戦雲

数里先のバン軍を見て、シキョウは顔をしかめた。

「一体あの者達はなんだ」

凡そジ王朝に関わりのある国はジ王朝の慣習を有している。国によっては民族そのものが違うこともあるが、文化としては同じものを共有しているので、他国に行ったとしても深刻な差異を感じることは稀である。

それは軍事においても同様で、軍隊編成や戦闘の作法なども共有されている。特に作法においてはこの時代では尊重される。敵を殲滅し、屈服させる事に重点を置かず、ある種の儀礼をもってお互いの将が対決を行う。所謂いわゆる紳士的行為で勝敗を決するのである。

それゆえに奇襲や騙し討ちなど卑劣な行為は最も下劣なこととされ、ひいては国としての矜持きょうじを激しく損なう。蛮族の類いと蔑まれるのだ。

各地に点在する遊牧民族たちは、彼らからすれば正にこの蛮族に相当する。それ故に討伐の標的とされる側面もある。

そして今シキョウが対しているこの軍もその異様さでは蛮族のそれである。

遊牧民族らとは違い、統制の取れた陣容ではあるが、その最前線には見慣れぬ集団が一列に並んでいる。

皆武器を持たず、鳥の羽など飾りの多い装いで、鐘や太鼓の様なものを抱えている者もいる。その者達が一斉に声を上げ、音を鳴らしながら一心不乱に祈りの様な動作を繰り広げている。

彼ら、正確には彼女らと言うべきだが、これらは呪術士、シャーマンである。

シキョウなどは知り得る筈もないのだが、一見異端に見える行為は先王朝で採られていた行為である。彼女達の行動は遠征先の土地の神、地祇ちぎへの働きかけと、相対する敵の守護神とも呼べる先祖霊への攻撃的行為である。先王朝にも遡る時代ではより霊的要素に対する意識が強く、全て物事には先祖を含む天神地祇てんじんちぎによる影響が在るものと信じられていた。それゆえ農耕から戦争に至るまで、事有る毎に卜占を行いその神意を伺っていた。

むらの外は言わば異界であり、いつ祟りがあるか分からない。その為、道を清めたり先の土地の神を鎮めたり、と様々な呪的行為を行っていたのである。

バン国はまだその遺風を強く残しており、しかしそれは、最早現王朝からすれば甚だ時代遅れなものとなっているのだ。


そうしたバン軍の意図とは裏腹に、この前時代的な行動を見ていたレツ軍は一様に恐怖を覚えた。

「まずい。」

このままでは兵の士気を下げるばかりだと即座に判断したシキョウはにわかに前進した。

先に述べた通り、この時代の戦いは将同士の対決が主である。将は兵車に乗り、それに歩兵が従う。兵車には将を含め三人が乗り込む。一人は馬を操る馭者ぎょしゃ、もう一人はなどを振るい戦う。こちらは兵車の右側に乗ることから車右しゃゆうと呼ばれる。正に将の片腕となり戦うことになるので、配下の中でも特に信頼と実力を認められた者のみが立つことを許される。


高速で移動するこの兵車からの攻撃に、歩兵は抗う術は無いに等しい。シキョウは勇ましく声を上げながら、呪術士や歩兵を蹴散らし、敵軍の将目掛けて突入した。

眼前の敵将の兵車の動きは精細を欠いている。

この兵車自体を操ることも相当な練度を要する。朝に習って夕に乗れる、という代物ではない。恐らく彼らが兵車を使い出したのは最近なのではないか。とシキョウは見た。

幾度となく戦場を駆ってきた彼に、敵将はほとんど為す術もなく兵車から叩き落とされていった。


攻撃の手ごたえを感じていたシキョウは、ここにきて背後に違和感を覚えた。普段ならば将を討たれた敵は逃走していくものだが、この軍の歩兵たちは構うことなく襲い掛かってくる。レツ軍の兵は当然敵が四散するものと思っているので、なおも戦いを挑んでくる敵兵に戸惑っている。

(これでは数でされてしまう。)

非常な戦闘であることを感じているのはシキョウだけでなく、その後交戦を始めた中軍下軍においても同様であった。

初撃では敵に痛手を負わすことが出来ても、そのまま乱戦に持ち込まれる。

流石に単騎で敵陣深く斬り込む無謀は出来ないシキョウは、歯噛みをしながら体勢を立て直すべく奔走した。

しかし、ジリジリと兵力を損耗したレツ軍は、最終的には退却を余儀なくされた。

「何ということだ。」

戦場では遅れをとったことのないシキョウであるが、今回は何もかもが齟齬そごをきたしている。礼儀作法を知らぬ遊牧民族達とも違う異質さがあるが、それが何であるのかは説明出来ない。

焦燥と共に彼の胸裏に敗亡の闇が迫劫はくきょうしてきた。

このまま城に攻め込まれたならば妻子ともども命を刈り取られるであろう。

背後の敵は容赦なく追撃を行ってくる。この様な苛烈さも常には無いものだ。戦闘の意思を失った者達を攻撃することは戦の礼に反する。

この様な礼の欠片もない有象無象うぞうむぞうに怒りを覚えながらも、この勢いを止めることが出来ない。今は配下の者たちを一人でも多く城へ逃がすことだ。


そんな中、流れに逆らうようにバン軍へ突撃を掛けていく集団がいた。下軍のシユウである。

「兄よ」

兵の中にシユウを見たシキョウは思わず叫んだ。

「キュウよ、公はまだ敵に追われておる。必ず城まで御守りせよ。」

「しかし兄は―」

「なに、戦が出来るのはそなたのみでないことを見せてやるわ。」

笑いながらそう言うや、勇猛に兵車の速度を上げ追撃する敵に正面からぶつかっていった。

思わぬ反撃を食らったバン軍はここで勢いを弱めた。

兄のすることは判っている。そして自らのすべき事も解っている。今は唇を噛みしめることしか出来ないシキョウは、意を決してレツ公のいる中軍へと疾駆した。


閭まで数里というところで、上軍は中軍と合流した。その中にレツ公を見つけたシキョウは兵車を並べた。

「おお、無事であったかキュウよ。」

「しかし、兄は―」

「…そうか。」

レツ公は天を仰いだ。

「あやつは誰よりも一族を思いやっていた。」

兄や弟の才を認め、自ら下支えの立場へ甘んじた次兄である。我が身の栄達よりも一族の、国の為に陰ながら行動する人であった。涙を流していてしまいたい衝動に駆られたが、一軍の将がその様な真似はできなかった。まだ戦いは終わってはいない。


日が落ちようとした頃、全軍の収容を終えたシキョウらは固く門を閉ざした。レツ国の首都であるこの邑は貴族や君主の住まう中心街を囲むように村の集合体が取り巻いている。この邑全体を土をき固めた分厚い城壁で覆い、外敵からの侵入を阻むようにしている。更に中心街の周囲にも強固な城壁を築いている。こちらは未熟な造りながら石壁で出来ている。

ジ国に近いこともあり、これほどの城構えは辺境の国などでは見られないものだ。

城を守る兵たちにもそれは浸透しており、一先ひとまずは安心、とようやく身体を休めることが出来た。


しかし、シキョウは城外に明滅する炬火きょかを睨みながら、これまでの事を整理しながら考えていた。

何の予告もなく国を侵してきたバン国、こちらの戦の常識をまるで理解していない様であり、しかしそれでも、それを模倣しようとしている向きもある。

一体何が目的なのか、ただの侵略行為ということなのか。

同時に彼はもう一つの事を考えていた。

じんの陥落である。

北への橋頭保とも言えるこの邑は決して脆弱な守りなどでは無かった。それが、使者の到着を待たずに落ちてしまった。今日の戦いでバン軍の力量は知れた。あの様な無謀な挑み方をしていて迅速に城を攻略出来たとは思えない。

そうなると考えられることは絞られる。

「内応者、か。」

邪推である、と思いたい。しかし、今はもう熟考する時もない。既に敵には肉迫されているのだ。

最悪な状況を考えて、シキョウは先手を打つことに決めた。


彼は自らの邸宅へと足早に戻ってきた。

状況は既に伝わっているので、家宰かさいのランキの指示の下で家の者が慌ただしく支度を整えていた。

「皆を集めてくれ。」

ランキにそう伝えると、彼は自室へ入った。

ほどなくして家の主だった者たちが居並んだ。

「シュウよ、これをそなたに与える。」

そう言うと、シインの小さな手に精緻な彫刻の施された玉壁を握らせた。

「これは我が家の宝である。公より賜ったものだ、肌身離さず持っていよ。」

「シキョウさま、それは」

ランキは瞠目どうもくした。

この玉壁はシキョウが司馬に就いた際にレツ公より下賜されたものだ。更に言うと、これはレツ公がジ国王より賜ったものでもある。キ姓の者にのみ与えられ、これを持つことは王に近い身分であることの証明になる。

しかしこれを持つのは家長である。その意味を理解したランキは声を震わせた。

「どうなさるおつもりですか。」

「公を御守りせねばならない。最期までな。」

「ならば私も」

「ならぬ。」

即座にシキョウは遮った。

「汝には妻たちをジ国まで送ってもらわねばならん。」

「そんな」

今度は妻が声をあげた。

「最期まで一緒に居とうございます。」

「言うな。我が家の、我が国の血脈を絶やしてはならんのだ。」

シインはレツ公の孫にあたる。シインにも公位継承権はある。

「それほどに危のうございますか。」

「既に次兄も討たれた。それに私は、内通者を疑っている。」

「なんと。」

ランキは絶句した。シユウがたおれたこともそうだが、正体不明の敵に対して、事もあろうに内通している者がいるとは。

「それ故時間がないのだ。いつ門を破られるかわからぬ。共の者も連れて城を抜け出すのだ。」

「…わかり、ました。」

ランキは断腸の思いでそう答えた。

月の出ていない夜に出発するのは危険である。

一行は明朝、日の出前に抜け出ることになった。

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