創作落語「赤いきつねとまるいやつ」
朝飯抜太郎
創作落語「赤いきつねとまるいやつ」
「ちゃう、ちゃう。あー、全然あかんわ。何度言えばわかんねん」
師匠が苛立って、袖に手を入れる。まずいな、あと一回くらいか。
でも、こちらとしては、あかんとだけ何度言われてもわからんもんはわからんと思う。でも言えないので、申し訳ありません、もう一度よろしくお願いしますと頭を下げて、頭からやる。
咳払い。「ええから、はよ、やれ」うるせえ。
まずは左手の親指を上に、人差し指から小指までをそろえて下にして、コの字で想像のカップをつまんだら、手首をひっくり返す。カップがあれば裏側にあたる空中を、右手の人差し指を曲げて、何度かカリカリと動かす。少し眉間にしわを寄せ、左手も持ち替え、多少のイラつきを表現して、人差し指を大きく動かして、そのあとは手際よくビニールを剥がす……ように右手を動かす。
次に、カップをもとに戻し、側面を左手で抑え、右手は、カップの上、手前側をつまむようにして、ゆっくりと奥側に動かす。
「めくりすぎや、半分でええねん、半分で!」
昨日はちょっといき過ぎるくらいが良いって言ってたろーがよ!
顔には出さず、右手を一度離して、カップの中に手を入れて、人差し指と親指で粉末スープの袋をつまむ。そのまま持ち上げて、手首を使って小刻みにゆらしてから、左手に持ち替えたら、左手の指の少し上をつまんで、さっと右に素早く動かす。とたん、びくっと肩を動かして、慌てる。これは粉末のスープと繋がって入っている七味唐辛子の袋まで切ってしまった表現だ。師匠は、フンと言ったきりだったが文句は言わなかった。
次いで、粉末スープを中に入れ、右手を伸ばし、やかんを持ってきて、カップの上で静かに傾ける。
ここは緊張感を出すんだと、師匠にいつも言われる。危険な熱湯と、ちょうど線の所まで入れなければならない緊張感を出せと。確かに師匠の熱湯入れは、何もないはずの空間に引き寄せられるように感じたことをよく覚えている。
「軽くすんなよ。緊張感出せよ」
よしと小さく声を出して、やかんをおく。右手で蓋を閉めて、カップのふちのところでつまむ。
そのあと、右手をカップの上に置いて、しばらく目を閉じて待つ。
そして、おもむろに目を開けると、再び左手をカップに沿わせて、右手でふちの手前側をつまんで、一気に向こう側へやる。
ほぉーという声を出した後、割りばしを割って、さあ、食べるぞと目を輝かせ、
「そこまでや」
俺が初めて見た凍陽亭翠山の落語に感動して、弟子入りしたのは三十の頃。もう四十になるが、もちろん、まだ二枚目だ。その間、俺が師匠に習ったのは、このカップうどんの作り方と食べ方だけだ。それだって師匠のを見て覚えただけだ。たまに師匠がわざわざ寄席の日に楽屋で俺の落語を見てくれるが、「あかん」「だめ」「それまで」それで終わる。今日もそうだ。
まあ、腐ってもしょうがない。
気持ちを切り替えようとした俺に対して、師匠が言ったのは、予想外の一言だった。
「お前、今日の出番、『まる』やれ」
『まる』は、師匠の創作落語『赤いきつねとまるいやつ』の略称だ。
まっ、まだ心の準備が。
「やれるやろ?」
「はい」
気づく前に返事をしていた。遅れて、覚悟が決まる。
師匠は、楽屋のかばんから、何かを取り出した。
それは、赤いフタのカップ麺だった。『赤いきつね』と大きな字でプリントされている。
「し、師匠、どこでそんなもの」
「どこでもええやろ。仮にも『まる』やるんや。本物見ておかんとな」
そういって、師匠は、かばんから水筒を取り出した。
「何見とんねん、お前の分はお前がやんねんぞ」
俺は、何が何だかわからないまま、生まれて初めて本物のカップ麺のフタを開け、お湯をもらってきて、注いだ。二人で畳みに胡坐をかき、目の前に置いた二つのカップを無言でにらみながら、5分待って、また無言でフタをめくった。
俺は湯気に眼鏡を曇らせながら、うどんをすすった。
ちぢれて平たい麺が、お湯の温度のせいか少し硬めだが好みの食感だ。なにより、スープの出汁の味が優しい。本番前に、こんなに安らいでいいのか。
師匠はというと、俺の10倍はリラックスしていた。いつの間にか羽織を脱いで、胡坐に後ろ手をついて、楽屋の天井をながめている。あんたも本番だぞ。
「あー……うまい」
「そうですね」
うまい。それは間違いない。
ああ、もうすぐなくなるぞ。クソ……もっと大きいカップならいいのに。
「よう頑張ったな」
いつの間にか、姿勢を戻して、師匠がこちらを見ていた。
そのとき、その瞬間に、十年目にして初めて聞いた師匠の言葉が、俺の十年間を串刺しにした。
俺は咄嗟に頭を下げた。眼鏡が曇っていて、良かった。
「あり……ありがとう、ございます……」
何とか、それだけつぶやいた。
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さて、きつねは家の蔵から見つけた奇妙な丸い椀のようなものの正体が、どうやら『旨いもん』であることはわかったもののどうやって食べればいいのか、全くわかりません。きつねとたぬきは、とうとう頭を抱えてしまいました。
「なんなんこれ? なんなんや、これ。もう捨てたろか!」
「ほな捨てよ」
「捨てるかい!」
「情緒が不安定やな。きつねどん。まあ、落ち着いて。とりあえずコレ飲んで」
「ありがと……んぐっんぐっ……って、これコーンボタージュやないか! しかも冷えとるし!」
「いや、落ち着くかなと」
「冷製スープで、冷静になれって? アホか!」
「いや、俺の言いたいのは、冷製スープで、冷静になれっていうことや」
「それ今言ったやつや~。もう怖い~!」
みかねたたぬきは、村でもっとも年を取った年寄りの先生のところに行くことを提案します。
「きつねどん。思ったんやが、もしかして長老なら知っとるんちゃうかな。長ーく生きてらっしゃるしな」
「長老か~! おったな、この村にもそういうキャラ」
「キャラ言うな」
「でもなぁ。長く生きすぎて、ぜんぶ忘れてるんちゃうやろか。そういう属性の長老やなかった?」
「属性とか言わんといて。ほんま、失礼なやっちゃな……そんなわけないやろ」
「いや、パソコンでもスマホでも、古い機種はびっくりするほどメモリないからね」
「長老は半導体やないから。ひとはそんな短期間で、高密度になっていかんからね」
「一導体くらいはある?」
「何の話!?」
それでも、とりあえず、きつねとたぬきは長老の所に行きました。
「長老!」
「おお、久しいな。二人とも。ようきた、すわりなさい」
「相変わらず長老ムーブが板についとりますな」
「華がありますね。多少、鼻につきますが」
「ほっほっ。なんだか、いますぐ帰ってほしいのぉ」
「実は教えてほしいことがありまして……」
「これなんだけど、どうやって食べるかわかる?」
長老。差し出された、丸い椀のようなものを手にとって眺めます。
「ほぉー! ほぉほぉ。なるほどのォ……こりゃ、珍しいわい。ふむふむ」
「くぅー! 焦らしますねぇ……」
「ためてくるぅ~」
「君たち……まあ、ええじゃろ。ためはこの辺にして」
「やっぱ、ためてるや~ん」
(長老、咳ばらいを一つして)
「これはな、カップうどんぢゃ!」
「ぢゃ!」
「設定極まってる~」
「関心そこぉ~? まあ、ええ……これは、お湯を注いで少し時間を置けば完成するインスタントのうどんじゃな」
「おぉぉぉ~! さすが長老!」
「よっ!生きた化石! 特級遺物! アーティファクト!」
「なんか、褒めてなくない?」
「……で、この表面の文字読める?」
「『あかいきつね』と書いてある。あと、作り方じゃな。ちゅうか、最近の子は日本語もインストールしとらんのか」
「日本語? まあ、使わんし……って、え、これが『あかいきつね』!? マジで!?」
「へぇ~!昔は、こんな形してたんだ。今とぜんぜん違う」
富裕層を除いて、食事はフードプリンターにより出力される時代に生まれた彼らにとって、お湯を注いで自分たちで作るうどんというものは不思議でしょうがないようです。さて、長老の言う通りに、彼らはうどんを作り始めます。
「まず包装紙をはがすのぢゃ!」
(かりかりと、包装材を破って開けるきつね。フタを矢印から少し行き過ぎるくらい開けてしまい慌て、七味唐辛子まで開けてしまい泣きそうになり、お湯をこぼして、火傷しそうになりますが、やがてフタをして5分が経過する)
「さて……では、いただきます」
(まずはダシを飲む。難しい顔のきつね。次にうどんをずぞぞとすすり、もぐもぐとしてから、おもむろに油揚げをがぶりとやって、またもぐもぐ。そしてまた、うどんをずぞぞとすすり、ため息をつく。)
「おい……! どうやった? 感想は? なんか言えや!」」
待ちきれない風のたぬきに向かって、きつねは難しい顔をしたまま言います。
「期待して損したわ……」
「マジでか~! まずかったんか? 100年以上前のやつやもんな。ポンポン痛くない?」
「いや」
「いや?」
「俺は、『赤いきつね』が好きすぎて、アバターもハンドルネームもメールアドレスもあらゆるログインIDもパスワードもぜんぶ『赤いきつね』か『Oh my love red fox』にしてる」
「まごうことなき異常者やね」
「その俺が言うんやから間違いないと思うんけど」
「間違いしかない気もするな」
「この『赤いきつね』は、ぜーんぜん、おもしろくない。だって、今とぜんぜん変わらんねん! ただ、はちゃめちゃに旨いだけ! むちゃくちゃに旨いだけ!」
そうして、きつねはスープをぜんぶ飲み干しました。
創作落語「赤いきつねとまるいやつ」 朝飯抜太郎 @sabimura
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