に入ったところで、暑い日と涼しい日を繰り返して日が進むだろう。夏本番を迎えてしまえば、今日以上の全身を溶かす気温と毎日付き合わなければならないかと思うと、服を滲ます汗もさらに増えるのだ。夏は暑くて当たり前だが、もう少しどうにかならないだろうか。
幼い頃は、六月はもっと涼しかった気もする。せめて湿度を抑えてからっと晴れてくれたら、幾分か気分も持ち直すだろうに。
「赤……」
信号で立ち止まり、片足を地面に下ろす。途端、全身を息苦しさが取り囲んで身動きを取れなくさせる。上までしっかり留めていたシャツのボタンを一つ開けて、ぼんやりと右から左に流れていく人の波を見つめた。忙しなく動く色たちが視界をまだらにして、夢の中に引き込まれるようだ。
母親の手に掴まり、ふらふらしながら一生懸命歩く子ども、背筋を伸ばして速足で行ってしまうサラリーマン。若い女性に手を取られながら杖を突くお婆さんもいる。
それぞれが誰とも同じでない人生を歩んでいる。自分から見ればどれも似た景色だけれども、確かに違う。その中にはたして自分はいられているのか、雑踏の中からはみ出ていないか、暑さに負けた頭では考え至らなかった。
五分程走らせればすぐにアパートが見えた。雨が降れば濡れてしまう申し訳程度の屋根の下に自転車を置き、外側に設置された階段を上る。二階の奥、狭いながら自由に過ごしている一人きりの城だ。
部屋の中に入る。一目散にエアコンへ手を伸ばした。リモコンで電源を入れ、涼しくなるまで手を洗ったり袋から惣菜を取り出して汗を誤魔化す。備え付けのエアコンは年季が入っていて、五分は待たないと涼しさを提供してくれない。
お腹も空いていたので、シャツを脱ぎ上半身キャミソール一枚になって、箸を持ち上げた。
「いただきます」
誰に聞かれるわけでも、誰が聞いてくれているわけでもなく、独り言を合図に食べ始める。食事のマナーとして、まだ祖父が健在だった頃「いただきます」「ごちそうさま」を言わなければ、すぐさまゲンコツが飛んできた。それが癖づいて、一人暮らしの部屋でも毎日欠かさず言っているわけだ。
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