第五章(04) ウースラ

 巨大な葉を少女にかけてやれば、彼女は身に纏った。ハイムギアが考えた通り、どうやら寒かったらしい。


 さらに大きくまた丈夫な葉で、彼女を包む。メサニフティーヴはそれをくわえて空を飛び、ハイムギアに続いて飛んだ。


 カイザロン谷の西。『戦竜機』と人間がじわじわと魔手を伸ばす中、ここはまだ穏やかな場所だった。老婆が住んでいるのは、そこにある洞窟。かつて、獣や山菜を求めてやって来た人間が拠点としていた場所だ。長いこと使われていなかったものの、ある日、この近くを見回っていた竜が人間の姿を見つけた。老婆。それも一人。


 ハイムギアは迷うことなく洞窟の入り口に降り立った。メサニフティーヴは躊躇うものの、彼にならった。

 洞窟といっても、人が住めるように整えられた家。扉があり、閉まっていた。

 どうするのか、とメサニフティーヴがちらちらとハイムギアを見れば、


「――ウースラ婆さん、いる?」


 ぎょっとして、黒い竜はくわえた葉の包みを落としかけた。くわえたまま、尋ねる。


「まさかお前、知り合いなのか?」

「うーん……うん、一応」

「……長老様は知ってるのか?」


 ハイムギアはその質問に答えなかった。ただよそを見て、都合が悪そうに身体をちかちかと透明にさせる。尾を見れば股の間に丸めていた。

 彼は好奇心の強い竜だ――それ故に、接触したことがあるのだろうとメサニフティーヴは察した。


 少しして、扉の向こうで物音がした。初めて聞く声がする。


「なんだいチビ羽トカゲ! またお喋りしに来たのかい! あたしはしないと言っただろう!」


 扉が開き、老婆が現れた。その時初めてメサニフティーヴは老婆を見たが、なるほど無害そうではある。勢いはあるものの、到底、竜に危害をくわえてくる人間とは思えない。

 老婆は家の前に並ぶ竜二体を見て、眉の片方を上げた。


「なんだ、ついに追い出しに来たのかい……全く、居場所がないねぇ!」

「違うよ婆さん、聞いて、大変なことになったんだ」


 そう言って、ハイムギアはメサニフティーヴをつつく。黒い竜はくわえていた葉の包みをそっと地面に降ろした。

 花開くように、銀色の少女が姿を現す。まだ生まれて間もない彼女は、きょろきょろと辺りを見回す。


「まあ! どういうことだい、これは! ……まさかあんた達、ついに人間でも食べようと思ったのかい!」


 老婆は目を剥いた。「まさか!」とメサニフティーヴが憤るものの、次の瞬間には、老婆は家の中に入っていってしまった。すぐに毛布を手に戻ってくる。


「あんた、服はどうしたんだい! ああそれに、この髪の色と目の色……」


 きょとんとする少女に毛布を巻き、銀色の髪を手で梳く。ハイムギアが声を上げた。


「食べようとしたわけじゃない!」

「ああわかってるよ! あんた達竜に必要なのは、月の光、だろう?」


 冗談もわからないのかい、と老婆は彼に悪態を吐くものの、少女に向けたままの瞳には憐れみを浮かべていた。


「それで? この子はどこで見つけてきたんだ……お前さん、人間達に追い出されたのかい? こんな髪の色に、目の色で……」


 少女の髪と瞳の色が、普通ではないこと。竜達も気付いてはいたが、決して迫害されたところを見つけたわけではないと、否定する。


「この子は私の妹だ。私の妹、フェガリヤ……我が母が産んだ卵から生まれたのだ」


 メサニフティーヴが言えば、老婆は首を傾げていた。


 ――事の顛末を二体の竜が老婆に話せば、彼女は言葉を失って、ただ困惑の表情を浮かべていた。一度はからかっているのだろう、と声を荒らげたが、少女のうなじに黒い鱗が間違いなくあるのを認めれば、また黙ってしまった。


 そして終始、少女は黙ったまま。生まれたばかりの彼女は、言葉も何も知らない。


「……あたしにも何もさっぱりわからないよ」


 全てを話し終えて、長い沈黙が続いた。破ったのは、老婆だった。


「とりあえずうちに連れてきたというがね、あたしもさっぱりだよ。竜の卵から生まれた人間なんて……」

「でも、人間の姿なんだ。だから人間のことは、人間に預けるのが一番いいかと思って……ウースラ婆さん、面倒、見られないかな?」


 ハイムギアは猫のように身を低くすれば、上目遣いで老婆を見つめた。だがその言葉に背を伸ばしたのは、メサニフティーヴだった。


「預ける? 待てハイム、お前はフェガリヤを、この老婆に預けようというのか?」


 人間のことがわからないために、ただ聞きに来たと思っていた。やっと生まれた妹。ここに預けるとなると、竜の谷で共に暮らすことはかなわなくなる。


「谷にいさせたところで、どうしたらいいかわからないだろう? この子は人間の姿をしている……かといって、人間であるとは限らないし、けれども明らかに竜でもない……少なくとも、人間と竜、どちらに似ているかと言われたら、今のところは人間だ……谷で『人間の暮らし』はできない。俺達はそれをよく知らないんだから」


 そうハイムギアに言われてしまえば、メサニフティーヴは黙ってしまった。

 けれども、大事な妹なのだ。


「ま……あんた達の言う通り、生まれたばかりだというのなら、飯でも食わせておこうかね。ミルクを飲むような年頃ではなさそうだけどね」


 老婆は深く溜息を吐けば、少女の手を握り、立ち上がらせた。そのまま家に連れて行こうとするが、少女は、う、とかすかな声を漏らし、黒い竜に寄り添った。


 どうやら、兄から離れるのが嫌なようだった。メサニフティーヴは驚くも、喜びを覚えた。しかし、ハイムギアの言葉を思い出し、妹を見下ろす。


「大丈夫だ。ほら、進みなさい」


 軽く鼻先で押してやれば、少女は老婆に連れられ歩き出す。

 その後ろに、メサニフティーヴはついていくが。


「ちょっとお待ち! あんたまさか、家の中までついて来るつもりじゃないだろうね? そんな図体で、入れると思ってるのかい!」


 家の扉は、明らかにメサニフティーヴより小さかった。ハイムギアでもぎりぎり入れるかどうかという大きさだ。


「しかし、フェガリヤが……」

「外で待ってな! 羽トカゲめ。大体ねぇ、兄だと言っても、この年頃の女の子の裸なんて見るもんじゃないんだよ!」


 ばん、と扉が閉められる。残されたメサニフティーヴは、そこから動こうとしなかった。伏せれば、言われた通りに待つ。

 妹が心配でたまらなかった。


「ハイム、お前の考えは、正しかったのか?」

「これしか考えつかなかった」


 と、ふとあることを思い出し、黒い竜は頭をあげる。


「しまった、見回りの時間だ……」


 じわじわと人間、そして『戦竜機』の魔手が迫る谷。見回りは欠かせなかった。谷に深く侵入される前に、敵を追い払わなくてはいけなかった。


「じゃあ俺が代わるよ」


 小さな竜が四足で立ち上がる。


「妹のこと、心配なんだろう?」


 その姿がちかちかと瞬けば、すぅ、と消えていった。ハイムギアは竜の力を使い、姿を透明にすることができる。そうして奇襲をかける戦士だった。


 空気が大きく動くのを感じた。ハイムギアが羽ばたいたのだろう。恐らく飛んでいった空を見上げ、メサニフティーヴは再び視線を扉へ向けて静かに待った。

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