西方の国

ジ国を流れる永河えいがはジ国よりもはるか東方より流れが始まり、そこからうねりながら西方の海まで水を運んでいる。実に一万二千五百里(約五千キロ)以上もの長大な河川である。

その大きさ故にか、古代よりこの河の沿岸部に人々が集落を作り、果ては国を建てるまでになる。


大河は人々に作物の実りを与えるが、同時に氾濫によって命を奪うこともある。そして再び肥沃な土壌をそこへと運びこみ、人々へ豊穣をもたらすことになる。広い大地が広がるこの世界であるが、その全てが農作に適した土地ではない。むしろ道具の少ない古代においては、限られた場所でしか種を植えることは出来なかったであろう。集落に生きる多くの人を一年飢えさせないようにするためには、確実に収穫が得られるようにしないといけない。不作になろうものなら、途端に絶望的な状況に追い込まれる。そこに住まう人にとっては永河は正に生殺与奪を握った神の様な存在になっていたであろう。

事実、シインの時代にも河神がいるものと信じられ、度々供物を捧げることも行われている。生きること自体が困難であった古代では、人智の及ばないものは全て「神」の仕業に思えたであろう。すなわち当時においては自然界の現象全てが神であり、あるいは神の為す業、ということになる。その神々を祀ることで古代人は災いを避けようとした。ジ王朝より前の時代では特にこれらが盛んであり、こうした天神地祇てんじんちぎのほか、先祖も同様に神聖視し、祭祀の対象とされていた。

ジ王朝になってからはより具体的に人々の統治を行わなければならなくなった為か、祭祀の機会は減少したものの、その重要さは失われておらず、ジ王が主催する儀礼として連綿と行われている。


ともあれ、その永河をずっと下っていくと、一つの国に辿り着く。ユウ国である。

ユウ国はこの永河河口付近から主に北辺へと領土を広くもつ。ユウ国初代君主であるショウ公が、この永河の支流である斉水せいすいを臨むことの出来る緩やかな丘陵に杖を突き立てたところから、この国の歴史が始まった。そのまま首都の名前は臨斉りんせいと名付けられ、今ではジ王朝の中でも一、二を争う大都市となっている。

ちなみに川の呼び名をこの世界では水をつけて呼ぶことが多い。

少し触れたところではあるが、ユウ国の初代君主ショウ公はジ国建国の功労者の一人であったが、もとは遊牧民族であったらしい。姓はヨウ姓であり、ジ王朝にあるキ姓とは異なる。いわば異民族の国、と呼んでも良いのかもしれない。その代わり、国籍を問わず受け入れる素地が伝統的にあり、そのために多くの人がユウ国へと訪れる開放的な側面も有していることも既に述べた。

時代は下り、今の君主はカン公になる。諱はコクタイという。カン公という呼び名は諡号しごうであるので、本来生前はユウ公コクタイ、などと呼ぶのが分かりやすいのだが、ここはより簡略な諡号で呼ぶこととしたい。

このカン公が即位して既に二十年ほどが経っているが、国は今、隆盛を極めている。

その立役者であるのが、宰相のトウシュクである。

彼はカン公が即位した際に抜擢された逸材で、それまでは一介の士に過ぎなかった。


カン公の先代はセン公といい、カン公の異母兄にあたる。このセン公が暴虐恣放ぼうぎゃくしほうな君主であった。

この君主は気に入らない臣下は構わず殺した。また、近隣諸国に対しても気に入らなければ牙を向けた。以前セン公の粗暴を隣国のタン国君主がなじったことがあった。それにいかったセン公は一族の公子の一人を送り込み、隙を見てタン公を刺殺した。事が明るみに出ると、当然タン国から詰問をされたセン公は、短慮を隠匿するかのように刺客に送った公子に全ての罪を着せ自殺に追い込んだ。

このような仕打ちを行うような国が正常に機能する筈がない。残った公子らは災いを避けるために各々おのおの亡命していった。この公子らの一人にカン公がいた。

カン公は南のシュ国へと逃れ、そこでしばらく時を過ごした。このままセン公が君主でいる限り、カン公は亡命公子として肩身の狭い生活を長く過ごさねばならなかったのだが、やはりこのような暴君の命は長くないものである。ある時セン公の従弟に当たるムキという者に暗殺されてしまった。

その後このムキが即位をしたのだが、この君主も結局セン公の元従者に復讐をされ斃死へいしした。即位してわずか一年の出来事であった。

瞬く間に二人の君主を亡くしたユウ国の国民は動揺した。先のセン公のおかげで後嗣となる人物が国内にいなかったのである。

祖国へと帰る機会を窺い、絶えず監視の者を送り続けていたカン公は国の変事を聞くや、素早く行動した。

この場合、一番にユウ国へ帰ったものが後継者として有利となる。なぜなら、国内の混乱を主導して収束でき、その結果国民の歓心を得ることができるからだ。次代君主の主張も通りやすくなる。他の公子もそのことを察知し、ユウ国へと急行したが、カン公が一足早く玉座へとついていた。情報収集を怠らなかったカン公陣営の勝利である。

ここにユウ国君主カン公が誕生した。

彼はまず自らと亡命を共にした臣や、ユウ国内でかねてより通じ、入国を援助してくれた大夫らを中心に朝廷を組織した。彼は同時にタン国への出兵を目論んでいた。先の争いの中では、公子の一人をタン国でも匿っており後援していたので、入国の際にその公子らと戦闘にまで発展していたのだ。そう兵力も多くない中での戦いに、カン公も一時は命の危険に晒された。それに対する報復である。

しかし、まだ国も安定しないうちに戦をすることが良策でないことはカン公も理解している。このような自制が出来る点のみでもセン公とは大きく違う君主である。

国政を取り仕切るにはやはり賢能な補佐が必要である。その必要性を薄々感じていたカン公に、彼の傅役もりやくでもあったホウハクシが彼に奏上した。

「君がこのユウ国を治めるのみであるならば、私やサイ氏などで足りるでしょう。しかし、君が天下に覇を唱えることをお望みであらば、トウシュクが居らねば叶いますまい。」

この時点でカン公はトウシュクなる者の名を聞いたこともなかった。それは他の臣においても同様で、つまりホウハクシは全くの無名の士をカン公に推挙したのだ。


トウシュクはホウハクシと同郷の士であった。ホウ氏はそれなりに大きな家であったが、トウシュクの家はそれほどではない。それ故に彼は若い頃から苦労をし続けてきた。彼は食べるために商売にも手を出したが、上手くはいかなかった。彼はそのほかに、下級吏人として働いたりなどしたが、目覚ましい功績をあげる機会もなく、無為な時を過ごした。

しかし結果から見れば、彼はこの不遇の時を過ごす中で、一人巨視的にものを捉えることを自得していたのかもしれない。

ホウハクシがユウ国へ仕官することなった後もトウシュクは各国を放浪していた。二人は不思議と気が合ったらしく、度々会っては意見を交わした。トウシュクは見聞を広めていくにつれ、先進的な考えをホウハクシにぶつけていた。その深い洞察に彼は改めて、

「トウシュクは高い地位でこそ力を発揮する者だ。」

と確信した。勿論この時点でトウシュクの才能に気づいている者は皆無である。

そういう意味では、ホウハクシの炯眼けいがんこそが並々ならぬものであったと言ってもよいのかもしれない。

ユウ国の事変によりカン公が即位して、ようやくトウシュクに転機が訪れた。

人材を欲していたカン公はホウハクシの推挙に食指を動かした。普段は卑賤ひせんの者に会うことなどしないのだが、ホウハクシの言うことでもあったので、とりあえず話だけでも聞いてみるか、という気になったのだ。この些細な気まぐれで後の世が大きく動いたことを思うと、つくづく運命というのはわからないものである。

トウシュクはカン公に謁見し、諮問しもんを受けた。

この時のよどみないトウシュクの返答に、カン公はこの者が自らの求めている人物であると認めた。


彼は宰相に任命された。当時としては大抜擢ともいえるこの人事に、多くの臣下が疑問を呈したが、トウシュクの政策の成果を目の当たりにすることでその疑惑は雲散霧消した。


彼がカン公へ提唱したのは富国強兵策である。

当時の各国の統治の姿勢は、ジ王より国を預かる君主貴族らが民を用いて領地を経営する形をとっている。

これは詰まる所、自然と上層階級が富むことが優先されるのである。自らが不足なく生活できていれば国の経営は問題ない、と錯覚するのだ。しかし、進む時の中では、現状維持とは衰退を意味する。新たな問題を見つけ、それを解決していく努力を怠ると、己のみが取り残されていく。気づくのは大抵その差が明然と表れてからである。


トウシュクが就任した時には、不幸中の幸い、とでも言うべきか、セン公の時代の頽廃たいはいが色濃く残っていたので、復興が急務であった。皆が危機意識をもって取り組む環境になっていたのだ。そこも利用して、彼はまず内政改革に着手した。

農業を奨励し、人々の生活を安定させた。同時に海浜に面した土地を利用して漁業や塩業にも力を入れた。特に塩においては当時十分な生産が行える国は少なく、希少価値の高い商品となっていた。そうした知識も各地を放浪することで事前に得ていたトウシュクは、国の専売とすることで生産、輸出管理をし、巨利を得ることに成功した。

そのほかにも、物価を安定させる政策を打ち出したりすることで、国民の生活の更なる安定を促した。このような物価へ着目する政治家は当時ほとんどいなかった。これも困窮の時に商売を通して自ら学んだ結果であろう。無論、商売をしていたら誰しも思いつくものではないことは明らかである。天賦の才とはこのことを言うのであろう。

国民が富むことで経済に勢いがつき、他国からも噂を聞きつけた商人や名士が集まってくる。どんどんと発展する基盤が出来上がるのである。カン公が君主となってからユウ国は一躍大国と呼べる規模へと成長した。

国力が増強されれば兵力も強化出来る。カン公は万の兵車を作らせ、大軍団を編成できるようにした。

当時はこの兵車の数で国力の多寡たかを表していた。千乗の国とか万乗ばんじょうの国という言い方がそれである。ユウ国はこの万乗の国へと一早くに登りつめた。


国を整えたカン公は満を持してタン国への侵攻を開始した。決して手をこまねいていた訳ではないタン国であるが、トウシュクが築き上げた力には及ぶべくもなかった。

少しずつ領土を削られていくタン国にカン公は上機嫌であったが、トウシュクはあくまでも冷静に思考を巡らせていた。

天下の諸侯を従わせるのに武力を用いるのみでは到底時間が足らない。同時に費やされる資金や兵力も気の遠くなるような数に上るであろう。そのようなやり方は現実的ではない。ではどうするか。

トウシュクの導き出した答えは武威と懐の広さで諸侯を従わせる方法であった。

乾坤一擲けんこんいってきの戦いをし、十分に強さを周囲に見せつけた後は、柔軟な対応で相手を手なずける。頼れる国であると周囲に思わせればよいのだ。トウシュクにはそうした高度な外交感覚も備わっていた。

タン国との戦いの中でもそれは発揮された。


ある時、次々に勝利を重ねていくユウ国に対して、タン国は要地である邑を差し出す代わりに和議の申し入れを行った。悪くない条件、とカン公は調停を行うために場所を設けた。

しかしその調印のさなかに、タン国の将軍が躍り出てカン公へ刃を突きつけ、今までに奪った領土の返還を強請するという事件が起こった。人質となったカン公は従うほかなく、やむなくその要求をのむ誓文をしたためた。

そのまま自国へと引き上げたユウ軍であったが、カン公がこれで納得するはずがない。

「あのような行いで交わされた誓いなど守れるものか、すぐに攻めるぞ。」

声を荒げて左右にそう命令したカン公を、トウシュクが諌止した。

「君よ、ここは相手の求めるままになさいませ。」

「なぜだ。」

血気盛んなカン公であるが、トウシュクの言うことだけはどのような時でも耳を傾ける。今回も怒気を見せながらも素直にトウシュクの話を促した。

「タン国の地の様な小さなものを失う代わりに、大きなものを得るからでごさいます。」

「回りくどいことを言う。ならばそれはさぞ大きいものなのであろうな。」

そんなものがどこにあるというのか。揶揄を込めつつもカン公は興味を持った。

「はい。それは他国からの信頼でございます。此度の調停の経緯は周辺の国々にも広く伝わることでしょう。それでも君はそれを固く守る。その度量の広さに必ず流石は大国ユウの公よ、と厚く信頼を寄せることでしょう。そのように感じる国は一、二ではありますまい。なれば、君の号令の元、多くの国々を苦もなく従えることが出来るというものです。」

これも優れた外交感覚をもつトウシュクならではの発案である。攻めずに勝つ。これでユウ国へ戦を挑むものは少なくなる。戦費も嵩むことはない。

戦をせずに勝てるのならば、それに越したことはないのだ。トウシュクはそうした経済的な面からも冷静に戦争を俯瞰していたといってよい。

トウシュクの進言に多いに納得をしたカン公は、今回の調停を違えないことを内外に宣言した。

するとどうであろう。トウシュクの言ったとおり、ユウ国の周辺国を中心に実に多くの国々がカン公に接触をはかりにきた。まさに目論見通りとなったのである。多くは小国であったので、ユウ国が庇護するような形となり、結果的に有利な関係を労せずして得た形となった。


いよいよカン公の名は天下に広く知られることとなった。同時にトウシュクの存在も世に出ることになり、ユウ国の磐石な力は揺るぎのないものとして他国に強く印象付けられた。



ユウ国のもたらした安定は確かに天下の民の心にも安寧を感じさせた。

しかしこの平和はまたしても北から脅かされた。

ユウ国より北、太河たいがよりも南にサイという小国がある。ここもユウ国に身を寄せる国の一つであるが、ある時この国から使者が放たれた。

サイ国の使者来訪の報を聞いたトウシュクは、カン公とともにこの使者を迎えた。

「バン国に軍旅の兆しあり。」

この報せを聞いたカン公の反応は薄かったが、カンシュクは厳然とこれをけた。

臨斉からサイまではおよそ百五十里ある。仮に軍を出すにしても一週間近くかかってしまう。襲撃の報を受けてから向かっていては遅いのである。

北方の小国などに興味の無いカン公は気乗り薄であったが、カンシュクはこれを諫めた。

「今天下で勢いのある国といえば、バン国をおいて他にないでしょう。現君主のセイ王の代になって領地を拡大し続けています。いずれは戈を交えることになりましょう。」

「ほう、汝がそこまでいうとは。それほどの国か。」

以前にも述べたことだが、北方、特に太河以北の地は中央の国々にとっては縁のない土地である。貴族たちにとってはどこまでも未開の蛮族、という印象であるが、トウシュクの言う通りその国力は急激に増強されており、カン公の甘い観測は改めなければならない。

「加えて、サイにある洪湖こうこは我がユウ国へも川を注ぎ込んでおります。水路を使えば我が国への侵入も容易にされましょう。サイ国は守るべきです。」

先手を打たれることの不利を悟ったカン公は即座に出陣を決定した。

大国同士の決戦。そろそろ季節は夏を迎えようとしている。

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