別離

皆を下がらせた後、シキョウは妻のシンユウと二人になった。二人の時間もこれで終わりとなる。シンユウはシキョウの腕の中で涕泣ていきゅうした。

こうも早く別れが来ようとは想像だにしていなかったのである。

「シュウを、頼むぞ。」

彼女は泣き止まない。

まだ二人は若かった。シンユウが嫁いだのも数年前で、ようやく家庭をもつ喜びというものを享受し始めた頃なのだ。

「私は公と最期を共にせねばならん。公が留まると決めたのだ。私が一人去るわけにはいかぬ。それ故そなたとシュウに後事を託すのだ。」

「…」

「シュウを強い男に育てて欲しい。この様な無残なことに二度とさせない為に。強い国の主になるのだ。」

「国の主に…」

「そうだ。あやつにはその資格がある。しかし一人ではそうはならない。そなたと、ランキ、ランソクとがいればきっと叶う。その下には多くの士が集まるであろう。」

徐々にシンユウの双眸そうぼうの奥に光が宿された。

この世で生きていくことは決して容易なことではない。生きていく為に学び考え、行動していかねばならない。何もしないことはただ死に追い付かれるだけである。

「シュウにも教えてやって欲しい。心をつよく持てと。誰かを守る為にならばその心、純粋に育てることができるとな。私の場合、それは公と国と、そなたたちであった。守るものが多くて、大変であったわ。」

二人は微笑んだ。ここに及んで夫の心奥に触れたシンユウは、その心を一つに出来た気がした。別れが辛いのは仕方がない。だが、覚悟を決めなければならない時がきたのだ。

「本当はあなた様と二人で最期を共にしとうございました。でも、あなた様のお志を理解した今、我が儘なことは言いません。必ずあの子を立派に育てて見せます。」

「そうか。そなたが妻で本当に良かった。」

再び笑い合った二人は強く抱擁を交わした。


夜になってシキョウは宮殿へ向かう支度を整えた。

「では行ってくる。」

言葉は短くて良かった。

ランキや他の家人達は涙が止まらない様子であったが、シンユウはしっかりと立っていた。シインは不安げな表情であったが、泣いてはいない。それを見たシキョウは少し安心をした。

家門を出た所でシインが駆け出してきた。

「お父上っ。」

その声を聞いたシキョウの胸に、こみ上げてくるものがあった。




「シュウよ、」




シキョウは身を屈め、シインの肩を掴むとしっかりと目を見据えて彼に最期の言葉を与えた。

思えばこの時から、シインの生涯は運命付けられたと言ってもよいかもしれない。

この時のシキョウの言葉はシインの心奥に深く深く刻まれた。


勇ましく駆けて行く父の背中を、シインは見えなくなるまで見送った。




宮殿に着いたシキョウは早速レツ公へ謁見した。

レツ公は鎧を解くことなく左右へ命令を出していた。

「おお、着いたか。女どもに直ぐに城を出ろと伝えておるのだが、なかなか言うことを聞かぬでな。苦労しているところよ。」

この状況下でも豪胆に笑うレツ公である。このような剛毅ごうきな質であるから、臣下妻妾の多くもそれに感化されている。おそらく武器を手に戦うつもりなのだろう。

「そなたはどうした。」

明暁みょうぎょうを待って城を出るよう言い含めております。」

「それでよい。ここで我が家を絶っては先祖に申し訳が立たぬでな。我が国はシュウが跡を継ぐであろうよ。」

シインはレツ公からすれば孫にあたる。

末弟の子となれば優先順位は低いが、資格は十分にある。そうでなくてもシキョウの家を継ぐだけでも血脈は保たれる。

「時に、宰相殿はいずれに居られますか。」

「シコウか。戻ってすぐに顔を見せたが、今は街の方へ行っているであろう。あやつも民思いであるからな。」

戦えない者達は緊急的に城内へ迎えいれる。

その後各門へ守備兵を配置する必要があるので、シキョウはシコウに会うために宮殿を後にした。

今はどこも慌ただしい。喧騒の中、高官にシコウの居所を聞いて回り、漸く見つけ出した。

「宰相殿。」

旗を掲げ簡易的に陣所とした詰所にシコウはいた。

丁度配下に命令を下していたところだったのか、シキョウの声にその者は弾かれたように一礼をし、すぐさま出ていった。

「おお、キュウか。よく公を御守りした。シユウのことも聞いておる。先祖に恥じぬ最期であったようだな。」

礼に則り、哭泣こくきゅうして弔いたいところだか、そうできない状況であるのは二人ともわきまえている。

「城内の兵の配置はすませてある。あとはそなたの兵をどうするかだが。」

「正門が一番激しくなることでしょう。我が軍にお任せを。」

「済まぬな、そなたには苦しいことばかり押し付ける。」

「お気になさいますな、して当然の立場です。宰相殿の方こそ辛いお立場でありましょう。」

「うむ、何としてでも、この国と民は守り通すつもりだ。」

そう言うシコウの眼差しには並々ならぬものがあった。

彼がこの様な眼をするのは見たことがない。少し驚きも感じたが、そうさせるには十分な状況である。

その後、二人は別れを惜しみ、杯を交わした。これで今生の別れになる。


「それでは、行きます。」

シコウに深くゆうをした後、彼は決然と陣所を後にした。それを拱手きょうしゅして見届けたシコウは、再び配下の一人を呼び、何事か指示を出し始めた。


正門へ到着したシキョウは配下へ指示を出した後、見張りを立たせて少しの睡眠を取った。これが最後の休息とも言えるが、既に彼の意識は明日の戦いへ向いていた。もはや眼前の敵しか見ないようにしている。妻子のことは深く心の奥へとしまい込んだ。



白い筋を地平に伸ばしながら、太陽が現れた。バン軍は律儀なまでに、その時を合図と言わんばかりに攻城を開始した。

外門から攻略にかかるバン軍だが、攻める方向に偏りがある。これも吉凶を占った上で決められるものである。城壁などは建築する際に外からくる邪をはらう為に呪詛じゅそをその壁に塗り込める。古くは呪術士や敵兵などの奴隷、獣など犠牲を埋めるなどを行ったが、この時には呪符などをはこに納め、それを埋める様にもなっていた。しかし、城門など特に重要な所においては犬牲けんせいを用いてその血で浄め、そのしかばねけるなどはこの時代、どこの国でも行っている。

その為、攻め寄せる側としてはまずその呪を打ち払う必要がある。その一環として攻めるべき方角などを占いによって定め、そこから攻める。

この日は南からの攻めとなったようで、バン軍は大きく迂回をしたのち城門へと殺到した。

今回も呪術士達が狂ったように踊りをしているが、あらかじめそのことを聞いていたレツ軍の兵達はさほど動揺もせず、絶えず上から矢の雨を降らせた。

日が中天を過ぎる頃に一度兵を退いたバン軍だが、その後も何度も執拗に攻めを繰り返した。

そのため、レツ軍の必死な抵抗も虚しく、晩陽ばんよう遂に城門を破られてしまった。

残るはシキョウらの守る内門のみである。

宮殿を堅固に囲む内門と城壁は当時としては最先端の石造りである。易々と越えられるものではない。

宮殿の東に位置する正門と、南北に一門ずつの計三門ある。シキョウは正門、シコウは北門に陣取っている。

徐々に喚声が近づいてくる。逃げてくる者たちを素早く収容しつつシキョウは左右に戦闘体勢を取るように指示した。

ここに至っては、彼は眼前の敵にのみ意識を集中させている。彼の心に残る全てのことは激烈な闘志の裏へと隠し、非情な戦士へと己を変貌させる。一兵たりとも自らの後ろへは行かせぬ。彼は恐ろしいまでの殺気をまとわせた。

シキョウと共に戦場を駆けてきた配下の者達もそれに呼応するように鋭い怒気をたぎらせる。

「皆のものよいか。これより我等は寄せる者全ての命を刈り取り、その血を浴びて先祖の報いと為さん。この地に一つの命も残すでないぞっ。」

凄絶せいぜつな掛け声をあげたシキョウに、全ての配下が唸りにも似た雄叫びを響かせた。正門へと押し寄せていた敵の先鋒は、そのほとんどが腰を抜かし、肝を潰した。それでも兵長らに追い立てられ、門へと肉迫する。

しかし、こうなっては両軍の気力の差は明らかで、死力の纏った剛弓の雨霰あめあられの下に、みるみるうちにバン軍の死屍ししが門前へと折り重なっていった。

こうなると攻め手は数にたのむしかない。彼らはひたすらに死の門へと兵を送り続けた。


何刻たったであろうか、気がつけば夜も深まってきている。

正門には累々るいるいとバン兵の死体が広がっている。

結局、彼らは少しもその門を押すことは出来なかった。

凄まじい戦闘であった。だが、恐ろしいことにバン軍はまだ攻めをゆるめていなかった。その盲目的な戦意に通常であれば不気味さを覚え、気後れるものだが、シキョウ軍もまた、微塵もたじろいでいなかった。もはや死期を悟っての攻防である。あらゆるものを越えた境地に立っているといっていい。

しかし、ここで遂に無情な戦況を伝える使者がシキョウの下へ来た。

「シコウ様の守る北門が破られました。シコウ様の行方はわかりませぬ。」

(破られたか、兄上)

彼は直ぐに配下の兵長に正門の守備を任せ、レツ公を守るべく、数人の供を連れて正殿へとひた走った。


正殿内へと到着すると既にレツ公が自ら剣を手に取り戦っている。

「父よっ」

える様にそう呼び掛けるや、瞬く間に数人を切り捨てた。レツ公へと刃を向けようとしている兵には、背後から剣を滑らせる。敵の首は勢いよく床を転がっていった。飛ばされた方の敵兵は自らが絶命したことに気づかないままであっただろう。もはや常人の為せる技ではない。

余勢をかって躍り込んできた敵兵は思わずたじろいだ。

「遅いではないか、キュウよ。もう疲れたか。」

この期に及んでも不敵な笑みを絶やさないレツ公である。

「まだまだ暴れ足りませんな。不思議と力が湧いてきて止まりませぬわ。」

「ふふ、わしも同じよ。さて、どれだけほふってやろうかの。」

老境に達しようとしているレツ公だが、その剣の腕は衰えを見せない。

見事な剣さばきで来るものを薙ぎ倒していく。

勿論もちろん、寄せる敵全てを葬り去るまで。」

百を超える人数で詰め寄るバン軍に対し、レツ軍は護衛の者も合わせて十人程である。しかし、その強さは尋常でなく、まるで一つの大きな生き物であるかの様に暴れまわっている。不用意に近づいたバン兵は食いちぎられる様に倒されていった。


いつしか宮殿に火を放たれ、周りが炎に包まれていた。正殿周りは多くのバン軍に囲まれて、蟻の這い出る隙もない。

恐るべき胆力で戦いを続けていたレツ公とシキョウであったが、気がつけば二人きりになっていた。それでもなお振るう剣の勢いは止まず、足の踏み場も無いほどたおれた者で埋め尽くされている。業を煮やしたバン軍はここで弓兵を宮殿内へと送り込んだ。味方諸共射殺そうとしている。

敵が弓を引いていることに気付いたシキョウは、咄嗟にレツ公に覆い被さる様にしてその身を守った。

刹那、大量の矢が放たれた。二人に向けるには多すぎる数である。如何いかにバン軍が恐怖に駆られていたのかが良く分かる。

シキョウはその背に全ての矢を受けた。

「父よ…」

「十分、十分だキュウよ。お前は本当に良くやってくれた。これならわしも、父祖に顔向けできようぞ。」


二人の身体に無数の刃が突き立てられた。



壮絶な二人の最期には敵であるバン軍ですら畏敬の念を抱き、或る者はしばら茫然ぼうぜんと立ち尽くし、或る者はその場で何事か祈りを捧げていた。




こうして、一夜のうちにレツ国は陥落した。

ここまで猛然と進軍してきたバン軍だが、ここに至り、足を止めざるを得なくなった。予想以上に多くの兵を失ったからだ。

バン軍はここで斃れたレツ国の兵達を集め、うず高く積み上げるとそれを塚とした。京観けいかんと呼ばれるものである。戦功を祝う為のものともされるが、今の彼らには勇猛果敢なレツ軍への敬意も込められている。

それとは別に、レツ兵の首が城門に懸けられていった。

これもこの首の呪力によって、新たな地の祓除ふつじょを行うものである。バン軍にとっては別の祖霊の居る地であり、こうすることで祓い、鎮めることが出来ると信じているのである。いずれにせよ、古いしきたりによるものである。

しかし、これら一連の儀式は占領されたレツ国の民にとってはただただ凄惨な行為にしか映らず、皆一様に身を震わせるばかりであった。


こうして制圧を終えた翌日に、一際ひときわ重厚な一団が入城した。その一団の長こそが、バン公である。

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