第五章(05) 『賢竜』ハイムギア

 老婆ウースラに預けられることになったフェガリヤは、最初こそ何も知らない赤ん坊のようだったが、すぐにあらゆることを覚え始めた。


 メサニフティーヴは数日の間、ウースラの家の前から動かず妹の様子を見守った。その間、一日に一回はハイムギアが様子を見に来た。

 やがてウースラがフェガリヤをちゃんと育てられること、またフェガリヤが順調に物事を覚え始めたことを認めて、メサニフティーヴもやっとその場を離れた。そして竜の里とフェガリヤの元を行き来するようになった。


 一年も経たないうちに、フェガリヤはその見た目通りの、あるいはそれ以上の知能を身につけた。


「ほら、あんたの心配性な兄様が来たよ」


 ウースラに言われて、フェガリヤは本から顔を上げればぱっと笑みを浮かべる。急いで外に出る支度をすれば、扉を開けた。


「兄様!」

「今日も元気だな、フェガリヤよ」


 兄が垂らした頭に、フェガリヤは抱きつく。それから背によじ登ろうとするがうまくいかず、メサニフティーヴが頭と尾を使って手伝い、ようやく銀の少女は背に乗る。


 フェガリヤを乗せて、メサニフティーヴは羽ばたいた。目指すは谷の最奥部、竜の里。


 ――いまでは、フェガリヤも竜の里とウースラの家を行き来していた。一度様子を見せるため、谷に連れて行ったのがきっかけだった。


 竜の卵から生まれた銀の少女。その成長に、長老をはじめとした竜達は驚いた。そして最初こそ警戒していたものの、受け入れた。


 彼女のうなじには、間違いなく黒い鱗がある。そして銀の髪と瞳は月の色そのものであり――竜と同じく、月の光を受けて生まれたことを意味しているように思えた。

 姿は大きく違えども、生まれは間違いなく同じ。いまでは誰もがフェガリヤを仲間と認めていた。子供達は彼女を交えて遊び、大人達は竜の知恵や昔話を伝える。


「今日は追いかけっこしようよ!」

「いいや、かくれんぼ!」

「長老様に悪戯するのは?」


 竜の里に着けば、すぐに子供達がメサニフティーヴを囲んだ。彼の背から下りて来たフェガリヤに、子供達はわあわあと声をかける。竜の子供達と遊びに行く妹を、黒い竜は見送った。


「歌ってよフェガリヤ!」


 と、一体の子竜がせがむ。フェガリヤは笑って歌い始める――その歌声に、子供達だけではなく、周囲の大人の竜達も振り返り、耳を傾ける。

 彼女は歌が上手かった。谷の誰もが、彼女の歌声を愛していた。


 ところで、フェガリヤはやはり、ただの人間ではないようだった。

 ウースラの話によると、どうやら彼女は食事を必要としないようだった。することはできるために「人間の生活」としてウースラは食事を与えているが、彼女は空腹や喉の渇きといったものをほとんど感じていないらしかった。


 またひどい熱を出したことがあったが、一晩で治った。この時ウースラは、薬がなければ危ないかもしれないと考え、万能薬になると言う竜の血をメサニフティーヴ、あるいはハイムギアから分けてもらおうと思ったらしいが、どちらかが来る前にフェガリヤは回復した。その他にも、料理を教えている際、フェガリヤは指を切ってしまったが、傷はすぐに癒えたという。


 睡眠を必要としたり、疲れを覚えたりはするものの、やはりフェガリヤには、何かがあるようだった。

 彼女は一体何者なのか。それは誰にもわからない。そもそも何故、生まれたのか。


「……竜には、存在することに意味がある」


 ハイムギアは言った。


「俺達竜は、世界が世界であるための要だ。俺達の存在が、世界を創る。それは時に破壊となり得るが創造も破壊も同じだ……俺達は、理由があって生まれてきた」


 竜。世界を育む存在。草木の成長を促したり、風を起こしたり、澄んだ水を湧かせたりする。時に救いと呼ぶべき奇跡を、時に試練と呼ぶべき災害を起こす。

 世界の主の座を人間に譲ったいま、竜の力はすっかり衰えてしまった。だがなくなったわけではない。竜がいるからこそ、大地に力が降り注がれ、命が芽吹く。

 ハイムギアは続けた。


「あの子が何故生まれたのかはわからないが……間違いなく、何か意味があるんだと思うよ。決して何かが狂ったわけじゃない。そして彼女の生まれた意味は……きっと必要になった時に、わかるんじゃないかな」


 妹を愛してはいたものの、数々の謎に対し、メサニフティーヴは不安を抱いていないわけではなかった。

 しかし友の言葉で、彼はその不安を静かにしまい込んだ。

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