三.百足
「ふっ!」
気合一閃。
フルクマは大きく踏み込みながら袈裟懸けに剣を振るう。
狙う先は巨大な岩塊であり、それだった。
岩塊と見えたのは、それの巨体を支える脚の一つだ。
人間の胴体ほどの太さと長さを持つその脚。
一見するとただの大岩か鍾乳石にも見える。
だが――しかし、違う。
『ギィイイッ!』
甲高い鳴き声を上げてそれが蠢く。
だが足の一本に傷がついた程度で、どれほどの痛痒になるか。
フルクマにも確信が持てない。
それとは――この岩屋に棲まう、恐ろしく巨大な、大百足なのだから。
「……お、ぉ……ッ!?」
毒液を滴らせて襲いかかる大百足の顎。
あわやという所で身を退けて生きながらえる。
硬質な脚を打った両の手はじりじりとしびれ、息は覚束ず、体も重たい。
見上げるほどに巨大なムカデは、松明を何百本か束ねたような異様な様相。
人の相手取るものではないように思えた。
「……姉さん、いきなりこれは乱暴過ぎやしないか?」
「あらぁ、そんな事ありませんよ? 私達だって、やった事ではありませんか」
巌窟の何処かから、姉妹のくすくすという愉快そうな話し声が聞こえてくる。
岩屋に連れてこられたフルクマに、スクナは笑顔でこう言ったのだ。
『鬼を殺したいなら、まずはこの程度が
(道理では、ある……!)
フルクマに否やはなかった。
刀を握り、襷をかけ、鉢巻を巻いて、こうして大百足と対峙している。
不満があるとすれば――この刀だ。
(重く、鈍い……!)
ヒコナに取り上げられた刀の代わりとして、スクナが二本の腕で差し出した刀。
鞘に納まったそれは、刀というよりも鉄棒の如き、なまくらであったのだ。
百足の外殻を、これで断てるとは思えない。だが――……。
『グォオオオッ!!』
「で、ええええいッ!!」
フルクマが渾身の力を込めて振り下ろす、全力の一打。
だが刃は硬い表皮に弾かれるだけで、食い込む気配すらない。
かわりに、フルクマの腕に強烈な反動が来た。
大百足の脚に蹴り飛ばされ、フルクマは勢いのまま尻餅をつくように後転。
身を起こす。刀を構える。次が、来る。
「けど、こんな調子じゃあ、喰い殺されちゃうんじゃあないのか?」
「あらヒコナ、心配なのですか?」
「別に」とヒコナが鼻を鳴らす音が聞こえた。「後始末が面倒臭いだけだ」
そういえばつい先程、最初に会った時もスクナは同じ事を言っていた気がする。
(……面倒か)
フルクマは苦笑し、改めて目の前に立ち塞がる大百足の巨躯を見上げた。
そして……その時、ふっと奇妙な感覚に襲われた。
(なんだ……)と疑問を感じた次の瞬間には消えてしまうその不思議な感触。
それは、つい今しがたも――……。
(今はいい……集中しろ!!)
思考を中断して視線を上げると、こちらに向かって大口を開ける大百足の姿。
慌てて飛び退りながら腰を落とす。
――間一髪の差で、頭上を大百足の牙が通り過ぎる。
「ただ闇雲に打っても、ダメですよー?」
(……その通りだ!)
フルクマは肩で息をしながら立ち上がり、両の手でしっかと鉄棒を握り、構えた。
この大百足の、何処を打てば良いのか。何処が弱点なのか。
『キィィィィィッ!』
大百足が鎌首を持ち上げ、口を開いて突進してくる様が見える。
避けなければと思うが、脚が動かない。
身体は限界に近い疲労を訴えているが、それでも、まだ、心は折れていない。
「て、ええええやああッ!!」
フルクマは身を捨てて転ぶように大百足へ向かい、その鉄棒を振り上げた。
しかし、それを見た大百足も素早く反応を見せる。
のたくって回避しようとする動きに合わせようとすれば、体勢が崩れる。
崩れたならば、死を招く一撃を食らうだろう。
咄嵯にフルクマはそのまま体を捻り、回転するように横薙ぎの一撃を放った。
「いいいやあああッ!!」
『ギイィイィイィィッ!?』
遠心力を乗せた一撃が、大百足の触角を千切り飛ばす。
たまらず、大百足は頭をもたげてのたうち回った。
「まぐれだな」
「いえ、まぐれでも実力ですよ」
ヒコナの無慈悲な評価に、スクナはくすくすと笑って首を横に振った。
「人の身では、鬼の膂力に敵いません。だからこそ刀を使い、弱点を突く……」
そう言ってスクナは微笑んだ。
「それを理解しなければいけませぬよ?
人の力だけで、鬼を討つことは出来ませんから……」
まるでフルクマを慈愛の目線で見つめているかのような雰囲気。
だが――実際には、ただただフルクマを冷たく観察しているだけなのだろう。
ヒコナには、それがよくわかる。
「どうですヒコナ、見どころがあると思いませんか?」
姉の気配に、ヒコナは小さく鼻を鳴らした。
「少なくとも私より弱い。ダメだろう、あれでは」
姉妹の会話など、フルクマの耳には届いていない。
彼は今の手応えを、信じられないような面持ちで確かめ、鉄棒を握りしめた。
(通った……!)
正しく動き、狙い、打てばこのなまくらでも大百足には通用する。
刀であったならば、どうであろうか。もっと威力が出たに違いあるまい。
(――よし……!)
フルクマはじり、と。摺り足を送る。
間合いを保ちながら、苦痛に身悶えする大百足が再び鎌首をもたげるのを待った。
(落ち着け……焦ることはない……)
冷静さを欠いてしまえばそれまでだ。
自分に言い聞かせつつ、フルクマは呼吸を整えていく。
倒せぬ相手ではない。とにかく相手をよく見て動け。それだけだ。
(……まずは……そうだ)
あの大顎。鋭く、恐ろしいが――さりとて根本までそうとは思えぬ。
人の歯、獣の歯とて抜けるのだ。百足のそれがそうでないとは、言い切れまい。
「でえええりゃあああっ!!」
此方へ突き進む大百足。
振り下ろした鉄棒が、びしっと音を立てて大百足の牙にめり込む感触があった。
確かな手ごたえ。だが――浅い。
(ちいっ!)
大百足の勢いは止まらない。
そのまま地面を削りながら獲物を押し潰そうとするが――フルクマは諦めない。
足に力を込めて踏ん張り、牙をかわし、幾度となく繰り返し顎を鉄棒で打つ。
致命傷は与えられていない、が――……。
(向こうとて、俺を殺せぬのだ……!)
であれば状況は五分。最初に比べれば、随分と上等な勝負ではないか!
「……ふむん……。これは少しだけ……」
それを眺めていたスクナは呟いた。
そして傍らにある双子の妹の方を向くこともなく、淡々と言葉を続ける。
それはただの確認に過ぎなかったのだが――その声色だけは楽しげですらあった。
「面倒なことには、ならないかもしれませんよ?」
「どうだかな」
ヒコナの側の肩が僅かに上がった。肩を竦めたのだろう。
彼女は興味なさげに――けれど、ふと。
金色の視線が大百足と苦闘する、フルクマの方を向いた。
「む……」
「どうかしましたか? ヒコナ」
「別に」
素っ気なく答えるヒコナの声を聞いているのかいないのか。
「そうですか」とスクナは再び大百足との戦いへと意識を向けた。
「うおおおっ!」
『ギィアァアアアッ!!』
フルクマの渾身の一撃が、とうとう大百足の顎を打ち砕いた。
折れ飛んだ下顎の破片を浴びながら、フルクマはその顔を上げる。
――瞬間、全身を寒気が走った。
「な――!?」
咄嵯に身を捻って横に転げたフルクマの背後から、轟音が響く。
恐ろしく巨大な何かの気配を感じ、フルクマは飛び退く。
見ればそこには大きな穴。先程まで彼が立っていた場所は跡形もない。
それは想像を絶する―――大百足を前にして尚、遥かに超えるものであった。
(なん、とお……ッ!?)
真横に薙ぎ払われたのは尾であるらしい。
蛇のように長いその先端は二股に分かれていて――……。
(まるで宿儺のようだ……)
と、そんな考えがフルクマの脳裏にふと浮かんだ。
「今のを避けるか」
ヒコナが小さく呟く。フルクマの力を認めたわけでは、勿論ないだろう。
むしろ失望に近いような表情。
フルクマが死ななかったのが残念だと、言わんばかりだった。
「そうとも、怪物が尋常な形をしているわけがない。
頭がいくつかあっても、不思議ではあるまい?」
フルクマは唇を噛んで鉄棒を構えた。
相手が何であれ、それは諦める理由ではない。
しかし、と彼は内心、で呟いた。
あれほど苦戦させられた大百足の身体に無数の裂傷がある。
明らかに奴の攻撃を避けつつ反撃を加えている証であった。
(つまり)
勝機もある。
何故なら、百足は触角を一つ、顎を半分失った。
だが、こちらはまだ無傷だと言って良い。
全身に擦り傷はあるにしても、だ。
尾が二股だからとて、何を恐れる事がある。
「征くぞ……ッ!!」
臆する必要はない。
フルクマは鉄棒を振りかぶり、幾度目かになる攻撃を繰り出す。
狙い過たず振り下された鉄棒の先端が、今度こそ大百足の外殻を叩き割った。
だが相手はまだ生きている。動きを止めれば殺されるとわかっているためだろう。
大百足は唯一残った牙をギチギチと鳴らし、フルクマを喰い殺さんと迫りくる。
この場における勝利とは即ち、相手の息を止めることにある。
大百足はフルクマを殺すことしか考えていまい。だが。
(俺は、違うぞ……!)
フルクマの頭にあったのは百足を殺すこと。
殺し、先に進むこと。
そして、鬼を殺すことだ。
殺した、その先がある。
フルクマは吠えた。
「おおぉおおぉおぉおッ!!」
渾身の力を込めて跳躍し、体を捻る。
渦を描くように、横薙ぎの一撃を――――放つ。
「らあああッ!!」
『ぎいぃいぃぃいぃッ!?!?』
今度こそ、大百足の頭蓋が砕けた。体液が飛び散り、悲鳴が上がる。
のたうつ怪物の動きは、明らかに断末魔のそれだ。
「まだ終わらんッ!」
フルクマはさらに攻撃を加えた。
砕けていない方の顎に向かって渾身の突きを放つ。
骨が砕ける手応えがあったものの致命打には至っていないようだった。が。
「ならば、何度でも……!!」
二発目の刺突がその脳天を貫き通せば、それで良い。
二発でダメなら、三発でも、四発でも良い。
フルクマの戦い方は苛烈を極めていた。
ただただ勢いと気迫をもって、ただひたすらに大百足を殺し続ける。
彼の戦いは、まさしく死闘と呼ぶに相応しいものであった。
「へえ……」
そうして血みどろになって百足の骸の上に立ち尽くすフルクマ。
その姿を見て、初めてヒコナが感心したような声を漏らした。
「悪くは無いな。……どうだ、姉さん?」
「ううーん……もうちょっと、こう、なんというか」
スクナが困ったように呟いて、片腕を頬に当てた。
「違ったものを、期待していたのですけれど……」
「だが、あいつは勝ったぞ。
姉さんが条件を出して、あいつはそれを満たした。決まりだな」
「どこかで聞いた風な事を……」
はあ、と。スクナの口からため息が漏れ、ヒコナが勝ち誇ったように鼻を鳴らす。
姉妹一体の姿が大岩の上にあるのを認めて、フルクマは叫んだ。
「さあ、次は何だ!」
スクナは答えない。代わりに口を開いたのは妹の方、ヒコナの方である。
「とりあえず、体を洗え」
ヒコナの細い指先に、一枚の札が挟まれていた。
か細い煙を上げて燃え尽きるそれは――呪符だ。
同時、スクナがほぅ、と息を吐く。その煙を口に含んで、宙空に接吻するように。
次の瞬間、フルクマは砕けた石の上に立っている己を見出して、目を見開いた。
「幻術を見破らずに殺してのける馬鹿は、初めて見たぞ」
その時初めて、ヒコナがフルクマを見て、笑った。
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