名前を呼んで

図書館の探し人

第1話 会いたい人がいます

 毎週金曜日午後四時、大学の帰り道にある大津図書館へ足を運ぶ。


 大学に併設されている図書館でもいいけれど、幅広い年齢に向けた市の図書館は、時に思いがけないところで新しい出会いを運んでくれる。まさしくそれが今日だった。

 何年経っても色褪せない瞬間がこの世にあることを、たった一つの屋根の下で知った。


「・・・・・・また被った」


 図書館に出向く時間が自分の中で安らぎになってきた頃、伸びてきた黒髪を邪魔そうに掻き上げながら、神田色葉かんだいろはは本の裏表紙に書かれている名前を見つけた。今日も例外ではなく、記憶が確かなら先々週も同じ名前を見ている。先週借りた本を返して、新しい本を手にした先に書かれた文字とにらめっこする。


 落書きでも何でもない、恐らく元の持ち主だろう。


 ここではリサイクルを謳ってたびたび行われる本の持ち寄りの日があって、市が運営するには珍しい本が並ぶことが珍しくない。そういう類の本に対したまに律儀な人が所有の印に名前を残しているので、こうして名前と対面することがある。しかし、持ち主の名前を見ることが初めてではないにしろ、何度も同じ名前と鉢合わせすることはまずない。


「趣味が同じってことかぁ。随分レトロな……名前もレトロで素敵」


 思わず一人頷く。


 色葉自身、好きな作家と尋ねられてすぐ答えが出るのが存命ではない作家ばかりなので、好みが古いと自覚しているが、ここまで被るのは相当だと思ったら名前も奥ゆかしいものだった。


 一般的に考えれば、年配の人だろう。稀に見る趣味の一致に、どうにか出会いたいと思うが、現実的ではないことも理解していた。

 さらに言えば、図書館に寄付したということは、その本に愛着が無くなったか置き場所が無くなったか、あるいは……持ち主以外が整理のため持ち込んだか。


「今元気にしているかすら怪しいしな。とりあえず、もし元気だとしても、顔が分からない上情報が読書好きと名前だけって無理過ぎだよね」


 ただの大学生に探す術も無く、司書に聞いたところで、万が一知っていたとしても個人情報に厳しい時代に教えてくれるはずもない。


 趣味を読書としているものの、大学での専攻が文学部ではないため、周りに似た人間を見つけることが出来なかった。中には読書をする友人もいるが、流行りの作家を言われいまいち会話がノりきることがない。昔が良くて今がダメなわけではなく、単純に好みなのだ。


「同年代なんて贅沢言わないから、話だけでもしてみたいなあ」


 別段予定として決めているわけではないけれども、金曜日は早く講義が終わりバイトも無いため、お腹が空くまでここで過ごすことが多い。今日も、借りる本の候補を何冊か取り出して空いている席へ座った。席が埋まっているのはまばらで、十席程のそこは半分以上が相手を待っている。


 机の上に置いて、一番上の一冊からぱらぱら流していく。実は、一度と言わず何度も読んだことがある本ばかりだ。一人暮らしの貧乏学生が六畳一間に荷物を無理矢理押し込んで日々を送っているので、家から持ってきた数冊以上に本を増やすことが出来ない。当然本棚も無かった。


 そこで、読みたくなった本を図書館で借りて週末を過ごしているのだが、これが意外と良いアイデアで、無駄なコストも時間も費やさずに済む。テスト前に読みたくなっても、手元に無ければ勉強をするしかなく、負のスパイラルに陥ることも無い。


――今日の気分は、太宰治。


 二冊を残して元の場所へ戻しカウンターへ並ぶ。手続きを済ませ鞄の中へ本を滑り込ませれば、心地良い重みに気分もいくらか高揚してきた。適当に飲み物と惣菜を買って家に帰ったら読書に浸ろうと、この後の予定に心が弾む。


「余裕がある時こそ太宰、無くなったら違うのにしないと」


 図書館に隣接するように立っている惣菜屋に入る。ここへも金曜日の日常になっていて、きっと店員に顔を覚えられているだろうと思いながらも、他の店へ冒険する程食にこだわりも無いためそのまま通い続けている。


「いらっしゃいませ」


 少々低めの、涼やかな声が耳の奥へ広がった。今日のレジ当番もいつものおばさんだから、調理場からの声らしい。らしい、というのはレジ以外の店員は姿が見えないからであるが、声の質からするに若い男性だと思った。

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