第18話 どんどん崩れて
そんな生活を続けているうちに晶子の体にさらに異変が起きた。
起きている間はやたら耳鳴りがするようになった。
テレビをつけるなどもしておらず、ただ部屋で過ごしているだけで何の音もしていないのに突然耳の奥から何かが鳴り響いているような感覚がする。
勉強しようとすると喉の痛みと耳鳴りが気になって集中できず、結局吐いた後は横になって休むだけの日々が続いた。
体は横になっていても眠ることができなくなっていた。
常に頭の中がぼんやりしているのに横になっていても意識が飛ばす、夜にきちんと眠ることもできなくなったのだ。
もはや試験勉強も手に着かなくなり試験の点数という結果が目に見えることが恐怖になって勉強ができなかった。
そして試験前日から恐怖心で眠れなくなって試験当日はお腹が痛く、とてもだが試験を受けに行けられる状態ではなかったために休んだ。
試験を休むと今度は新しい授業の範囲についていくことが困難になった
そうしてる間にますます周囲との遅れを取ってる気がして勉強する気が起きなくなった。
学校に行けない日が増えたのだ。
体がまるでどこか異常だと警告音を鳴らしているようだった。
学校に行く時間になっても起きない晶子の様子を見に母親が部屋に入ってきた。
「晶子、学校行かなくていいの? 試験も休んだみたいだけど」
母親は心配をしていても晶子にはそれががうっとうしかった。
晶子は朝は起きず、昼まで寝ていることが多くなった。
母親は日中はパートに出ているので常に家にいることはないが、それでも朝の出勤前はやたら晶子に話しかけるようになっていた。
その為、母が部屋に入ってきても晶子はベッドで横になり、布団にくるまっているという姿でのやりとりが当たり前になった。
「いい。なんか体調悪くて行けそうにない」
「そろそろ行かないと出席とか単位とか大丈夫なの?」
「いいよ。もうほっといて」
そうして結局この日も学校には行かなかった。
学業を心配する母親のおせっかいも今の晶子にとってはできないことをやれと言われているようで嫌だった。
友人からは学校に来ない晶子を心配する旨のラインなど連絡が届いたりしたが晶子は既読無視にして返信することはなかった。
元々無理やり話を合わせてた友人達だったのでこんな変な状況だと知られたらきっとまた以前のように誰とも仲良くなれなくなる、という危機感はあったのだが今はもう誰ともやりとりをしたくなかった。
家にいてテレビを見ようとしても頭がぼーっとして内容が入ってこない。
ハードディスクドライバーに溜まった録画した番組も見る気になれず、むしろ再生している間はただ映像を見ているだけで苦痛だった。
なので結局何もできずにただ横になっているだけしかできなかった。
趣味すらも楽しめないのだ。
試験も受けられず、学校に行く気力もなくなりただ家で過ごす。
だけど大量の食べ物を食べるのはやめられなかった。
母がパートに出かけている間にこっそり外へ出て近所のコンビニやスーパーで大量のお菓子やパンを買い、持って帰ってそれらを家に帰ったら一人でこっそり食べる。
そしてトイレで吐く、ただその繰り返し。
母親がパートに出ている日中は家に誰もいないのでそれを止める者もいなかった。
そんな引きこもり生活を続けているうちに季節はすっかり秋から冬になっていた。
十二月にも入ると家にいても寒さを感じる季節だ。
食べ吐きを続けて学校にも行かず家でだらだらする毎日を過ごしているといくら安く食品が買えたとしても持っている金額には限度がある。
お小遣いはあっという間に底を尽きる。
お金がない。けれど食べないわけにはいかない。
晶子はいざという時の為にとっておいた今まで貯めてきた郵便局のATMに入っている貯金を崩すことにした。
子供の頃から家族や親戚からもらったお年玉の貯金だ。
しかし一日でそこそこの金額を消費してしまい、それが毎日続く。
高校生にとってはかなりの金額である約二千円分のも金額を一日分の食べ物に当てる。
それを毎日なので一週間では七日間で一万円は使うことになる。
しかしそれらの食べ物は全て体に吸収して栄養にするわけでもなくただトイレで吐き出す為に食べているのだ。
エネルギーにすることもない、ただ食べて吐き出す為の食べ物へ大金を使うのである。
今まで何年もの時間をかけて積み上げてきた貯金がこんな数日間で一瞬で湯水のように消えていくことにもったいない、とも思ったがそれよりも食べ物を口にしないといられないほど日に日にイライラは増していった。
そんな生活が続けばさすがに口座の貯金残高は厳しいものになっていた。
小学一年生の頃から九年間貯め続けていたお年玉もすでに三分の一ほど食べ物に消えていた。
これ以上食べ吐きをするという無駄な行為に貯金を使いたくなかった。
「お金がないなら親の財布から盗むしかない……」
晶子はそうつぶやいた。
家の中で家族の金を盗むくらいなら店で食品を万引きするよりはマシだ、と思っていたのかもしれない。
店で万引きをすれば警察沙汰だが家の中だけの問題にとどまれば大したことない、そう思ったのだ。
この時の晶子はもはや過食嘔吐による精神的な自律神経の乱れでもはや何が悪くて何が正しいかを自分で判断する能力すらも衰えてしまったのかもしれない。
晶子は禁断の手に出る。
その夜、母親が入浴中、目を離している隙に母親の財布から千円札を数枚抜き取るのだ。
どんどん悪いことに手を染めてる、そう自覚しつつもやめられない。
そんなことをしてまででも食べ物が食べたい。
もはや麻薬のような依存だった。
翌日の夜もその手口を再びしようとした時、母親が浴室行ったことを見計らい母親の財布に手をかける。
財布の中から千円札を抜き取ろうとしていると浴室に入ったはずの母親が出てきた。
「何してるの! それお母さんの財布じゃない!」
母親に見つかり母は声を上げる。
「たまたまお風呂入ろうと思ったら石鹸がないからこっちに取りに来たら……」
なんてタイミングが悪いのだろうか、まさかそんなことで浴室から出てくるとは。
悪事が見つかった子供のように晶子はなかったことにしようとお金を持ったままその場を去ろうとしたが母親に引き留められた。
「待ちなさい! 話は終わってないわよ!」
母親がきつい口調で問い詰める。逃がさないとばかりに。
「なんかおかしいと思ったわ! 昨日から財布からお金が減ると思っていたのよ!」
母は鈍感で財布の中身が減ったことに気づいいないのかと思いきや実は財布の中身が減っていることに気づいてはいたがあえて晶子を疑わないようにしていたのだ。
「なんでそんなにお金が必要なの?」
「……」
晶子は沈黙を貫いていた。
母親はとりあえず晶子を床に座らせて、自分も床に座り、問い詰めた。
「何か欲しいものでもあるの?悩み事があるのなら相談してくれればいいのに」
先ほどの厳しい口調から母親は小さい子をなだめるような声で言った。
今更悩み事があるのか、なんて聞いてほしくなかった。
晶子は一学期に学校でクラスに馴染めずに友達ができないことはあえて家族には言わなかったのである。
せっかく行きたかった学校に行けたのに、それがうまくいっていないと思われるのが恥ずかしくて今まで学校内での悩み事やダイエットの話は一切しなかった。
そのくらい晶子は親に心配をかけたくなかったのだ。
「あなた本当に最近おかしいわよ?もうダイエットだってやりすぎじゃない?そんなに痩せてまですることないじゃない。学校にも行ってないみたいだし……。何か悩みでもあるの?」
母親のその対応に甘え心が出たのか、それとも今までため込んできた気持ちの堤防がとうとう決壊したのか、晶子はついに本当のことを口にした。
「食べ物をたくさん食べたいの……」
「え?」
今何と言った?というように母親は聞き返した。
ダイエットをしていてガリガリに痩せているのに食べ物をたくさん食べたい。
今まで食べ物を食べないようにしてきたのではないのか?その矛盾した考えに母親はついていけなくなった。
「どういうこと?食べ物だったらちゃんとお夕飯出すわよ。それでもあなた食べてないじゃない」
母はきちんと理解していなかったようなので晶子は正直に告白した。
「違うの。そういう食事じゃなくて、今まで我慢してきて食べられなかったものたくさん食べたいの」
晶子は気づけば目から涙を流していた。
もはや正直に言い出したらこれまで我慢してきたものが一度にあふれてきたのだ。
涙をポロポロと流しながら続ける。
「たくさん食べて、たくさん吐かなきゃ気が済まないの……」
晶子はとうとう今まで嘘をついて隠し通してきた嘔吐についてを口にした。
「たくさん食べて、それをいつもトイレで吐いてたの」
母親はそれを聞いて以前質問したことを思い出す。
その時は晶子は「知らない」と答えたがあれも嘘だったのだ。
「トイレ掃除の度になんだか汚れてるから変だと思ったわ。そんなことしてたの……」
母親はあきれるように言った。
晶子にとってもはやもうこれまでが肉体的にも精神的にも限界だったのだ。
「いつからかわかんないけど、もう食べて吐かなきゃ自分を保てないの……。お腹が空いてたくさん食べて、それを吐かないと自分が保てない気がして……それでどうしてもお金が必要なの」
なんて自分勝手なことを言っているのだろうか。
その自覚はありつつ親の金を盗むという罪にまで手を染めたことに晶子は自分自身のことも信じられなくなり嗚咽をもらすと次は大声で泣き叫んだ。
「うあああーっ! もう体がおかしいの!?どうしたらいいのかわからない!」
「晶子、落ち着きなさい!」
母親は晶子を抱きしめて言った。
「話してくれてありがとう。とりあえずこのこと、お父さんに相談しよう?辛いなら学校休んでいいから、ね。」
この件についてはとりあえず父親に話すことでここはいったんまたにしよう、ということでおさまった。
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