9-2 発掘屋



「社長、沢井の件なんですが」

 と蜂屋がいってきたのは、沢井を彼の助手に任命した翌々日の夕方だった。

「あの男、自分の仕事はおざなりなくせに、あたしの仕事に勝手に手をつけて、しかもそれを黙っているんです。いつの間にか燃料の分配比率が変えられていたりして、危なくてしようがありませんよ」

「注意したのか」

「もちろんです。そしたら『わたしは君に雇われているわけではない』と、こうです。ふつうなら性根を叩き直してやるところですが、社長のお声がかりで配属されたわけですし、一応社長の考えをうかがってからと思いまして」

 翔馬はまっすぐ蜂屋の眼を見た。おれの器量をためす気だな。食えない男だ。

「沢井の仕事ぶりには気づいていた。君のお手並みを拝見したかったのだが――」

 翔馬は言葉を切り、蜂屋の表情がこわばるのを冷ややかに見た。若造だからと舐めてもらっちゃ困る。

「わかった。そういうことなら、わたしが処置しよう」

 いずれこうした問題は起きたのだ。蜂屋だけではない。きっと他の社員たちもひそかにおれの出方に注目しているはずだ。これをどうさばくかでおれの力量が測られる。トゥムルや芹沢と相談することはできない。一国一城のあるじがこれしきの事、ひとりで考え、決められなくてどうする。

 だが蜂屋もこれで自分の評価が崖っぷちに追いこまれたことを知ったはずだ。こんどおれを試すような真似をすれば「無能」の看板を背負うことになる。

 夜がふけ、野営が静かになってから、翔馬は沢井の天幕を訪れた。彼は娘と一緒に、翔馬たちとはすこし離れた場所に小さな天幕を張っている。

 隊商の野営は、筏の円陣の内側に天幕を張るところは南と同様だが、北の方が並べた筏の間隔が広い。これは南のように砂嵐を防ぐ必要がないこともあるが、都市を城壁で囲まないことにも通じる北方人の好みが大きいようだ。

 沢井は焚火に娘と向かい合って坐っていた。翔馬の顔を見て娘に、

「中に入っていろ」

 と、天幕の方に顎をしゃくった。

 桐花は黙って立ち上がり、ちらりと翔馬を見た。背が高く大人びてみえたので、当初翔馬は自分とあまり齢がかわらぬと思っていたが、なんとまだ十四だという。いつも陰気にうつむいているが、よく見ると利発そうな顔をしている。

「少し話があるんだ。そこまでつきあってもらいたい」

 沢井は翔馬と天幕を交互に見て、肩をすくめた。

「娘なら気にしなくていい」

 翔馬は桐花のいた場所に腰をおろした。

「明日の朝から馬の世話係だ。いやなら明日の夕方までに隊を離れる。どちらかに決めてもらおう」

「馬の世話係でけっこうだ」と、意外にもあっさりと答えた。

 翔馬はうなずき、沢井のなげやりな返事の意味するものを考えた。

 翌日の夜、翔馬の天幕に蜂屋が飛びこんで来て、沢井が逃亡したと報告した。

「馬を一頭と、食糧二日分を盗んでいきました」

「どの馬だ」

「トーマンです」

「馬を見る眼はあったんだな」

 会社の馬のなかでも若くて高価な一頭だ。

「追いかけましょうか」

「よそう。時刻も遅いし、他の隊に迷惑だ。こちらも明日の仕事にさしつかえる。トーマンについては、交易互助会に連絡して盗難届けをだしておこう」

「わかりました」

 蜂屋はうなずいた。

「娘はどうしますか」

「えっ、連れていったんじゃないのか」

 こっちのほうが驚きだった。ちょっと思案し、

「桐花にはわたしが話をきいてみる。みんなにも騒がないよう注意しておいてくれ」

「承知しました」

 蜂屋が出ていくと、天幕の中で〈回廊語〉を習っていたトゥムルがいった。

「こうなると予想していたみたいだな」

「まあね。組織の外でひとりで生きてきた中年男が、いまさら二十歳はたち前のガキの命令に従うとは思えなかった」

「だからおれたちの馬を盗まれないよう、こちらの天幕に移したのか」

「他の馬ならあきらめられるが、カイザンとおまえのツァヒルだけは、な」

 いずれも将来、天馬と呼ばれる素質のある名馬だが、それ以上にふたりにとっては自分の分身ともいえる存在なのだ。

 トゥムルは首をふった。

「馬は餞別にくれてやったつもりかもしれないが、ほかの社員の手前、そうと認めるわけにはいくまい。おまえの優しさが、結果としてやつを馬泥棒にしてしまった。二年前のアドラ山の事件を忘れたのか」

 〈高原語〉である。複雑な会話はまだ〈回廊語〉では無理だ。

 翔馬は、はっとした。肩がおちた。

「――そのとおりだ。考えが足りなかった」

「そんなに落ちこむな。おまえならそうするとわかってて黙っていたおれにも責任はある」

 トゥムルは慰めた。

「それにサワイにはっきりと引導を渡したのはよかった。あれでハチヤたちはおまえを信頼するようになった。きちんと筋を通せる男だと安心したわけだ」

 翔馬は腕をくんで長いことうつむいていたが、やがて立ち上がった。

「キリカと話をしてくる」

 トゥムルは黙ってうなずいた。

 あいかわらず少し離れた場所に一つ張られた沢井の天幕は、灯りがついていなかった。

 寝たのかと戻ろうとしたとき、星明りにうずくまっている影に気づいた。

「桐花か」と、そっと声をかけた。

 影がうなずいたようだった。

「そこに坐ってもいいか」

 また影がうなずいた。

 翔馬は隣の草の上に腰をおろした。

 ふたりとも黙っていた。やがて桐花が口を開いた。

「あなたのせいよ」

「そうだな」

「認めるのね。なぜ父さんを追い出したの」

「君の親父さんは、他人の命令に従うことのできる人じゃない」

 また沈黙。そして、

「父さん、今度こそ掘り当てたのよ。それを一人占めしようとしたものだから、みんなに愛想をつかされちゃって。野盗が来ても追い払えず、あんなことに……。でもまた大物をみつけて、あたしを迎えに来るって……」

 最後は自分でも信じていないのが明らかだった。

 翔馬は黙っていた。たしかにおれの対処は中途半端だった。いっそ、はじめから旅費を渡して出ていってもらうべきだった。おかげで沢井父娘をさらに傷つけてしまった。とくに父親に捨てられた桐花の心の傷は、言葉などでは埋められない。

 ふたりはしばらく無言でそれぞれの思いを追った。と、突然桐花があらたまった口調でいった。

「父がご迷惑をかけました。馬の代金は、どこか大きな町に着いたら払います」

 頭の中で何度も練習したらしく、しっかりした話し方だった。働いて返すといわなかったのは、馬の値段を知っているからだろう。しかし十四の小娘がすぐにそんな大金を工面する方法は一つしかない。

「君が払うことはない。負債はあくまでも本人から取り立てる。それがうちの社是しゃぜなんだ」と翔馬は、今決めたばかりの経営方針を説明した。

「お情けならいらないわ」

 桐花は冷ややかな声でいった。

 骨のある娘だ。翔馬はひそかに桐花を見直した。ならばなおさら、口先だけの慰めは相手を傷つけることになる。翔馬はわざと突き放した声でいった。

「イワマ交易は慈善団体じゃない。だが金貸しの取立屋でもない。親父さんにはきちんと責任をとってもらうが、この一件とは無関係の君に金を要求したりはしない。その点をはっきりさせただけだ」

 とはいえ、このまま隊商から放り出せば、いずれこの娘は体を売るしかなくなる。

 しばらく考えてから、

「君も発掘屋の娘なら、旅の暮しに慣れているだろう。うちで働かないか。仕事は食事の支度、洗濯、その他だ」

「同情なんてけっこうです。父はあたしを捨てたわけじゃありません。でもふたりでいては生活に追われて発掘費用を稼げないから……」

 声がふるえた。しばらく膝にのせた腕に顔を埋めていたが、急に顔をあげ、怒ったようにいった。

「あなた、大商人の息子さんですってね。恵まれた人にあたしの気持なんてわかりっこないわ」

 翔馬は黙っていた。

 桐花は無理のある明るい声で、

「これであたしはひとりぼっちになっちゃった。へへ、かえってさばさばしたわ」

 両手の指を組んで大きな伸びをすると、

「ねえ、社長の家って大きいんでしょう。召使から『おぼっちゃん』なんて呼ばれたりして。家族はたくさんいるの?」

「家は焼かれ、両親は殺された。たった一人の姉は消息不明だ。生きているかどうかもわからない」

 はっと息を呑む気配。

 長い沈黙がつづく。

 翔馬はふと気づいて上着を脱ぎ、桐花の背にかけてやった。夏とはいえ、夜風は冷える。

「ありがとう」

 桐花は両襟を合わせて顔をうずめ、そっと鼻を鳴らした。

「食菌性繊維だし、時々水洗いしている。そんなに汗臭くはないはずだけどな」

 桐花はかすかに首をふり、顔を上げていった。

「さっきはごめんなさい。働かせてください。なんでもします」

「よし、決まった。契約書は明日、芹沢が用意する」

 しばらくして翔馬は、桐花が声を殺したまま泣いているのに気づき、満天の星の海を見上げた。火花のように星が流れ、三日月が細く銀の輝きを放っている。


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