わが人生と共に~赤いきつねと緑のたぬき~

@coco0903

我が人生と共に~赤いきつねと緑のたぬき~

 僕がまだ小学生の頃は、土曜日に学校があった。午前中だけの授業を終えて、一回家に帰って昼ご飯を食べ、また学校の友達とサッカーかマリオカートをやる。世の中の男子小学生のほとんどがそうやって、土曜日を過ごしていた時代。

 我が家の土曜日の昼間の食卓に並ぶものといったら、大抵決まっていた。

「カップ麺」である。とりわけマルちゃんの赤いきつねとみどりのたぬきは、よく食べた思い出が残っている。

 母は決まって赤いきつねを食べ、僕はみどりのたぬきをいつも選んでいた。単純に母はうどんが好きで、僕はそばが好きだからと思い込んでいたからだ。

 お湯を入れて五分待つ。蓋を開けて湯気が飛び出ると、眼鏡がいつも曇るのが鬱陶しかった。

 まず最初にするのが、母親のうどんからおあげをもらい、自分のかきあげを母親の方に移すことだった。

 お蕎麦の上におあげさん。僕の中の最高の組み合わせで、つゆをよく吸ったおあげをちゅーちゅー吸って、水を絞った雑巾みたいにした後に、ゆっくり噛み締めるのが極上の食べ方だった。だいだい、緑のたぬきの天ぷらは、長く汁に浸かっているとぐちょぐちょになってしまい、あの食感が僕にはどうも苦手だった。


「そんなことしてたの?!」

 呆れと驚きの混じった感想を述べたのは、大学時代に付き合っていた彼女で、僕の先ほどの、至福の土曜日の日常の話をしたら、あからさまに怪訝な顔をしていた。

「一体今の話のどこに、そんな嫌な顔をする要素があるんだよ」

「えっ! あなたってほんとわかってないのね」

 この世の中は何故に女性だけが正解を知っていて、男はわからないことだらけなのかと、疑問に思う。

「まず、おあげさんの食べ方ね。はっきり言って、気持ち悪い」

 自分の付き合っている男性に対して、ここまで嫌悪感丸出しの顔をできるとは、なかなかにすごいなとしばらく感心してしまうくらい、見事表情だ。

「なら一体どうやって食べればいいのさ」

「吸わないで、齧ればいいの」

 彼女はお箸でおあげさんをつまむ(ちなみに、彼女はカップ麺を食べる時には家のお箸を使い、割りばしは絶対に使わない。何故使わないのかは、怖くて聞いたことがない。また、あの怪訝な顔で見られるのはなるべくなら遠慮願いたいからだ)

 そして、口の中におあげさんを入れる。

もぐもぐ、もぐもぐ。ごっくん。

「わかった?」

 大学生になってから、まさかおあげさんの食べ方を教えてもらえるとは思わなかった僕は、彼女の小さい子供に食べ方を教えるような言い方にも、少しも腹が立たず、むしろ拍手をして、そのお手本のようなおあげさんの食べ方を称賛した。

「それともう一つ」

「まだ、他の食べ方があるの?」

「違うわよ!……あなたのお母さんは、おあげさん食べたかったと思う」

 何を言ってるんだこの女は。僕の子供の頃の記憶では、母は喜んで自分のうどんからおあげさんを僕のそばへと、移してくれていた。その光景は、マルちゃんのCMで使っても不思議ではないくらい、微笑ましい光景のはずだ。

「それは違うね。母さんは僕に、おあげさんを自分からくれたんだ。息子の幸せな顔を見たかったんだよ」

「なら、今度聞いてみなさいよ」



「あんたが、わたしのうどんから無理やりおあげさんを横取りしていったんだよ」

 もう少しで年が変わろうとしている、この瞬間に。今の奥さんと学生時代に話した会話をふと思い出し、母に尋ねたが、僕の記憶はだいぶ美化されていたものらしく、母の顔はこれはまた見事な呆れ顔をしていた。

「あんたがおそばとおあげさんの両方が食べたいって駄々こねるから、私が我慢してあげてたんでしょうが」

 女性という生き物は、こうも女性という生き物を理解できているなんて全くもって恐ろしいことである。僕はまだ何かいいたそうな母を宥め、静かに向きを変えた。

 食卓には赤いきつねが一つと、緑のたぬきが四つ並んでいる。年を越す時に、食べるのは”年越しそば”であるとは思うのだが、一つが赤いきつねなのには理由がある。

「いただきます!」

 元気ないただきますの後に、ぼくの赤いきつねからおあげさんを取っていったのは、来年小学校に上がる娘だ。

 娘は妻の教育が良いのだろう。おあげさんをお箸でしっかりつまみ、口の中にいれ、しっかり噛んで食べていた。

 人の食べ物を勝手に盗るのは、いかがなものだろうかと、妻に目で訴えるが、妻が見つめ返してきたその瞳からは、あなたの自業自得でしょと言わんばかりの、冷たい視線が返ってくるだけだった。

 もうすぐ年が明ける。僕の目の前にはさみしいうどんが置いてあるだけだが、大好きな家族とこうやって、赤いきつねと緑のたぬきを食べれるだけ、幸せなんだと思い、こんな幸福な時間がいつまでも続いていくことを年の瀬に秘かに願っていた。

「おい。これで食べてみろ」

 人が綺麗に終わろうとしている時に、この親父は急に登場したかと思えば、何を邪魔してくれているんだ。

 父が僕のうどんの中に入れたのは、娘が入れなかった。緑のたぬきの天ぷらだった。

 ざく、ざく、ガリ! ざくっ! ざくっ!!!

 親父の顔を見ると、お前もやっと大人になったんだなといっているかのような顔をしていた。いつも、母の陰に隠れがちの親父の顔が今日は、格好よく見えるのは気のせいではないだろう。


 我が人生の第二ステージは、”あとのせ”から幕を開けた。

 

 




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