4.
あの日以来、黒髪の女性には会わなくなった。というよりも、気にする暇がないほど忙しくなってしまっていた。
会議が終われば一段楽できるので、それまでは近道を通って家に帰り、早めに出勤して出来るだけ早く帰れないか模索してみた。しかし、早く仕事が終わる分、任せられる仕事が増えたので、あまり変わらなかった。
もう頑張り過ぎないようにしよう、程々にしないと体が壊れてしまう。最近栄養失調か何か知らないが、ふらっと体がふらつく時がある。体が休養と欲しているのだろう。
今日も、いつものように真っ暗な夜道を歩いて帰っていた。コンビニで冷凍食品の炒め野菜とカップ麺、ストロング缶チューハイを買った。たまには野菜を摂取しないといけないので、野菜ラーメンにしようかと思いつつ、曲がり角を曲がり、少し歩いた時だった。
「……いっ! 」
ふくらはぎが何かに切られたような痛みが少し走った。ズボンは切れていない。たまたま公園の前で、皮膚に痛みを感じたので、ベンチに座って、ズボンの右足の裾をあげてみる。十センチほど斜めに切り傷があった。既に血が止まっており、かさぶたもできている。今日はよそ風で強風は吹いていないし、ずっと今日は座ってパソコンに向かい作業していた。それに、あたりは誰も歩いていない。
「何で……? 」
最近よく服の中で切り傷ができる。ふくらはぎだったり、腕だったり、年中長袖ワイシャツ人間だから着替える以外で肌を露出する事はないのに、何故だろう。まさか……
「……鎌鼬? 」
「そうともいいます」
「……⁉︎ 」
前から声がしたので顔を上げると、さっきまで誰もいなかったのに、この前の黒髪女性がいつもの黒ジャージで今日も不機嫌そうに腕を組んで立っていた。今日は水色の襟付きシャツで、髪は一つ結びだ。
「……いつからいらっしゃったんですか? 」
「ずっといましたよ。あなたがこちらにいらっしゃる前から」
「……そ、そうだったんですか。す、すみません気づかなくて」
全く人がいる気配もなく、誰もいなかったので座ったはずだ。戸惑う俺をよそに、彼女は顔色ひとつ変えずに話を続けた。
「それはそれでありがたい事です。しかし……」
視線を落とし、俺の右足のふくらはぎを見つめた。
「それの正体がすぐ分かったのは流石ですね」
それ、と首で指し示した先には先程できた傷跡があった。
「……まぁ、大体怪我したら殆どの人が疑うと思いますけどね」
「貴方みたいな方はそうかもしれないですね。ただ、貴方は切られた後に気づかれたのが早かったです。……こちらが少し抑えられずに強くしてしまったのがいけなかったんですが」
そう言って彼女は、彼女からすると右肩のあたりを少しきつく見た。……何かいるのだろうか、注意深く見ても何も見えない。肩あたりには何もない、ということはその周りか?
ついには公園中を見渡し始めた俺に呆れたのか、彼女はクスッと笑った。少し顔が穏やかになっていた。
「……貴方には、話しても大丈夫そうですね。そんな匂いがします」
「え……? 」
「……出ておいで」
さっき見ていた右肩のあたりに手を当て、トントンと合図すると、小さい小動物……カワウソのような頭がちょこんと出てきた。
「貴方は都会育ちだから、恐らく殆ど見たことないんでしょうけど、非日常な事って結構身近にありふれているんですよ」
「非、日常……」
「普通は気付きませんが、たまに子供や動物は分かるようで、大人なっても分かる人はなかなか少ないんです」
「……はぁ」
「ピンと来てないようにしても無駄ですよ、私には全部見えています。何もない平和な日常に住む貴方が、平凡に飽きて、非日常を羨む事くらい分かりきってますから」
「……つまり、貴方には、見えてるんですか? そういうのが」
俺の返事が面白かったのか、一つ結びの髪を揺らしながらクスッと笑った。
「……そう、ですね。見える、というか今ここにいますからね、ほら」
彼女の右肩に出ていたカワウソのような頭はスッと左肩に移った。もしかして、あれが鎌鼬だったりするのだろうか。
「この子は人間の目の前は初めてなので……警戒してるんです、許してあげて下さい」
その肩の動物らしきものが鎌鼬なのかまでは答えなかった。妖怪とか幽霊とか、宇宙人とか……そういうのは信じてはいたけど、まだこの目で見たことはなかった。彼女にはそういうのが見えている、霊感がある人なんだろうか。
「あんまり話すと怒られるので、詳しくは言えないですが……。まぁ少なくとも私は、貴方と同じ普通の人間ではないです。貴方が見たいと思っているこの世の者ではない方々と全く違う訳でもありません」
とても冗談を言うように見えない出立ちなのに、突然とんでもない事を話し始めた。人間でもないとなると、霊能力者とかでもなくなってくるぞ?
「……ケンケンパとか、素振りも、何かその……人間のふり? をするのに必要なんですか? 」
「直接ではないですが、役立つ事ではあります。詳しくはお話できません」
「何故、ですか? 」
一歩前に俺に歩み寄り、真剣な眼差しで話し始めた。
「貴方に、身の危険が及ぶからです」
「……! 」
「何事も知り過ぎは良くないって言うじゃないですか? まぁ、もう手遅れかもしれないですけどね」
「え? 」
少し風が強くなってきた気がした。木の葉が揺れる音が少し騒がしくなってきている。
「私に会ってから不可解な事はありませんでしたか? 」
不可解な事……残業はいつもの事だし、電車の乗り換え間違いはたまにするけど……そうだ!
「最近ポストに落ち葉が入るんです、そう、ここ毎日です。気にせずそのままにしてたら、量がどんどん増え」
「伏せて! 」
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