3.



 翌日、やはり俺は断れなかった。昨日とは別の同僚に頼まれた用件を受けてしまった。それとは別に、課長から途中経過を見せるように言われて、あれこれダメ出しされた会議用資料の再作成もしていた。今日は隣の部署にも残業していた社員が何人かいたが、俺よりも早く終わったようで、次々と帰ってしまって、残っていた最後の一人も既に退社済みだ。

 「あぁあ、終わるかなぁ……」

 広いフロアに独り言が虚しく響いた。隣のビルは今日も明かりがついている。お互い頑張りましょう、と心から檄を飛ばし、またキーボードを走らせた。


 なんとか用件を済ませ、指摘された箇所は修正できた。隣のビルは、真横の階は電気は消えていたが、一つ上の階はまだ明かりがついていた。

 「本日も、お先に失礼しますね」

 後は明日にしよう、今日全部終わらせると交通機関が終わってしまう。



 電車はまだ動いていた。しかし、思考力が落ちていたらしく、家とは逆の電車に乗っていたのに二駅乗ってから気がついた。また電車に乗るのも恥ずかしいので、歩いて帰る事にした。線路沿いに歩けば帰れるだろう。たまにはいい、違う道で帰ってみよう。


 二駅違うとやはり街並みが違う。家の周りよりも人が多い。飲食店からは人の賑わう声が聞こえ、終電までは呑み明かしそうな感じだった。

 しばらくそんな飲み会は行っていない、多分新人会以来呼ばれていない。いや、呼ばれた事はあるが、酒が強すぎて面白くないと言われた気がする。言っても話す事もないし連むのも好きではないので都合は良かったが、やっぱり仲間外れされているようで少し悲しくはある。

 途中であったコンビニで、ストロングと書かれた缶チューハイ、昨日書い忘れたおつまみ、おにぎりを数個買った。最近は炊飯器すら使わなくなってしまった。帰り着いたら程なくして寝落ちしてしまう。



 「ふんっ! ふんっ! ふんっ! 」

 しばらく歩くと、道沿いに木が茂る公園があった。こんな夜中に夜練だろうか、バットを振るような鈍い音もする。熱心な部活生だな、と知らない公園の横を通り過ぎながら声の方を向いた。

 「……ぇ⁈ 」

 「……はぁ、また貴方ですか」

 まさかと思ったが、昨日家の近くで会ってしまった黒髪の女性が、上下黒ジャージで不機嫌な顔でバットを持って立っていた。今日は首のあたりはフリル付きに変わっていて、黒髪はポニーテールになっている。

 「す、すみません! 邪魔するつもりはなくて! たまたま電車間違えただけなんです! 」

 「言われなくたって、そうやって顔に書いてますよ。……ったく、偶然にしても見られると都合が悪いんですけどね」

 それにしても真っ黒で綺麗な髪だ、肌も綺麗で、スレンダーで、芸能人みたいに可愛い……というのは今はいい。

 「あの……」

 声をかけると、キリッとしたつり目でギッと睨みつけらた。

 「ひぃ……え、えっと、な、何をしてらっしゃったんですか? 」

 「何をしてたと思いましたか? 」

 「す、素振りです」

 「まさしく、そうですが? 」

 それ以降の回答がなかった。昨日はケンケンパ、今日は素振り、やっぱり体育教師なんだろうか。

 「分かったら今日は帰ってくださいませんか? 私はまだノルマがあるんです」

 「は、はい! すみません! 頑張ってください! 」

 彼女は困ったように笑って、小声でありがとうございます、と会釈し、また真剣にバットを振り始めた。何のノルマだろう。あと百回とか素振りするつもりなのか。




 家に帰ってポストを見ると、手紙と一緒に入るはずのない落ち葉が入っていた。近くに街路樹はない。誰かの悪戯だろうか、特に何もせずにそのままにした。

 テレビをつけると、ニュースが流れていた。コンビニでの立て篭もり、海外で大規模火災、最近は物騒な事が多い。不景気だと事件が増えると何処かで聞いたが、やはりそうなんだろうか。

 おにぎりを口に運びつつ、ストロング缶チューハイを開ける。長く歩いて帰ったせいですっかり温くなってしまったが、ないよりはいい。とにかく疲れた時はアルコール分が欲しい。


 「……あの人は何者なんだろう」


 誰もいない部屋に問いかける。公園で一人、毎日何かの練習をしている。飛び跳ねて、素振りが役立つ仕事……何も思いつかない、チアリーダーか何かか。

 二度も会ってしまうと気にしないようにしたいが、何者なのか、正体が知りたくなってしまう。ひょっとしてあれか、この世のものじゃない宇宙人で、この世に馴染もうとしているのか。だからあんなに肌が白いのか? ……違うか、日焼け止めをすれば日焼けしないのか。


 今日はまだ、動画の更新はなかった。代わりにメッセージアプリは更新があり、カーペットで丸くなって寝ている可愛い猫の画像が添付されていた。猫は可愛い、一度は飼ってみたいが、ただでさえ狭い部屋と帰宅の遅さ、果たして飼い続けられるだろうか。……多分無理そうなので、流れてくる画像で我慢する。猫様に負担をかけたくないし、暴れて部屋が足の踏み場が無くなりそうな気がする。もう少し、いろいろ落ち着いたら黒猫様をお迎えしたい。

 




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る