第2話 スーツケースと怪しい宗教
俺はまたエジプトに来た。
飛行機を降りるや否や、独特の匂いが鼻をつき、少し肌にまとわりつくような空気が俺を出迎えた。深夜であるために、ちょっと肌寒い。まあ、否が応でも明日の朝からは砂塵と灼熱の世界に放り込まれる。なんて、久々のエジプトを全身で感じていたら、荷物到着のランプが点灯し、ベルトコンベアからスーツケースが流れてきた。
すると、
「きゃー、あったわ。マイスーツケース。」
「さすが派手なバンドね。」
「一目でわかるのよー。」
「ちょ、ちょっとまって、流れるの早い、とりそこねた~。」
「なんということでしょう~。」
「誰かぁ~助けて~。」
と、完全に聞き覚えのある声が。
成田空港の売店で派手なバンドを買い、そして後ろの席でケチャップなめてた人だ。同じ日本人のよしみで、スーツケース取るのを手伝うことにした。スーツケースが少し先まで流れていたが、なんとか取ることができた。しかし、重いな。いったい何がはいってるんだというくらい、ケースの大きさに不似合いな重さだった。
「取れましたよ、どうぞ。」と俺。
「きゃー、イケメンよ、性格イケメン。」とケチャップの人。
この際、”性格”はいらないんじゃと思ったが、まあいいか。
すぐ後に流れてきた自分のスーツケースを受け取り、その場を立ち去ろうとしたら、ケチャップの人が話しかけてきた。
「ちょっと、どこのホテルに泊まるの?」
「エジプト初めてだから、どうしていいかわかんないのよ。」
「ツアー会社に手配頼んでたんだけど、案内人がいないの。」
「私は新垣デニーっていうのよ。デニちゃんって呼んでもいいのよ。」
「よかったらホテルまで案内してもらえないかしら。」
俺が一言も発してないうちに、いきなり自己紹介から、現在の問題とお願いごとまで一気に押し寄せてきた。どうしていいか戸惑っていたら、今度は独り言が。これも聞き覚えがある。
「よし、情報通り上着持ってきて正解だなっと。」
「あー、深夜だから両替所しまってるやー。」
「米ドルでもなんとかなるかなー」
すると、なにやら怪しげな人物が、両替できずにこまっている”独り言”の人に近づいてきた。顔はターバンで覆われていてよく見えないが、それが一層の怪しさを醸し出した。
「お困りかな、そこの人」
意外にも流暢な日本語が。
「お主、とり憑かれておる。」
と、唐突にぶっこんできた。
「この先、安全に旅を楽しむには、このカノプスの壺が必要じゃ。」
「今なら激安にしておくぞ。」
「さらにお布施をいただければ、我がララエフ神が守ってくれるぞ。」
こんなところにも観光客をカモにするやからが。
カノプスの壺とはミイラを作るときに抜き取った内臓を入れる壺なんだけど、こんなものが厄除けになるはずもなく。そしてララエフなんて神を聞いたことがない。太陽神ラーと聞き間違えたか。いや、ラムセスか。あーラムセスは王か。
怪しげな人に気を取られていたら、”独り言”の人が困り果てた様子でこちらをチラチラ見ている視線に気がついた。強引に割って入ろうかと思った矢先に、そのやり取りを見ていたデニーさんが、
「壺なんかより、もっと素敵な感じのものはないの?」
と、横から切り込んでいった。
これは一種の押し売り対策なんだろうか。相手を困らせて追い払う戦法とか?
救いの手を差し伸べるとは、なかなか感じのいい人だ。
「お土産全部並べてみせてみて~。」
とデニーさん。純粋に土産物売りと思っていたのか。いや、これも作戦のうちか。
「なんということでしょうー。壺とペンダントしかないの?気が利かない売店ね。」
「エジプト人って商売下手なのね、おいたわしや。」
「でも、このペンダントいい感じね。イヌの横顔が彫られてて。LFって文字はブランド名かしら。」
「気に入ったわ、これ10個ください。友達へのお土産よ。」
えっ、本当に買うのか。しかも到着早々10個も。まあ気にったのなら良いのだけれど。ちょっとビックリした。
ちらっと見えたそのペンダントは、アヌビス神に似ていた。アヌビス神とはエジプト神話に登場する死者の神であり、ミイラづくりの神でもあるのでカノプスの壺とも関連がある。死を司る神と、怪しげな宗教、ちょっと嫌な感じがする。しかしまあ、アヌビス神は日本でも有名で、土産物屋の定番の一つでもあるので考えすぎかもしれない。
「あの、ありがとうございました。」
「知らない国でいきなり話しかけられるどころか、怪しい人から訪問販売みたいなことされて、戸惑ってしまって。」
「なぜか言葉はわかったんですよね、私とっさに翻訳機使ってたのかな。」
と手元のタブレット端末を操作した。
”独り言”の人は、かなり動転した様子だ。
「あの土産物屋、ほんと商売する気あるのかしら。ペンダント1個しか売ってもらえなかったのよ。」とデニーさん。本当に買っていたとは。
「私は新垣デニーっていうの、デニちゃんて呼んでもいいのよ。」
「よかったら、タクシーに一緒に乗せてください。」
と、これまた唐突に自己紹介と状況説明とお願いが。そもそも同じホテルなんだろうか。
「ところで、あなた達、自己紹介まだよね?」
「ちゃんと名乗ってくれないと、”そこの人”とか、”そこのあなた”とか呼ばれちゃうわよ。」
すると、”独り言”の人が困惑しながらも、
「あー、私は葉山緑っていいます。」
「先ほどは、助けていただいてありがとうございました。」
「初めての海外個人旅行でちょっと心細かったんで、ほんと助かりました。」
少し落ち着きを取り戻した様子であった。
「葉山緑って、すごく森林や山を感じるいい名前ねー。」
「”みどりちゃん”って呼ぼうかしら、それとも”葉っぱちゃん”のがいいかしら。」
「あー、私の知り合いは”リーフ”って呼んでますね。葉っぱって意味で。」
「デニーとリーフ、なんか昔からのコンビみたいにいい感じの呼び名ね。」
デニーさんは、遠くを見つめながら、なにかの妄想を爆発させていた。
とても人懐こく、親しみやすい感じの人だ。かなり個性的ではあるが。
「そこのあなたは?」と俺に興味が向けられた。
「自己紹介遅れました。小泉葵って言います。」
「なんていうか、どう突っ込んでいいかわかんないわー。」
「”アオイ”って呼ぶわ。」
と、デニーさんにあっさりとスルーされた。というか完全にデニーさんのペースに乗せられている。それが嫌って感じがしないのは人柄だろうか。
「ところで、葉っぱ、いやリーフとアオイはどこのホテルに泊まるの?」
俺は「ホテルカイロタワー」です。
「あー私も同じだや~。」とリーフさん。
「なんていうことでしょう~、みんな同じホテルなのね。」
本当はピラミッドの見えるホテルが良かったのだが、依頼主がカイロ在住で、交通の便の良いカイロ市内に泊まることにしていた。大ピラミッドがあるギザ地区まで、やや遠いため、ピラミッド目当ての観光客には向かない。そんなホテルであったため、みんな同じとは意外であった。
「そうとわかれば、みんなタクシーに乗るわよ。」
「アオイ、タクシーまだなの??」
深夜だというのに空港にはタクシーの運転手がたむろしており、しきりに客引きをしていた。依頼主のムハマンドには到着時刻を伝えていたので、迎えに来ていないかなとキョロキョロしていたら、少年が近づいてきた。こんな夜中に子供が出歩くとは。その少年は無造作に俺のスーツケースに手をかけると、こっちにこいというジェスチャーをした。どうやらタクシーの客引きのようであった。
深夜に子供を使うとはタクシーの運転手も酷いことをする。考えてみるとムハマンドの顔は、当たり前だが生粋のアラブ人のそれであり、たくさんいるアラブ人から見分けることは困難であった。ほかに声を掛けてくる人もいないし、まあいいかと我々は子供に案内されるがままにタクシーに乗ることにした。
タクシーの前までくると子供が「ワンダラー、ワンダラー」とチップを要求してきた。タクシーに限らず、例えばトイレでもトイレットペーパーをもった子供がつきまとってチップを要求してくる。これがエジプトだ。俺は1エジプトポンド(約7円)を渡したが、「ノー、ワンダラー」としつこく1ドルを要求してきた。それを見かねたリーフさんが1ドルを渡したら、満面の笑顔で少年は去っていった。タクシーはワゴン車サイズで3人分の荷物を載せるにはうってつけだった。
カイロの街中は交通量が非常に多く、日中の道路は車でごった返している。そして止むことのないクラクションの音が喧騒に拍車をかける。驚いたことにカイロの街中には信号機がほとんどない。なので、道路を渡るときは完全にタイミング勝負となる。まるで昔のゲームのように。それでいて車はスピードを緩めることなく、何事もないようにクラクションを鳴らしながら目的地へ向かう。
俺は運転手に目的地をつげ、だいたいの値段と時間を確認した。運転手はホテルまで10分、100エジプトポンド(約700円)だと答えた。空港から市内までそんなに近かったかなぁと思っていたら、リーフさんがホテルまでの距離と相場を調べていた。
「時間は30~40分ね、相場はだいたい100エジプトポンドだからあってるやー。」
金額が妥当ならまあいいか。と、ホテルまでお願いした。
タクシーの中でデニーさんとリーフさんは打ち解けたようで、いろいろな話をしていた。
「リーフはなんでエジプトに来たの?」
「私は本当はお城を見に行きたかったんだけど、ほら、ドイツやフランスにあるような古城を。そしたらたまたま、家にあるスマートウィンドウが砂漠とピラミッドの映像を映し出していて、その風景に心ひかれたというか。砂漠の灼熱に身を置いてみるのも悪くないかなって。勤続10年休暇がやっと取れてなかなかない機会だから、本当に迷ったんだ。」
「へぇ~、確かエジプトにもお城があったはすだから、それ見るといいわ。」
俺は内心、エジプトのはお城というよりモスクや城塞って感じだから、ノイシュヴァンシュタイン城みたいのをイメージしているとだいぶ違いよなと思ったが、それもまた旅の楽しみだし思い出になるよなと思って黙っていた。
「デニーさんはどうしてエジプトに?」
「商店街の抽選で当たったのよー、運いいでしょ。2名様ご招待だったんだけど、一緒にくる友達が例のウィルスで来れなくなって。全部友達にお願いするはずだったんで、どうしましょーって思った矢先にリーフとアオイに会ったって訳なの。」
「そういう訳でリーフとアオイよろしくね。」
どういう訳か深く考えるのはやめて、これも何かの縁だろうと思うことにした。
深夜で交通量も少ないこともあって、タクシーはかなりスピードを出して、ホテルへは20分で到着した。すると運転手が、
「3人だから300ドルね。」
と普通に3倍してきて、かつ通貨が米ドルに代わっていた。100エジプトポンド(約700円)が300ドル(約33,000円)と50倍近い。そう、これもエジプトだ。俺はこの手のトラブルには慣れていたため、100エジプトポンドとボールペン(フリクション式:100円)を渡して、日本の最新式の消せるボールペンだと説明して渡した。実際に紙に書いて実演してみると、運転手は満足げな顔でボールペンを受け取り、「イン・シャー・アッラー(神の思し召しがあらんことを)」と残して去っていった。
ようやくホテルにチェックインできた頃には、すでに深夜2時を回っていた。日本人同士の配慮からか3人とも部屋は近かった。俺の部屋の隣がデニーさん、廊下を挟んで反対側がリーフさん。みんな朝の時間が合えば朝食会場でと、それぞれの部屋に入っていった。俺はスーツケースの中身を確認し、シャワーを浴びて寝る準備をしようとしていた矢先、
「ぎゃーー、なんということでしょうーー」
「ス、スーツケースから、、、」
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