9-3 桐花
この先の街道をはさんで戦闘が行なわれているとの情報がはいり、隊商は広い新道を避け、荒れた旧道に入った。
隊商の利用する街道には国境ごとに関所があって、通行税をとられる。これが輸送経費を増やす最大の原因で、領主たちからすれば大きな収入源である。そこで通行税の徴収権をめぐって領主たちがしばしば紛争を起こす。そんなところにうっかり踏みこめば、双方から税をとられてしまう。いやそれどころか、たちの悪い兵士らに略奪される危険すらある。
旧道は安全なかわり、水素燃料の供給能力が充分でない。前に通った隊商が村々の貯蔵槽を空にしてしまったので、翔馬らは売れ残りの燃料をあさり、残量計と距離計を見比べながら、綱渡りのような旅をつづけた。
が、ついに動力筏の燃料が底をつき、隊商は陽あたりのよい小川のほとりで停止した。こうなったら次の補給地までの分を自力で製造するしかない。
小川に沿って動力筏を並べ、造気管の先を川に漬ける。巨大な傘の骨に光電幕を張り、導線を造気管に接続すると、水中から盛んに酸素の泡を吹き出しはじめた。水を電気分解して水素をとりこんでいるのだ。むろん周囲は火気厳禁。晴天の日にしかできない作業である。
翔馬も朝から作業にかかりっきりになった。太陽を追って傘の群れもたえず向きを変えていかなくてはならない。力仕事ではないが、気をつかう作業だ。だから横でいきなり声をかけられた時は驚いた。
「秋津社長、おたくの女の子ですが、ひとりでだいじょうぶですか」
稲城の若い部下だった。そわそわした様子で周囲を気にしている。
「沢井がどうかしたのか」
「林の中に薪をとりにいったのを見かけたんですが、今さっき護衛屋の若いのが二人、やはり林の中に入っていきましたのでね。ちょっと気になって」
「どこだ」
「あの林道です」
「すまないが、うちのトゥムルか芹沢にも伝えてくれないか」
翔馬はいって、鞍に掛けていた騎兵刀を腰に帯び、カイザンに飛び乗った。
桐花の働きぶりはいい――よすぎる。終日、暇になるのを恐れるように体を動かしている。若い隊商夫たちがしばしば声をかけるが、ろくに返事もしない。彼らも翔馬やトゥムルが眼を光らせているので、それ以上のちょっかいはひかえている。
とはいえ翔馬も安心しているわけではない。とくにこのところ規律の緩みが目立ってきた加賀の部下たちはあぶない。腕っぷしだけは強いので、隊商夫たちはできるだけ関わりあわぬようにしており、それがまた彼らをつけあがらせているようだ。さっきの稲城の部下にしても、周囲を気にしているようにみえたのは、護衛屋の仕返しを恐れていたのだろう。
一昨日あたり雨が降ったらしく、林道はまだやわらかい。ところどころに新しい馬の足跡がのこっている。数は二頭。
しばらく行くと脇道があり、先に
翔馬はカイザンからおり、いつでも
中で争うような物音がきこえる。翔馬は耳をすませた。
女の子の悲鳴。
翔馬は一気に扉を開いた。と、眼の前に巨大な銃口。
頭から飛びこむのと、半開きの扉が砕け散ったのが同時だった。一回転して立ち上がったときにはすでに騎兵刀を抜いていた。
「こいつっ」
男が叫んで小銃を向ける。一瞬早く、体勢がきまらぬまま横なぐりに斬りつけた。相手はとっさに銃身で受ける。銃口がそれた。
すかさず翔馬は腰をきめ、引金に指のかかった男の右手首を一刀で斬り落とした。大きく踏みこんでもうひとりの男の胸に刀を突きつける。
「銃を捨てろ」
男は翔馬のぎらつく眼と、血の噴き出す手首を押さえてうずくまっている仲間を見た。そして小銃を床に落とした。
「桐花、だいじょう――」
「いやっ、見ないで」
少女は服を抱いて胸を隠した。
「おまえら――」
翔馬の刀に殺気がこもった。
「ま、待て。まだ何もしていない」
「ほざけ」
男は容赦なく迫る切先に後ずさり、ついに壁に背がついた。手首を落とされた方は、茫然と坐りこんだままだ。
「嘘じゃない、これからってとこだったんだ。そいつにきいてみろ」男は早口にいった。
翔馬は切先を心臓の上に当てた。このまま柄に軽く体重をかければ、男は即死する。
「
翔馬は刀を引いていった。
「仲間をつれて出ていけ。銃と馬はおいていくんだ。今度おまえたちの顔を見たら、手首だけではすまさんぞ」
本気だった。
男は傷ついた仲間に手をかして立たせた。上半分がなくなった扉からよろめき出ながら、憎々しげに口をゆがめ、
「いっとくがな、そいつだって誘われて満更でもなさそうだったぜ」
「とっとと失せろ」
ふたりが林の中に消えるのをたしかめてから、翔馬は背後の桐花をふりかえった。服の乱れは直したが、血の気の失せた顔をふせて小さくふるえている。
「気をつけなくちゃだめじゃないか」
言ったとたんに後悔した。ひどい目にあったのは桐花のほうなのだ。
「ごめんなさい」
桐花はいって、肩に散った髪を両手で背中に落とした。その大人びた仕草に一瞬、生々しい女を感じ、翔馬は思わず眼をそらせた。
蹄の轟きに外を見ると、トゥムルが林道から四人の社員とともに現われた。堀田もいる。
「どうした。キリカになにか」トゥムルが〈高原語〉で訊いた。
翔馬は瞬時迷ったが、
「あぶないところだった」
と、全員に小屋の中をみせた。隠すとかえって何かあったという印象を残してしまうと判断したのだ。
まだ手首がついたままの小銃や、染料をこぼしたような血痕を眼にして息をのむ男たちに、翔馬はあらましを説明した。
「なんでやつらを逃がしたんです。叩っ斬っちまえばよかったのに」
浅黒い巨漢の佐々木が腹立たしげにいった。
「そう……だな」
翔馬はあいまいに答えた。あんな護衛でも名目上は稲城の部下なのだ。殺せば稲城としても立場上、イワマ交易を隊商においておけなくなる。
「堀田さんが来てくれてよかった」
と翔馬は、稲城の小頭を見た。
「芹沢さんから、状況を検分してくれと頼まれたんです」
さすがは芹沢だと思った。イワマ交易の者だけでは信用されないと、証人の手配までしたのだ。
「ま、とにかく桐花が無事でよかった」
翔馬は無事を強調し、小銃から手首をもぎとり、林の中に投げ捨てた。
「桐花、ちょっといいか」
蜂屋が補給筏に来て声をかけた。
「これから明日の朝食の仕込みをするところなんですけど」
「そんなに時間はかけない。社長のことだ」
桐花は主任の横井を見た。横井は承知しているらしく、黙ってうなずいてみせた。
「わかりました」
桐花は野菜を切っていた手をとめ、蜂屋についていった。
焚火のまわりには幹部と補給係をのぞく社員が集まっていた。彼らは蜂屋と桐花を見て黙って立ち上がり、席をはずした。
「みんなどうしたんです。それにトゥムルさんたちは」
「心配しなくていい。みんな他の隊の連中に盗み聴きされないよう見張っているんだ。社長は運営会議だし、芹沢さんとトゥムルさんはいつもの会話の練習だ。疲れているはずなのに、たいした人たちだぜ。社長がやたらに幾つも言葉を喋れるのには驚いたが、トゥムルさんもいつの間にか簡単な〈回廊語〉を使えるようになったんだからな。ガルダン族といってもさすが社長の親友だけはある。おまえさん、〈草原語〉は?」
「できません」
「なぜ習わないんだ。幹部は三人とも話せるぞ」
「え、だってみなさん忙しそうだし――」
「それだけか」
「ええと……」
「まあ、いい。それに関係していないこともないが、本題に入ろう。今、社長と加賀隊長の間がこじれているのは知っているな」
「ええ」
桐花の表情が曇った。翔馬に追い出されたふたりは、結局、隊商に戻ってきた。なんとかしてくれと加賀に泣きを入れたわけだが、それまでおさえられていた翔馬と加賀の対立が、ふたりの扱いをめぐって表面化した。
本来、規則に従って厳しい処分をくだすべき稲城は、あえて穏便な解決を翔馬に求めた。翔馬を悪役にして嫌な役を逃げたわけだ。
――社長もトシだな。
毅然として筋を通したかつての稲城を知っている古い社員たちは、ひそかに嘆息した。
「例の噂だが、おまえさんの耳にも入っているだろう」
「ええ」
桐花はうつむいた。
翔馬はやむなく、ふたりの追放要求を撤回した。が、その直後から噂が広まったのだ。
――秋津社長があんなにむきになるのは、惚れていた沢井をふたりにとられたからだ。
「まともな社員は相手にしていないが、若い連中のなかには面白がって話の種にしているやつらも多い。社長もおまえさんも目立つからな」といって蜂屋は焚火に枝をくべた。
「嘘です。蜂屋さん、あたしはあのふたりとはなんでもありません」
「そんなことはどうでもいい。あ、いや、つまりだな、噂はただの噂だが、それを真実にしてはいけないということだ」
「――よくわかりません。あたしバカですから」
蜂屋は苦笑いした。
「おれにも十一になる娘がいるんだが、よくそんな顔をされる。どうもおれは女の子に話すのが下手らしい。んー、こういうことだ。明日おれたちが着くはずのサヤクには、いろんなところから隊商が入ってきていて、遠くへ行く定期便も出ている。もしおまえさんが、社長に迷惑をかけちゃいけないとか考えて、こっそりサヤクで姿を消したとするな」
桐花は顔を伏せた。蜂屋の眼が優しくなった。
「すると、『あ、やっぱりあの噂は本当だったんだ』となる。社長は女の子をとられて刀を振りまわす未熟なガキという評判ができあがってしまう。噂が真実になったんだ。わかるか」
桐花はしばらく考え、やがてこくりとうなずいた。
「いちどなくした信用を取り戻すのはむつかしいもんだ。誤解だとわかっても、人は自分が間違っていたことを認めたがらないものだしな。ましてイワマ交易は立ち上がったばかりだ。ここでころぶと痛い。正直な話、おれはやっと
「――あたしも」
桐花は顔をあげた。
「あたしもです。蜂屋さん、あたしはどうしたらいいんでしょう」
「いつも通りにしていることだ。くだらぬ噂なんて聞いたこともないような顔をして。あと、社長とあまり親しげにするのはまずい」
「え……」
「勘違いするな。おまえさんの気持をどうこうしろというのじゃない。ただ、社長とおまえさんが特別な仲だという噂を真実にするなということだ。少なくともこの事件のほとぼりが冷めるまではな。わかるだろ」
「――はい」
「ま、どのみち社長はここ当分、女どころじゃないだろう」
「え、それって……」
「仕事に夢中ということだよ。おれたちとしては頼もしいかぎりだ。それからおまえさんが妙な誤解をするといけないんで教えてやるが、社長は何年か前に恋をして、いまだに相手の娘が忘れられないという噂だ」
桐花はいきなり頬を張られたように眼をみはった。黙って焚火を見つめていたが、やがて挑むような眼をあげていった。
「噂――ですね」
蜂屋は、はじけるように笑いだした。
「そう、噂だ。まだ真実にはなっていない」
真実にはしないわ。桐花は胸の中で誓った。その噂、あたしが絶対に真実にはしない。
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