第12話 指輪

大介と会うことになって、久しぶりに思い出したことがあった。


それは、

大介は社会人になって一年が経とうし、橙子は地元の企業にもう間もなく就職するという3月。


橙子は、大介の住む街に来ていた。

社会人になる前の貴重な数日を大介と過ごし、明日は橙子が地元に帰るという晩のことだった。

ベイサイドスポットで就職前祝いだと言って大介がイタリアンをご馳走してくれ、

ちょっとだけワインも飲んでほろ酔い気分でテラスに腰かけ、夜景を楽しんでいたら、

「誕生日プレゼントには遅いけどこれ。

本番はもっと、もっとね、いいのを買うから、それまでこれ着けててくれるかな」

橙子の誕生石であるアメジストと小さなダイヤが並んだリングを差し出し、左の薬指にはめてプレゼントしてくれたのだった。


〜あの指輪、どうしたんだっけ。エンゲージは送り返した記憶があるんだけどな。その頃まで着けてたっけ?無くした?ゴミに捨てた?わすれちゃったな。〜


今では手を洗ったりハンドクリームを塗るたびに着脱しなければならない煩わしさから、康之との結婚指輪でさえ何もつけなくなった左の薬指を眺めた。


思い返せば、大介はいつも節目節目に思い出に残るようなプレゼントをしてくれた。

大学に合格した時には時計をプレゼントしてくれたし、20歳の誕生日には旅行先のホテルでカウントダウンしながらケーキのロウソク吹き消したりロマンチックな夜を過ごしたりもした。

大介とはいろんなことを経験する一番大切な時期のすべてを過ごしてきたのだから、思い出や記念の品が多いのは仕方のないことかもしれない。


〜バカみたい、そんないい思い出も指輪も、もうこの世にはないし、あんなに愛を誓い合ったって、続かないものは続かないのに〜


ふっと、バカらしくなって口の端からため息のような笑いがこぼれたときに、康之が話しかけてきた。


「来週、28日と29日なんだけどさ、2日続けて飲み会になったから。28日は職場の忘年会で、29日はいつものメンバーで駅前の居酒屋で飲むってさ。絶対遅くなるから、待たずに寝てて。」


飲みかけのグラスをシンクに置いた康之の左手の薬指にも結婚指輪はない。

娘のひかりが産まれてしばらくした頃に、出先でふと気づいたらなくなっていたのだという。

むちむちとした橙子の手に比べるとほっそりとしたきれいな指を持つ康之の手なら、

スポッと指輪が抜けてしまうこともあるだろうと橙子は思い、康之を責める気にはなれなかった。


ただ、結婚指輪を作り直すこともしなかった。結婚式で交換した指輪でもないし、今更康之に指輪をつけて欲しいとも思わないからだ。そんなお金があるなら、橙子自身が身につけるアクセサリーを買って欲しいと、提案をしたが、もちろん却下された。


康之はプロポーズとか、サプライズとか、プレゼントとか、そういうことを一切しない男だった。


それなのになぜ結婚できたのかというと、大介と別れたことへの意地から橙子が康之との結婚に無理矢理こじつけたから。

とにかく、誰でもよくて結婚できたという既成事実が欲しいだけだから、結婚できるならプロポーズがなくても気にしなかった。

プロポーズは大介がしてくれたし、人生に一度あればいいやと思っていた。ひどい話だがそれだけだった。


それにしてもロマンチストな大介とは正反対のリアリストの康之をよくもまぁ、選んだものだと自分でも思ったが、

形だけとはいえ、婚約指輪も、結婚指輪も、康之からもらえたし、結婚したらそういうこともあまり気にならなくなった。

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