第3話 これはいったい何の災難だ

「ス、スーツケースから、、、、」

「ひ、人が産まれたのよ~~~」

と錯乱したような、意味不明な叫び声が隣の部屋から聞こえてきた。

一体どういうことだろうと、あわてて隣の部屋のドアをノックした。

すると、向かいの部屋から葉山さんも飛び出してきてきた。

「叫び声がしたような気がして、デニーさんの声よね?」

「スーツケースから人が産まれたとかなんとか、何を言ってるかよくわからないけど、非常事態であることは間違いなさそうだ。」と、俺。

ほどなくして、部屋のドアが開きデニーさんが現れた。


「ちょっと二人とも、信じられないことが起こったのよ。」

「スーツケースから着替えと抱き枕を出そうと、ケースを開けたのよ。」

「鍵がかかってなくて変だなぁとは思ったんだけど。まあ鍵のかけ忘れなんてよくあるでしょ。」

「そしたら、なんと人が入っていたのよ。」

「スーツケースから産まれてくるとか、何太郎なのー。」

「もしや抱き枕に”さく蔵”って名前つけて愛用してたから、人になったのかしら。」


 完全に錯乱していて何を言っているかわからない。そしてそのネーミングセンス、いつの時代の人なんだろう。ぱっとみ年齢不詳な人だしな。と、そんなことはさておき、まずは状況の確認をしておかないと。床には閉じられたスーツケースと、その横には見覚えのある派手なバンド、デニーさんのものに違いない。


 俺は、少しためらいつつスーツケースを開けた。

すると、そこには膝を抱えた小さな人がいた。肌の色は褐色で顔立ちからもアラブ人の子供のように見えた。


「あ、うかつに触らないほうが。まず生存確認を。」と冷静な声が聞こえてきた。葉山さんだ。この非常時にあわてるでもなく、事態を観察していた。

葉山さんが突然、「ちょっとまってて、確認しないといけないことが。」と自分の部屋にもどり、タブレットと棒状のものをもってきた。顔のそばに棒を近づけ何かを調べていた。棒にみえたものは何かのセンサーであった。


「この部屋の空気成分分析の結果、空気中に特に有害な要素はなしっと。」

「有毒物質がスーツケースの中にないとは限らないしね。」

「顔付近の二酸化炭素濃度から、この人は呼吸していないやー。」

「表面温度は20℃、ほぼ室温と変わらないな。」

「肌の色は褐色かぁ。変化は不明っと。」

「死後硬直は、触らないとわからないからなー。」

「スーツケースの内側に傷とかないから、おそらく眠らされていたか、自分の意志で入ったか、あるいはその両方ね。」

「仮に飛行機の貨物室にこの状態でいたとしたら、おそらく低体温症を引き起こしたのね。」


 葉山さんって医者なんだろうか、それとも検死官とかか。頼もしい反面、あまりの場慣れした対応に驚いた。俺は、俺は恐る恐る少年の手に触れた。冷たい。脈がない。呼吸はやはりしていない。


「ぎゃー、なんということでしょう。」

「お亡くなりになっているのね、おいたわしや。」

「まさかスーツケース殺人事件?」

「デニちゃんのスーツケースどこなの~」

デニーさんは、ようやくほんの少しだけ状況を飲み込み始めた。この状況、まずしなければならないこと、それは。と葉山さんと相談しようとしていた矢先に、

「あら、この子、首になにかかけているわ。」

「みてみてー、空港で買ったペンダントと同じよー。」


 確かに同じものだ。唯一の違いは、死体がつけているペンダントには大きな緑色の宝石がはめられていた。死を司る神を信仰するララエフ教。さっきの怪しい人と何か関連があるのだろうか。確かな情報はなく、考えはまとまらず発散するばかりであった。


「なにこれ、綺麗ね。」

「こっちのが素敵じゃない、交換してもバチはあたらないわよね。」

あの、確実にバチは当たりますよ、まだ錯乱しているのだろうか。

「デニーさん、明らかに異常事態で事件性もあるので、これ以上触らないほうが。」

「うーん、その緑の宝石、見覚えが。」と葉山さんがタブレットで何かを調べ始めた。


 俺はこの異常事態の収拾に、ホテルのフロントに連絡すべきか、警察か、やはり大使館に連絡すべきだろうかと、迷っていた。ホテルのフロントに連絡した場合、警察に連絡がいくだろう。いきなり警察だとホテルも迷惑するかもしれないし、やはりフロントか。しかし、その場合殺人の容疑を掛けられることは間違いないだろう。アラブ圏の法律や警察の対応はわからないが、文化圏の違いもあり何をされても不思議ではない。やはり大使館か。しかし今は真夜中。大使館が開くまでまだ時間がある。俺はひとまずスーツケースを閉じて、これ以上状況を荒らすことを避けた。


「ちょっと、リーフ。着替えとか予備ないかしら。抱き枕もあると助かるのよ。」

「体形似てそうだし、明日買って返すから、今晩かしてもらえないかしら。」

「それと、この部屋に泊まるの怖いから、リーフの部屋に泊めてちょうだい。」

まあ、確かに死体入りのスーツケースと一緒に寝るのはさすがに無理だよな。


 しきりに何か調べていた葉山さんが、

「わかったやー。緑色の宝石はアフリカにある小さな独立国の国宝で、最近盗難にあってるの。その宝石がどうやら日本に来ているんじゃないかって情報があって、極秘裏に捜査が進められているのよ。」

「これ極秘なんですけど。」

「立ち入るようですけど、葉山さんはどうしていろんな事に詳しんですか?」

「あー、実は私、警察庁の科学捜査研究所の研究員なんです。」

「それで情報規制がかけられていたなかに、その緑色の宝石があって。」

「似ているってだけで、本物かどうかわからないんだけど。」

「本物だとすれば、それは時価1億はくだらないはずよ。なんでもクレオパトラが愛用していたものだとか。」

「そんな高価なものが、なんで。」


 子供の死体に盗難中の高価な宝石、そして謎の宗教。

どれをとってもただ事ではない。下手したら殺人容疑がかけられ兼ねないこの状況。

いったい何の災難だ、これは。


「デニーさん、着替えは予備とバックアップがあるから貸せるけど、抱き枕はさすがにないや。」

「部屋は広いし、ベットも2つあるから、泊めるのは全然問題ないんだけど。」

「スーツケースはこのままこの部屋に置いていくしかないよね?」

「私の上司にしかるべき捜査員派遣してもらえるか、対応含めて報告するね。」

「あー、この旅行は完全にプライベートだったけど、なんか仕事っぽくなってきたやー。」


 部屋を施錠しておけば大丈夫かもしれないけど、本当にこれでいいのだろうかと、途方にくれた。今は大使館と日本の警察が動いてくれるのを待つしかないか。


 そもそも、どうやってこの人はスーツケースにはいったまま荷物検査を通過したんだろう。そしていつどこでデニーさんのと入れ替わったんだろうか。空港で受け取ったとき妙に重かったのはそのせいだったのか。だとすれば、俺が取り間違えたのか。派手なバンドがかえってアダとなったのか。そして、デニーさんのスーツケースは今どこにあるんだろう。普通に考えれば、こんなヤバイもの、本来の持ち主も今ごろびっくりして、必死になって探しているはずだ。


 「ところでデニーさん、自分のスーツケースには大事なものとか入っていますか?」

「うーんとね、着替えと抱き枕とケチャップね。あとはお土産入れる袋と、生活必需品。」

「早く探し出さないと、全部大事なものばかりなのよ。」


 俺は、二人にとりあえず今日のところは寝て、明日の朝から問題を切り分けてみてはどうかと提案した。死体入りのスーツケースは大使館と日本の警察に任せて、デニーさんのスーツケースは現地の情報通を頼るしかない。あと空港にいた、あの怪しい人物にも接触したほうがいいかもしれない。到着早々あまりの事態に考えがうまくまとまらない。とりあえずシャワーあびて寝てしまおう。目覚めたら全部夢だったとかあるかもしれないし。俺は横になるや否や深い眠りに落ちた。


 けたたましくドアを叩く音で目が覚めた。今度は何事だと朦朧としながら時計を見ると朝7時すぎであった。

「なんということでしょう~」

昨夜の出来事は夢ではなかったかと、一気に現実に戻された。

「消えたのよー」

「いったいどうしたんです?」

「朝部屋に入ってみたら、あのスーツケースがなくなってるのよ。」

「施錠したはずだったんだけど、ほら鍵のかけ忘れってよくあるでしょ。」

まあ、疲れているとそういうこともあるかもしれないけど、俺は施錠を確認していた。考えようによっては問題が一気に減って、デニーさんのスーツケースを探せば解決か、と思った矢先。


「デニーさん、その首のペンダントってまさか・・・」

「重要な証拠でしょ、これ。直観的に借りておいたわ。」

「こう見えて直観力には自信あるの。」

「実をいうと最近も迷宮入りって言われていた事件を解決したのよ。」

何かを思い出した葉山さんが、

「デニーさんって大阪出身ですか?」

「えっ、まあ近いけどどうかしたの?」

「大阪のある事件を思い出して。なんでも普通ではまず考えつかない人が犯人だったんだけど、それを見つけた人がすごいヒラメキ力だったって噂をきいて、まさかなって。」

「いやねー、この高まった女子力は隠しきれないのかしら。」

女子力関係ないだろうと、いったいどこに突っ込んでいいかわからないままに、一気に減ったと思われた問題は、一層複雑化していった。










 









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