第10話 入るも地獄・出るも地獄

 ルクソールはかつてテーベと呼ばれる太陽神を祭った都であった。そのため多くの建造物が作られ、ナイル川をはさんで東西に遺跡が残っている。古代エジプトでは日が昇る東側に生者の町を、日が沈む西側に死者の町を作ったのだという。故に東岸には多くの神殿が、西岸には死者を埋葬する葬祭殿や墓地である王家の墓がある。


 LF財団からの情報によると、盗品を扱っているやからは西岸にいることが多いとのことであった。王家の谷はナイル川を挟んで反対側にあるため、俺たちは川を渡るための船乗り場を目指した。


 気温は40℃を超えており、立っているだけでも汗が流れ出る。ルクソール駅から船乗り場までの移動に、俺はタクシーを探していた。王家の谷に渡るとすべて歩きになるため、少しでも体力を温存しようと思ったからだ。タクシーの中で車中で起こった事件について詳しく話が聞きたい気持ちもあった。そんな時デニーさんがアラブ人から声を掛けられていた。


「馬車どう?。安いよ、一人テンダラー。」

「神殿案内するよ、ルクソールにカルナック。」

「いい思い出になるよ。」

と、しきりにアピールをするアラブ人。案内付きで一人10ドルはかなり手ごろだが、あとで値段を吊り上げられることは間違いない。スルーしようとした矢先。


「きゃ~、ラクダの次は馬車なのね~。」

「一人10ドルを三人10ドルにまけるのよ~。」

「そうしたら乗るわ~。」


 交渉がまとまったとは思えないが、デニーさんに促されるようにして、三人で馬車に乗り込んだ。馬車はルクソール神殿を通り過ぎカルナック神殿に向かっていた。


 日差しは強く、葉山さんはかなりいい感じの褐色に日焼けしていた。デニーさんは葉山さんの強力な日焼け止めをこれでもかと塗っていたが、じんわりと赤くなっていた。俺は風通しの良いジャケットを着ており、極力露出を抑えていたが、不気味なほど手の甲が赤黒く日焼けしていた。1時間もたたないうちにこれである。


 馬車はカルナック神殿に到着した。この先はファルーカと呼ばれる帆船で川を渡るため、馬車はここまでである。馬車の降り際、アラブ人とデニーさんがなにやらもめていた。


「三人で60ドルね~」

と、やはり値段を吊り上げてきた。

「三人で10ドルなのよ、これ以上は払わないわ。」

と、財布の中身を見せて、強引な交渉を行うデニーさん。

しばらくそんな交渉が続いていたが、アラブ人は諦めたのか首を切るジャスチャーを交えて、最後に

「グッバイフォーエバー」

と捨て台詞を残して去っていった。

「だいぶ交渉が慣れてきたのよ~。」


 カルナック神殿の入り口にある参道には、40体もの小型スフィンクスが並べられている。その参道を抜けると、左右合わせて122本もの円柱が立ち並び、その奥には巨大なオベリスクが現れる。高さ30m、現存する最大のオベリスクだ。実に壮観で圧倒される眺めである。

 ファルーカに乗るまでに時間が少しあったので、カルナック神殿を散策しつつ、スタンドで水分補給を行った。


「いよいよ死者の谷に乗り込むのね~。」

「リーフ、船酔いの薬ちょうだい。」

「あゃ~、酔い止めは持ってないや。」

「なんということでしょう~。」

「川幅300mくらいなので、あっという間につきますよっと。」


 ナイル川のゆったりとした流れでファルーカは進んでいく。日差しは相変わらず強いが、流れる風が気持ちいい。デニーさんは最初はちょっと顔色が悪そうに見えたが、降りるころには船酔いを克服したのか、これまで通り元気いっぱいであった。


 俺たちはファルーカを降り、死者の谷に降り立った。ここには現在64基もの墳墓がある。「現在」というのは、今わかっているだけの数である。実際にどのくらいあるのか未だ不明で、今なお発掘作業が進められている。新たな発見が尽きない場所なのである。


 見渡す限り岩と砂で、ここから先は日差しを遮るものはほとんどなく、足元からの照り返しも強烈である。まるで両面焼きだ。

「この辺りに観光客相手に商売している人がいるらしいので、探しつつ進んでいきましょう。」

「きゃー、シャツに白いシミが大量にあるのよ~。」

 葉山さんは、デニーさんのシャツにまばらに付着した白い粉末を、おもむろに舐めると

「ふむふむ、これは塩ですねっと。」

「この気温と湿度なので、デニーさんの汗が即座に結晶化したんですよ。」

「きゃ~、これ全部そうなのね~。」


「どれどれ、現在の気温41℃、湿度18%、足元は反射熱も加わり55℃ねっと。」

「おいたわしや、足首がこんがり焼けるのね。」

「なんだかクラクラしてきたのよ~。」


 デニーさんはとっくに全身汗まみれで、俺も流れる汗が背中を流れ落ちはじめた。このままだと熱中症になる可能性があるので、いったん日陰に入って休憩することにした。とはいっても、ここで日陰といったら墓の中くらいしかない。そして入れる場所も限られている。近くにツタンカーメンの墓があるが観光客が並んでいたため、ひとまず空いている墓に入った。墓といっても洞窟のようになっていてその奥に棺がある。

 墓の中に入ると最初は涼しく感じるが、空気は悪く湿度も高めで不快感が増す。中に入ると息苦しく蒸し暑い。一方で外は灼熱地獄。どちらの地獄を選びますか、そんな感じだ。あきらめて墓の中で休憩したあと、外に出るといきなりアラブ人が近づいてきた。このシチュエーションにもずいぶん慣れてきたが、油断はできない。すると、


「カバ1つ50ドルよぉ。」

と変なアクセントの日本語が。

「そこの土産物屋で買って。」

「ラクダとセットで25ドルねぇ。」

セットで半額とか意味がわからない。


 これはデニーさんのスーツケースの手掛かりが得られるチャンスに違いない。

「よし、土産物屋にいきましょう。飲み物も補給できる。」

「当然ね~、カバとラクダ買うのよ~。」

「帰りは私がラクダに乗るわ、リーフとアオイはカバに乗ってちょうだい。」

 さっきまで暑さに参っていたのに、途端に元気になった。まさか、ラクダとカバが本物だと思っているのだろうか。

 

 土産物屋から出てきたデニーさんは、がっくりと肩を落とし、右手にカバの置物を、左手にラクダの置物を持っていた。どちらも黒曜石を加工していて、見ようによっては味がある。


「ヤーバン、トモダチ、これオマケね。」

「これ幸運のお守りね。」

 そう言って土産物屋がスカラベのペンダントを俺たちにくれた。スカラベはいわゆるフンコロガシのことであり、糞を後ろ脚で丸めながら運ぶさまから、太陽を司る神としてあがめられている。

 ぼったくりで有名なエジプトの土産物屋がただでくれるとは、相当な金額でで買わされたのだろうか。交渉慣れしたって言ってたのに。ここは好意に甘えてもらっておこう。


 この界隈では特に有益な情報は得られず、空振りに終わったかと思ったその時、携帯に着信があった。同じころ、葉山さんにもどこからか連絡が入り、なにやら話をしていた。


「LF財団のものです。」

「お探しのスーツケースが、アレキサンドリアにあるとの情報をキャッチしました。」

「ひとまず、財団の方でスーツケースの確保に尽力します。」

「それと我が教祖が今アスワンにいるので、一度会って宝石を確認したいとの要望があります。」

「ぜひ、お会いいただけないでしょうか。」

「ここからアスワンまでの交通費と宿泊費は、こちらで提供いたします。」


 教祖が何者か興味があるのと、宿泊費に交通費を出してもらえるという魅力的な誘いを断る理由もなく、俺たちは教祖に会いにアスワンに行くことにした。ついにスーツケースで死んでいた少年の死んだ理由がわかるかもしれない。そして、ムハマンドの死んだ理由は明かされるのだろうか。デニーさんの推理を最後まで聞いていない。


 これらの謎を明かすためにも、そのカギを握る教祖と会って話をせねば。俺たちはアスワン行きの電車に乗るため、再びルクソール駅を目指した。













 



















 

  

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