凶報

大地に秋声が聞こえ始めた。少し早いようであるが、永河えいが辺りから南の土地は冬にかけて厳しい寒さが訪れる。安陽にもその兆しが見え始めた様だ。


バン国からの使者が来るより少し前に、無事に安陽へと辿り着いたシンユウ達一行は、その足でシンユウの父であるシンカンの邸宅へと向かった。

既に大まかな事情を把握していたシンカンは何も言わず、温かく一行を迎え入れてくれた。

「向後の事もあろうが、まずはこの家に落ち着いておりなさい。」

シンカンも勿論もちろん、過去にシキョウと顔を合わせている。初めてシキョウを見た時、彼は、

(なんと頼もしげな男よ。)

とすぐに気に入った。二人の明るい行く末を疑うことなく娘を送り出したのだが、その思望はあっさりと砕破された。それでも、帰ってきた娘の毅然とした態度に驚くとともに、やはり彼に預けて間違いは無かったと思った。以前の娘には無かった芯の強さをはっきりと感じる。夫婦とは連れ添えば良くも悪くも似通うものであるが、こうも変わるものかと目を見張る思いであった。

ともあれ、親子共に無事で良かった。と素直に胸を撫でおろしたシンカンであった。


シンカンはジ国の大夫である。故に住む区画も良く、邸宅も十分な広さを持っていた。シンユウ、シインは勿論、従者たち皆がこれまでと同様な生活が送れる環境をシンカンは整えてくれた。部屋支度も整った頃、シンカンはランキを呼び、改めて事情を聞き出した。

「そうか、そなたらも事情をよく掴めぬままに攻め寄せられたのか。」

「はい、シキョウさまが戦から戻られて後は、りょの防衛のために皆慌ただしくしておりました故に、我らも何が何やら…」

「それでもシキョウ殿は敵はバン国だと、そう申していたのか。」

「はい。間違いないであろう、とのことでした。」

「ふむ。今しばらく時が経てば、私の耳にも色々と届くことであろう。それまではシンユウやシインの面倒をよく見てやってくれ。」

「もちろんでございます。」

(それにしても、攻め滅ぼすとは何とむごい仕打ちか)

シンカンはそう思うのには訳がある。


先に述べたように、ジ王朝は封建制度でもって成り立っている。ジ国の王を盟主として、その他の国は爵位の差はあれど、皆同じ属国の立場にあった。その中で国同士のいさかいは当然起こったが、相手国を討滅したとなると、その波及は大きなものとなる。結果的に手を下した国は反逆の烙印を押され、討伐の対象になりかねない。そうした背景からも、国同士の均衡がとられていたのだ。

それでも倒れる場合がある時は、よほど国主が悪かったか、後嗣問題など骨肉の争いなどがあったか、その様な内政的問題であることがほとんどである。

それ以外にも近隣国とは政略結婚などで姻戚関係にあることも少なくなく、故に相手を滅亡まで追い込むことなどはまれであった。


そこから推量すれば、バン国が侵略してきた、という話も肯首こうしゅ出来る。中央で生きてきたシンカンからすればバン国は正に未開の地の国そのものである。こうしたしがらみとも言える環境とは無縁であるからこそ平気で容赦のない仕打ちが出来るのであろう。同時にその野蛮な国がジ国に近接するというのは非常に危険である。刃を持った者を隣に立たせている様なものだ。

(何とかせねばなるまい。)

しかし、近頃のジ国は諸事鈍重である。それは軍事に携わっていないシンカンでも痛感している。

そもそも自国で情報を収集出来ていない点からでも、その一端を伺わせるには十分だ。常に四方に気を配り、周辺国と連携を取っていれば、もっと早く手を打つことが出来たであろう。それが出来なかったのは王が北方に何の興味も持っていなかったからだ。王の目には近隣の夷狄いてき(遊牧民族)の類しか映っていないようだ。

先代王の頃から仕えているシンカンは今のトウ王が先代と同じてつを踏まないかと恐れている。トウ王までもが内政を疎かにし、無意味な外征ばかりを繰り返せば益々この先の展望は暗くなる。

とは言え、意見を言う立場ではないシンカンは、ただ事の成り行きを静観することしか出来なかった。


この数日後に件の使者がジ国へ来たことを彼は知らされた。

「どうやら彼の国も参朝をしたいらしい。」

徐々にその内容がシンカンの耳にも届いてきた。成り行きを突き詰めたい彼は、つてを頼りに方々聞いてまわった。

漸く夏官(軍事部門)の吏人から詳しい話を聞くことが出来たが、それは驚倒すべき内容であった。


自宅へと帰ったシンカンはシンユウとランキを呼んだ。

「今日やっと、詳しい話を得ることが出来た。」

そう切り出したシンカンの口調が軽くないことに、彼女らは緊張した。

「やはり、レツ国を攻めたのはバン国であったらしい。今はもう国へと引き上げていったようだが、どうやら彼らの望みは爵位を得ることであったらしい。」

そこで、一度話を切ったシンカンは深い呼吸を一つおいた後、続きを話始めた。

「そして、レツ国であるが…バン国の後押しで再興されておるらしい。」

二人は目を見張った。堪らずシンユウが問い詰めた。

「一体…どういうことなのでしょう。」

この一連の動きに裏があることを察したらしい。

「ふむ、詳しくは分らぬが、跡を継いだのはシコウ殿であるということだ。」

「ああ、…何という。」

彼女は言葉が続けられなかった。シコウのみが生きている。その事実だけで、全てが理解出来た。

「そういえば、シキョウ様が戦いの後、閭へお戻りになられた時に気になることを言っておりました。」

黙ってしまったシンユウの代わりにランキが口を開いた。

「内通者がいるのかも知れない、と。」

「流石はシキョウ殿よ。いち早く気づいておられたということか。」

しかし、まさか実兄がその陰謀の主であったとは、露にも思わなかったであろう。


「…さて、国は残っておるというが、どうするかな。」

そうシンカンが切り出すや、間髪を入れずにシンユウが反問した。

「どうしてその様な国に帰ることができましょうか。」

彼女は感情が先立ち、反射的にそう答えたが、あながち間違いではない。

戦火に消えた前レツ公がいた時には公位継承の余地はあった。すなわち、シキョウが跡を継ぐ可能性もあったのだ。むしろレツ公はそれを望んでいた様でもあったが、明言せぬままに世を去った。結果的に一人残った嫡嗣のシコウが継ぐのは何の問題もない。

また、彼には子供もいるので、余程のことがない限りその子供に跡を継がせるであろう。つまり、シインが帰国をしたところでただ無為な日々を過ごすだけであり、せいぜい他国へ人質に使われる程度の扱いしか受けられないであろう。

「ふむ、そう言うとは思っておったが、しかしどうしようと言うのだ。」

帰国をしてもろくなことにはならないが、かと言って安陽に留まっていてもどうなるという訳でもない。

「ここで、シインを育てます。」

将来の展望も見えぬまま、シンユウはそう答えるしかなかった。

庭に吹く秋風は冷えを増していく。

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