騒擾の先
難なく朝廷内を固めることに成功したリキは有頂天であった。相次ぐ公子らの裏切りに遭った(と思い込んだ)ケン公は消沈しきっており、今やリキの傀儡となっている。
「ふふ、これでわらわの、いやセイケイの世は間違いないであろう。」
「あとは、ケン公のお身体次第、となりましたな。」
性悪な臣はそう言うと、ちらとリキの顔色を伺った。この際、ケン公の命を狙ってはどうか、と言外に問うている。
目を細めたリキは
「あのお方ももう六十を超えておる。わざわざ手を汚さずともよいであろ…」
晩年のケン公の寵愛を一身に受けたリキは、さすがに情を捨て切れなかったようである。
この騒動の五年後、ケン公が崩じた。
ケン公は後嗣にセイケイを指名していたので、リキは何の障害もなく我が子を君主に仕立て上げることが出来た。ここにリキの長年の悲願が成就されることとなった。
(長かった…)
宮殿の玉座に座るセイケイと、その前に頭を垂れて居並ぶ臣達の光景を恍惚とした表情でリキは眺めていた。実に十年以上もかけた計画である。この時の為に全てを捧げてきたのだ。
これを歴史上から俯瞰して見れば、リキとセイケイの絶頂は確かにこの時と言えた。
喜色満面なリキは、
「先ずは亡きケン公のために新たに宮殿を建てねばならぬな。そしてそれに劣らぬ我らの宮殿もなあ。」
この賦役を負うのは勿論、民である。リキは朝廷の権威を内外に示すという、彼女なりの国を考えての発案だった。その成果は、民の中に怨嗟の声が満ちるのみに止まった。
この
「やはりこの様な事態となった。リキの専横は民を苦しめるのみだ。」
「いかにも。田に出ねばならぬ時にも社殿を建てろなどと、
「やはりここは国外に居られる公子達に戻って来てもらわねばなるまい。」
「うむ。そうと決まれば事は早いほうが良い。」
コクリは現君主に反対する大夫達を続々集め、リキ一派を打倒するべく行動を開始した。
その頃タイジュウに身を寄せていたジュウビの元にも
「高夅の卿コクリからセイケイ打倒の依頼があった。我をタイ侯として立てたい、との事だ。悪くない話だが、どうか。」
直ぐにでもタイ国へと戻りたいジュウビであったので、この誘いは実に魅力的であったが、重臣であるタイエンという者がこれを制止した。
「今はまだその機ではありませぬ。お止めなさいませ。」
半ば受ける気でいたジュウビは機先を挫かれ、思わず顔を
「なぜ善くないのか。」
「はい、今タイ国ではセイケイが君主となっておりますが、その実は母のリキが実権を握っていることはご存知の通りです。このリキの行いは我らや弟君を害しただけでなく、今や民にまで及んでおります。その怨みの声はここタイジュウの地へも届くほどです。これを討たんとするコクリは一見義のある行為とも取れますが、結局はリキの行いと違いはなく、道を曲げてこれを正そうとしているものです。この行いは民の心を寄せるものにはならず、必ずこの企みは失敗いたしましょう。沈む舟に乗るは愚挙であります。」
「ううむ、そうであるか…」
確かに力でもって君主を廃するのは策謀でもってジュウビらを遠ざけ、シンセイを自死に追いやったリキとさして変わりはない。ここでもジュウビは素直にタイエンの言葉に従い、使者に断りの返答をした。
拒絶の報は時を置かずコクリへと届けられた。
「ジュウビ様は断ると言われたか、ならば仕方がない。イゴ様へ持ち掛けるべし。」
結局コクリは玉座へ座る資格の在るものが居ればそれでよく、この国の将来に対して深い考えがある訳ではなかった。リキを悪とし、それを排除出来ればそれだけで国が良くなると信じている。
ジュウビのこの反応に対して、コクリからの誘いを
いつもの様に朝廷での政が
その気重な雰囲気に何か非常なものを彼は感じていた。虫の報せとはこのことであろうか。
突然、十人程の武装した者達が現れたかと思うと、瞬く間にセイケイと従者を取り囲んだ。
「何者かっ。」
セイケイの問に答えることなく素早く刃を抜いた刺客らは、その輪を一気に狭めた。
そのままセイケイは声を上げる間もなく串刺しにされ絶命した。刹那の出来事であった。
ケン公が亡くなってから二月も経たずして、彼は若い命を落とすことになった。
一方のリキも、セイケイの死を知る時には既に刺客に追い詰められており、ほとんど同じ頃に命を失った。瞬刻の栄華であった我が身を彼女はどう思ったであろうか。
その騒動の後に、卿の一人がリキの妹のショウジュウキの子であるトウシを立てたが、これも直ぐにコクリ達によって母子共々討たれてしまった。結局はコクリ達の挙止はタイエンの予言した通り、
このコクリの反乱により再び国内は動揺した。百年近くをかけて磐石な体制を築き上げたタイ国が、一人の女により僅かな年月で崩壊してしまった。それだけでなく、この騒動で多くの公子、大夫もが失われた。この顛末を傍観していたタイ国の周辺勢力も黙っている筈はなく、これを機にタイ国から独立するなど辺境も荒れた。タイ国の未来は急に暗雲が垂れ込めた様に暗く沈んだ。
しかし、そんな絶望した国民の耳に一報がもたらされた。
「公子イゴが帰国なされるそうだ。」
寄る辺の無かった民の心は一斉にイゴに集まった。優秀と言われた公子の一人である。民の期待は高まった。
無事高夅へと入ったイゴは直ぐに即位した。しかしこの新君主、内政はまずまずであったが、外交、人事がよくなかった。周りに賢臣が居なかったのであろう。
まず、タイへ入国する際に手助けをしたサン国へは謝礼として土地を割譲する約束であったが、イゴはそれを
「これで国が安らぐならば致し方なし。」
と自ら刃を突き立て命を絶った。社稷を血で穢した彼の終わりも清々たるものにはならなかった。
この一連の様子を隣国から眺めていたのが、サン国の君主である。彼はボク公といった。彼がイゴをタイ国へ入国出来るように取り計らった首謀者である。
彼もまた意気盛んな君主で、彼の代でサン国は国力を大幅に増強させていた。そのボク公が今回の乱にも目をつけていたのだ。
彼はタイ国の次期君主と自らの
この時代、女は入嫁をしても実家との繋がりは強いままである。嫁いだ先でも旧姓で呼ばれることはそうした点を象徴している。
リキによって放逐された二公子共に目を付けていたボク公は、先にサン国へ頼ってきたイゴに女を
イゴがタイ候となってから、タイ国で二年ほど飢饉が続いたことがあった。苦しくなったイゴはサン国へ援助を求めた。
タイ国からの使者を迎えたボク公の下で臣下の意見は二つに割れた。
「タイ国が弱体化しているこの隙に攻めいるべし。」
「すぐさま食糧を送り、タイの民を救うべし。」
これに対しボク公は後者を選んだ。
「非礼なイゴは憎いが、タイの民には罪はない。」
彼はそういう君主である。
食糧をのせた舟は水運を使い高夅まで運ばれた。その舟の列はサン国の首都
この出来事から数年後、今度はサン国が飢饉となった。ボク公はタイ国へ支援を求めた。この時、タイ国でも両方の意見が挙げられた。
「我が国はイゴ様が即位した際にサンへの割譲の話を既に蹴っている。先年の飢餓の礼をしてもその怨みは解消されることはないであろう。糧を送るだけ無駄である。」
「重ねての援助を受けているのに一つもその礼をしないのは他国の侮りをも受けることになる。速やかに支援すべし。」
ここでのイゴの選択は前者であった。徳の面でボク公との差は歴然である。結局イゴは一粒の食糧も送らなかった。
ここまでくるとボク公より先にサン国の民や大夫が黙っていなかった。非礼正すべしという機運が高まり抑えられない状況となり、遂にボク公も重い腰を上げた。即ち開戦である。
戦場は両国の境界付近で行われた。結果は言わずもがなサン国の勝利である。天も地も顧みない者には何者も味方にはならなかった。更にはこの戦いでイゴが捕まるという体たらくであった。
揚々と凱旋したボク公はイゴを戦勝の生贄として祀ろうとしたが、ボク公の
これほどの恥辱を与えれば、非礼を正すことだろうと思ったボク公は、イゴの子であるコウを代わりの人質とすることで応じた。これによりイゴはタイ国へ戻ることが出来た。
この後は両国とも諍いはなかったが、数年してイゴが病に倒れた。彼も即位したのが遅かったため、この時には五十を過ぎていた。
この報せを聞いたコウは、居ても立ってもいられずに密かにサン国を脱出しタイ国へ戻ってしまった。更に、この病でイゴが亡くなってしまったので、そのまま次の君主へと即位した。
この顛末を報告されたボク公は怒るというよりも呆れてしまった。
「親子揃って礼を知らぬとはタイの格もそこまで落ちたか。」
これではまともな国交が続けられぬとボク公は見切りをつけた。そんな折にある情報を臣が入手してきた。
もう一人の公子であるジュウビが近隣に伏しているらしい。
このタイ国の争乱のさなかに、ジュウビは股肱の臣達のみを連れて各国を放浪していた。途中カン公の元に寄った際には、カン公に気に入られ女を与えられたりもしたが、ユウ国に腰を落ち着けることを憂慮した臣達が、無理矢理国外へ連れ出した。彼らは皆帰国をしてジュウビを君主に据えることだけを念じていたのである。丁度この時にカン公が逝去していた。この混乱に乗じて一行はユウ国を抜け出した。
その後北方のバン国なども訪問していたジュウビ達だが、そこでタイ国のイゴの容態の悪さを聞き、タイ国の近くまで接近していた。
そこでボク公は、ジュウビを次のタイ侯へ据えるべく支援を開始した。この援助だけでなく、タイ国の重臣始め多くの大夫達も内応してきた。現タイ侯に附く者はごく僅かであるとわかったジュウビは、サン国の軍も連れて進軍した。
この戦いの結果はジュウビ軍の勝利、コウの敗死で幕を閉じた。ここに至り、漸くタイ国に平穏が訪れることとなった。ジュウビは死後ブン公と諡されることとなる。
このブン公は即位して後に覇者と称されるようになる。この時齢は既に六十を過ぎていた。実に十五年以上の放浪の後の即位であった。このブン公の治世が今のシインと時を同じくする。
シインがジ国で過ごす間にもこのように周辺国は絶えず策動を続けていた。長くなったが、これで再び話をシインへと戻すことにしよう。
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