第2話 舌なめずり

「いやぁ、アリスさんと話してなかなか有意義な時間を過ごせたよ。じゃ薫さん、また来るね」

「はい、いつでもお立ち寄り下さい」


 きよら様はお会計を済ませて私の手を握ると、笑顔でアリスさんに手を振ってお帰りになった。両手をひらひら振って応じていたアリスさんは、にこっと私に笑いかける。


「良い時間を過ごされたようで何よりです」


 ありがとう、と答える声は満足げだった。


 誰とでもすんなり打ち解けられるのはアリスさんの美点だ。物怖じせず、相手の笑顔を引き出す術を心得ている。自身の美貌をも巧みに使いこなし、魅力ある空間を生み出す彼女には、カリスマという言葉が似合う。


「でも、貴女はいつまでも、あたしに染まって下さらない」

「……え」


 ――顔に出ていた?


 アリスさんは私を見つめていた。その目。いきなり大勢の観客が注目する舞台に引きずり出され、ショッキングピンクのライトで無慈悲に照らされたような恐れに晒す、目の強さ。こちらが望む好ましい姿を見せよと、服従せよと語りかける。人形を操る為の糸が四肢に絡んでくるような、不快感が走った。


 ――この人が定める、今この時の正解を演じなければ、私は軽蔑される。


 後退りしながら、粟立つ手首を擦った。すると、アリスさんの目からフッと色が消えた。


「オドオドなさらないで。美しいあなたにそんな弱々しい顔は似合いませんわ」

「す、すみません……」


 冷たい声色に縮こまる。我ながら情けない、と思うのに同調するように、アリスさんは大きく溜息をついた。


「もういいわ。それより、早く今日の花束を見繕って下さいな。楽しみにしてるんですから」

「は、はい。少々お待ち下さい。すぐにお渡しします」


 袖を引っ張って手首を隠しながら、私はカフェと隣接している花屋の方へ早足で向かった。アリスさんも優雅な足取りでこちらにやってくる。


 アリスさんは来店される度に小振りの花束を所望される。完成した花束を自宅でどう飾るかより、バラバラの花が一つに纏まっていく過程に興味があるようで、アリスさんは花の選定からアレンジまで私に一任している。


 ――今日のお召し物と髪型に合うのは、これかな。


 メインになる花を、アリスさん用に取り分けていたものの中から選び取る。アリスさんが好む雰囲気を踏まえながら、可憐な華やかさが際立つ花を合わせ、最高のドレスを着せるつもりで包装する。


 花は不思議だ。生きているだけで耐え難い程の麗しさを誇る。それをこの手で着飾らせるのは至福だった。花束を作る時は、根を失った彼女達の身を、畏れ多くも委ねられているような心地になる。このひと時に代わるものなどない。愛おしい存在が更に美しくなる為に奉仕出来るのだから、贅沢すぎる幸せだ。


「……人が変わったよう、ですわね」

「…………はいっ?」


 集中していたせいで、返事がワンテンポ遅れてしまった。アリスさんは咎めようとはせず、柔らかく微笑む。


「こちらの事ですわ、愛しい人」


 今しがたの冷気が嘘のように、優しい熱を帯びた声だった。蜂蜜のようにとろりとした恍惚が、アリスさんの瞳を潤ませている。私はアリスさんにとっての正解を知らずの内に引いたらしい。


 曖昧に微笑み返し、そそくさとリボンを結ぶ指先に集中した。ぎこちなく何度も結び直したリボンはくしゃくしゃになったから、諦めて新しいリボンを用意した。そっと息をつく。

 アリスさんの事は嫌いじゃない。美を保つ努力をしなければ得られないものを持ち、確固とした己の芯に誇りを感じている姿に、私は羨望すら抱いている。しかし、どうにも噛み合わない。私は、私の上辺を切り裂いて期待を塗りたくっていく彼女の目が、苦手だ。

 捨てたリボンは、取り返しがつかないくらいシワだらけになっていた。


◇◇◇


 店を閉めた後、私はきよら様の魔法に身を任せ、ある場所に向かっていた。お会計の際、きよら様が私の手に握らせた紙片。そこに私を突き動かすものが記されていた。


 馬車に揺られて野の焼ける匂いを浴びながら、私は夕暮れの金を波打たせる草葉を見つめた。可能なら、私は風になりたい。花を慈しむ清風になれたらと、幾度となく考えては嘆息して願いを捨ててきた。今もそう。

 人の思惑を色濃く宿した視線には体温が乗っていて、それを向けられると、顔をベタベタ触られるようで落ち着かない。


 もし、と、靡く野草を見つめる。花が顔というものを持ったらどうだろう。彼女達が立ち上らせる清らかな艶美が、もし視線となって私を見据えたら。


 ――そうしたら、私は永遠の恋に落ちてしまうかもしれない。


 ふふ、と笑みをこぼす。フッと浮かんでは淡い酩酊を香らせて、シャボン玉のように弾けて消える夢物語。少女とは言えない歳になっても、そんな泡沫で遊んでは癒やしを得る癖というのは抜けないものだ。

 いくら望んでも、現実になりはしないのに。

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