第2話 晴臣



 あれは、中学の時だった。田舎町の中学校で過ごしていたころの話だ。

 俺は隣の家に住む幼馴染の夢が好きだった。いつ好きになったかと言われれば、いつの間にかというしかない。夢はまるで妹のように俺に懐いていた。いつも、手を差し出すと、小さな手でぎゅっと握り返してくれた。けれど、恋愛対象に見てもらわなければと、中学になった頃からは”先輩”を付けて呼ばせるようになった。好きという気持ちが進行して、緊張してしまい、俺は夢と以前より気軽に話せなくなっていた。

 同い年の聖子には、異性として認識することはあまりなかったので、男友達のように一緒にいることが出来た。聖子という存在があったことで、夢への好きという感情が恋愛感情だとハッキリしたのだと思う。

 

 中学三年の秋、たまには夢と一緒に帰っていた。昇降口で会うと、必ず公園で遊んで帰った。


「夢、俺さ、高校は東京の高校に行くことになるんだ。」


夢と離れ離れになることは決まっていた。少しでも悲しんでほしかった。最近はたまに、夢の妄想をしてしまうことがあった。


「そうなんだ。皆、ここを出て行くもんね。」

「寂しいだろ。」

「そりゃ、寂しいよ。だって、ずっと子供のころから一緒にいたんだもん。」

「だよな。」

「聖子ちゃんは?聖子ちゃんも出て行くの?」

「聖子?聖子は関西の方に行くって言ってたよ。」

「そっか。…バラバラだねえ。」

「うん。バラバラ。」


 手に息を吹きかけて温まる夢の頬は心なしか赤い。夢はやっぱり俺と離れたくないんだ。小さいころから一緒だった俺と、ずっと一緒にいたいって言っているように聞こえていた。

 そんな妄想が毎日一度は起こっていた頃だった。何故か俺は、夢が俺のことを好きなんじゃないかという錯覚に陥っていた。

 俺は、祭りの前日に神社へ行って「これこれ。」と夢の作った紐を手に取った。そして、鞄へ入れて持って帰った。神社にはこの辺の人だったら簡単に入ることが出来た。その上、成績もよく、品行方正だった俺を疑う人は一人としていなかった。けれど、家へ帰って自分のやったことが段々と現実味を帯びてきた。

 俺の妄想では夢が俺に言ったのだ。

「晴臣先輩、私の紐もらって欲しい。」

それは頬を赤らめて、そう言うのだ。

「私が、大事に作ったから。離れても思い出せるように。」

自分勝手に、何か思い出の品が欲しいだけだったんだと思う。

現実では紐が無くなったことで、大騒ぎになっていた。あんなに普段優しい夢の両親は、怒り狂っていた。俺は怖くなり、自分が盗んだことを言い出すことが出来なかった。


 三月のはじめ、俺たちの卒業式が行われた。卒業式の日、聖子は俺の家へ挨拶に来た。親友と離れるような気持ちで、俺たちはしんみりしていた。

 用を足して聖子のいる部屋に戻った時、聖子は机の前でじっとしていた。俺は不思議に思い、「聖子?」と聖子を覗き込んだ。

 すると、聖子は俺の机の引き出しを開けていた。そこには、夢の紐が入っていた。俺は、ひゅっと息を呑んだ。それと同時に、聖子がこちらを振り向く。


「見つけちゃった。ねえ、これってやばくない?」

「いや、これは。拾ったんだ。落ちてて。おじさんたちに渡そうと思って、ここに入れてあって。」


思いつきのわりには上手くいったと思った。けれど、聖子はにやりと笑っていた。


「ごめん晴臣。私知ってたの。お祭りの前日、私も神社にいたんだよね。襖の向こう側。晴臣が取ったの見てたよ。」


そう言ってスマホを触りだす。「ほら。」とこちらに向けたスマホの画面にはしっかりと俺が夢の紐を鞄にしまうところが写っていた。


「ね。秘密にしてあげるから、この紐くれない?」


俺はそれを承諾するしかなかった。



 次の日、聖子が車に乗り込み、車が走り出すと、俺は反射的に車を追っていた。だって、あれは俺の紐だったのに。大事な夢にもらった紐だったのに。俺は悔しくて悔しくて、遠のいていく車を前に、「ちくしょう!」と小さく自分にだけ聞こえるように呟いた。

 その次の週には、俺は東京へ引っ越した。結局現実では夢に何も言えなかった。けれど、俺の妄想内の夢は、「東京で待ってて。」と俺に言った。



 それから何年かして、夢から連絡が来た。なんと、東京の俺の通う大学に進学するというのだ。願ってもないことだった。大学に通うようになって大学の近くに一人暮らししていた俺は、また夢とご近所さんになれる日が来るとは思わなかった。俺の心はあの頃と何も変わっていなかった。

 それを知っているかのように聖子からも連絡が来た。

「夢ちゃん、晴臣と同じ大学に通うんだって?おめでとう。健康には気を付けてね。」

 紐を奪っていった割には、あいつも応援してくれているんだと思うと心強かった。


 夢がこちらに引っ越してきたので、会うことになった。待ち合わせ場所に行くと、あの頃よりずっと大人っぽくなって綺麗になった夢がいた。


「晴臣くん。」

「こら、先輩って言えって言っただろ。」 

「良いじゃん、もう大学生なんだよー。」


 街で夢とカフェに行ったり、映画を見たりするのはとても新鮮だった。たまに、俺の妄想じゃないかって心配になるくらいだ。あの頃、想像していた未来がここにあった。

 帰りになると、夢は「昔みたいに手をつなごう。」と言ってきた。高鳴る心臓を抑えて、彼女の小さな手を握る。夢の手が、愛しくてたまらない。


 夢のマンションにつくと、その幸せな時間は終わりを迎えた。


「じゃあ、大学でよろしくね。」

「うん、またな。いつでも連絡しろよ。」


 振り向いて、歩き出すと「晴臣くん!」と夢が俺を呼ぶ。


「私、晴臣くんのこと、好きだったんだ!ずっと前から!」


 少し頬を赤らめた夢は、ふうと息を吐く。


「それで、今も、好きだから!」


 そう言って、真剣な顔をした。


「俺も!俺も好きだよ!」


 俺も、真剣な顔でそう言った。夢みたいだ。夢が俺を好きだって言っている。

俺は、夢のところまで戻って、夢を抱きしめた。

そしてもう一度、また明日と言葉を交わして俺は家に帰った。


 夢が俺を好きだと言った。

俺は、人生で一番幸せな気持ちで眠りについた。


 朝、スマホの着信で目が覚める。

実家からの電話だった。


「もしもし?何?朝っぱらから。」

「あんた!夢ちゃんが!夢ちゃんが亡くなったって!」

「は?何言ってんの?」

「心臓発作だって!夜中に!あんた夢ちゃんがこっち来てから会ってなかったの?!」

「嘘だろ?会ったよ。きのう。会ったよ…。」


 ドクリと心臓が波打った。

 俺は訳が分からなくなっていた。そして、自分を疑い始めた。あの昨日の出来事は実際、夢だったのか?だけど、あんなにリアルな妄想もそうそうない。だけど、あんな元気だったやつがそんな急に。そんなことあるか?

 動揺する俺の耳には母親が騒ぐ声が聞こえなくなってきていた。


「晴臣!聞いてるの?」


目を閉じると、夢が笑っていた。


「晴臣!晴臣!!」

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