バン国

シンユウ達一行が安陽へと辿り着いた頃、王宮は正に驚天動地の様相であった。

わずか数日前にレツ国から第一報が届いたと思えば、その翌日に野戦の敗走、更に城の囲繞いにょう、そしてその翌日には陥落のしらせ。指呼しこの間でこの急展開では無理もない。宮廷では初手を如何にすべきかで紛糾していた。

「すぐさま募兵を行い、戦闘に備えるべし。」

「先ずは使者をたて、非礼をただすべし。」

現ジ王であるトウ王に近侍している者で、優れた指導力を持ったものがいない。その為に議論にまとまりがないまま時間だけを浪費させていった。

結局、どちらも半端に用意を進めている間に、先にバン国より使者が遣わされてきた。

「天下の長たるジ王への参朝の許可と、爵位を賜りたい。」

おおむねこのような内容であった。

「そうか。」

トウ王はここでようやく息をつくことが出来た。すぐに攻める気はない様だ。

しかし、返答次第ではわからない。再び臣下と前後策をはかる必要があった。



激戦のあったりょの宮殿の玉座に一人の男が傲然ごうぜんと座っている。

彼こそ現バン国国王、セイ王である。

老境に差し掛かろうとしているこの王は、老いてもなお野心溢れる人物である。

彼が王座についてから三十余年、周囲の国をどんどんと侵略していった。特に北辺の国などはその悲鳴も中央に届くこともなく消えていった。支配領域だけで言えば最大の版図を築いている。しかし、それでセイ王は満足していなかった。

国は大きくとも、ジ国と比べると見劣りしてしまう。何故か。

バン国は国の成り立ちからすると、厳密にはジ国など南方の文化とは違う体系であるといえる。

全く根の違う木が二本生長し、ここで互いの枝葉を交わすまでになったのだ。

しかし、環境のより厳しい南方の方がより文化的発展を促されたようで、今に至ってはそれが大きな差となって表れている。

これまでに全く交流がなかったわけではないが、国家規模では行われていなかった。今セイ王が望んでいるものとはこの文化であった。これからより強大になるにはそうした知識、技術が不可欠だ。ここまで国を強大化した王ならではの慧眼である。


現王朝下には王を称する者はジ王のみ、と前述していたが、バン国はこういった成り立ちの経緯から数代前より王を自称していた。隣の国の権威など頭上に吹く風の如きもの、とまるで無関心であったのだ。

しかし、今回のこの思惑の為にセイ王はその称号を伏せた。彼の目的は爵位の獲得である。その為には辞を低くして構えなければならない。

ジ王朝では封建制度を組む中で、爵位を設けた。その順位は上からこうこうはくだんと五等級に分けられた。初代ジ王の近親者や当時大功のあった者などが公爵を与えられた。因みにレツ国はこの公爵を与えられている。

セイ王は爵位を得、正式に入朝することで、更なる国の成長を図ろうとしているのである。

しかし、バン国王の矜持きょうじに懸けて、ただで頭を垂れるわけにはいかない。その存在の強大さを存分に誇示しながら要求する。いわば強請ゆすりである。

(これで少しでも高い位を得られればしめたものよ。)

セイ王はそう考えていた。

その為にレツ国を含む周辺国は蹂躙じゅうりんされた。

当初の予定ではジ国の首都である安陽に肉迫するまで軍を寄せるつもりでいたセイ王であったが、レツ国との戦いで予想以上に疲弊した為、一度閭に腰を据えることにしたのである。


「もう少し進めるものかと思っていたが、なかなかに骨のある者も世の中にはいるものよ。」

数々の戦場を見てきたセイ王である。その口調には余裕がある。

「しかし王よ、このあたりで交渉を進めておかねば、隣国もこちらに目を向け始めている模様です。」

近侍の者がそう言ったのには勿論もちろん根拠がある。


ジ国よりはるか西方に一つの大国がある。ユウ国である。この国もジ王朝開闢かいびゃくの時より続く由緒ある国で、公爵である。

初代公主であるショウ公が異民族であったことから、多くの民族を受け入れる開放的な国風で、その結果様々な人材が集う開放的な土地柄となった。

また、海に面していることから製塩なども盛んに行われ、商業的にも栄えている。他国より一歩進んだ国である。

このユウ国もバン国と境を有していることから、以前より注意の目は向けていたのだ。そして今回の進軍に敏感に反応して、周辺国の軍を伴い接近しているという。

「ふむ。」

気概の上では少しも遅れをとらないセイ王であるが、兵力をかんがみるとユウ国との戦闘は回避したい。既に長征である。兵の気力も今回の閭攻めでさらに減退している。ここは速やかに当初の目的を果たすべきである。

即断したセイ王はすぐさま足の速い使者を安陽へ走らせた。それと同時に彼は近侍の者に何かを命じた。



程なくして、一人の男が檀下へ膝をついた。セイ王は口を開いた。

此度こたびは汝の力添えもあって、この城、いやこの国を制することが出来た。汝の恤民じゅつみんの心に免じて、極力民に手は出さずに収めたつもりじゃ。」

「王の寛大なるお心遣いに、只々敬服するばかりでございます。そしてもし、重ねてその温情にすがること叶いますれば、何卒なにとぞ、先の願いもお聞き入れ下されますよう。何卒。」

男は床へ頭を叩きながら懇願した。

「無論じゃ。汝を主とし、再びこの国を建てる。」

喜色よりも先に安堵の表情を見せたこの男は他でもない、シコウであった。


彼は実は内密にバン国の使者から今回の出征の旨を聞いていた。

ただしそれは歯向かうのならば容赦はしない、皆殺しにするという無慈悲な内容であった。

シキョウと共に国の全てを見てきた彼には争いの結果がどの様なものとなるかは自明であった。

この内容を聞かされてレツ公やシキョウがどのような態度に出るのかもわかりきっていた。

(しかし、我々が意地を見せたのならば、国民はどうなる。)

いつでも不幸を真っ先に見舞うのは声なき国民である。シコウにはそれが耐えられなかった。

独り苦悶した結果、彼は父兄を裏切ることを決めた。民がこれ以上苦しむところは見たくない。それに私が残れば血脈は保たれるではないか。彼なりの合理的な最善策であった。

彼は密使にこう伝えた。

「貴国が攻め寄せた際には、我が配下に内応工作をさせ、速やかに下れるようはかろう。抵抗する者は排除して構わないが、どうか無力な民などには手を出さないで欲しい。」

その後のやり取りで更に国を再建する際には自分を立てて欲しいと願い出た。

何とも身勝手な請願だが、セイ王は許可した。

領土を増やせるに越したことはないが、いささかジ国と接近しすぎる。これではユウ国など他の大国との緊張を強くすることは明白なので、今は控えておきたい。そういう思惑もあった。

長征を始める前より入念に情報を収集していたセイ王はそのあたりの平衡感覚も絶妙に待ち合わせている。それにレツ国程度の国などいつでも取ることは出来る、という自信もある。

今は同盟国、緩衝国として置いておく。セイ王の眼中にはあまり入れる必要のない国であった。


数日後、正使を伴った一団が閭へ到着し、セイ王へ爵位の下賜かしがなされた。

「バン国国主に子爵を授ける。」

下から二番目の爵位である。敏感に眉を動かしたセイ王であるが、黙ってそれを受け入れた。

その後、レツ国の後嗣を奏請し、無事許可を得ると、颯爽と自国へと引き上げた。


シコウはレツ国の国主となった。しかし、表情は決して晴れやかでは無かった。小国である以上これからも様々な波を被らねばならないであろう。それでも民だけは守る。蒼然とした顔で彼は孤独に決意を固めていた。

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