赤緑家族
不二剣
赤い糸と緑の絆
立ち昇る湯気の向こうに子供たちの笑顔が見える。そんな何気ない日常の幸せを感じさせてくれる赤と緑のカップ。それはいつも僕たち家族と共にあった。
我が家では祝日の昼は、赤いきつねと緑のたぬきを食べる。僕がキッチンの電気ポットでお湯を沸かす間に、奥さんがシンクに赤と緑、2つずつカップを持ってくる。今日は僕がたぬきで奥さんがきつね、子供たちは分けて食べる。
お湯が沸き、危ないからと子供たちを遠ざけようとするが、僕と奥さんの間ではしゃいで言うことを聞かない。
ようやく娘と息子をテーブルに座らせると、奥さんがカップに粉末スープを入れるのが見えた。それを見て僕は思わず微笑んだ。そしてお湯を注ぎ始めた。奥さんの顔に向かって湯気がたち、出汁の香りがやってくる。いつもと変わらず、みんなの心を和ませてくれる。たぬきは3分、きつねは5分。完成時間を合わせる。この待ち時間がさらに美味しさを引き立てる。子供たちは待ち切れないようだ。
完成の10秒前からカウントダウンするのが我が家の儀式。声を合わせて数える。
「4、3、2、1」
0で蓋を開けられるようにカップを押さえ取っ手を指でつまむ。
「ゼローーー」
勢いでこぼさないように、逸る気持ちを抑えてゆっくり蓋を剥がすと、出汁と小えび天、そばの香りが鼻に吸い込まれた。
「わぁーー!」
子供たちの歓声が上がり、机が少し揺れた。小さいお椀2つに手早く取り分け、4人で手を合わせる。
「いただきまーす」
まず、小えび天のまだ出汁を吸っていない部分をいただく。サクサク食感と小えびの味と磯の香りに先制パンチを食らう。えびの味がしっかりとする。少し出汁を吸ったところと合わさった部分のトロカリ食感もまた良い。そして、蕎麦を持ち上げすする。つるっとした表面、少し縮れた麺が出汁を絡めて、唇を通り抜け舌の上へ。これまたしっかりと蕎麦の味がする。噛むほどに蕎麦の味が濃くなっていく。
味を堪能しながら何気なく横を見ると、奥さんは隣で出汁の浸みたお揚げをニコニコしながら食べている。そういえば大学時代、親が送ってくれた赤と緑のカップを並べたっけ。
僕は1年浪人して大阪から東京の大学へ進学した。高校から関東へ行った同級生はほとんどいない。大学ではみんな自頭が良く、勉強について行くのに必死だった。親が仕送りしてくれた関西のきつねとたぬきの味に、懐かしさも寂しさも感じたし、親孝行するために頑張ろうとも思えた。
そんな中迎えた2年生の春、僕は売店で手がすべり、出来立ての赤いきつねをぶちまけてしまった。焦りと恥ずかしさで戸惑っていると、真っ先に助けてくれたのが彼女だった。その優しさと美しい切れ長の目にすぐに恋に落ちた。
その後、同じ講義を受けている事が分かり、仲を深めていった。僕たちの運命の赤い糸は赤いきつねで繋がった。
「ちょっとちょーだい」
「ダメよ」
そんな幾度となく繰り返してきたやり取り。向かいで子供たちが目を細めてちゅるちゅると麺をすすっている。その光景を昔、逆から見ていた。
「ちょっとくれや」
「あかん」
両親は大阪の下町育ち、口は悪いが仲は良かった。おとんはサクッとした性格、揉め事と中途半端が嫌いな人で、トロッとした柔和な笑顔がチャームポイントだった。おかんは情に厚く、優しさが滲み出し、その存在は大きかった。
おとんはネジの町工場で長年働いていた。我が家は決して裕福ではなかった。僕が生まれる前は、一つの赤いきつねを分けて食べるほど家計は苦しかったらしい。
僕はおとんの仕事をあまりカッコいいとは思えなかったが
「いつも何気なくそこにあるんやけど、みんなの役に立っとる。それをつくる人たちが一番かっこいいんや。当たり前にあるものは、当たり前やないんやぞ」
と真顔で言っていた。
おとんは喧嘩や揉め事があるとよく仲裁にも入った。近所が夫婦喧嘩で、子供たちがろくに食べれてない時は、おかんがご飯を作りに行ったり持って行ったりしていた。
そんなおかんに、そこまで救わなくても良いやろと言った事があった。その時おかんは
「救ってるんやない、救われとるんや」
と当たり前のように言った。
そんなおとんが5年前、ステージ3のがんだと判明し、数日後に手術する事になった。気丈に振る舞ってはいたが、不安でいっぱいだったに違いない。
当日、長時間の大手術が予想され、心配で仕方なかったが、おかんに促され、病院の近くにあったコンビニの駐車場で緑のたぬきを食べた。あの時の味は忘れられない。
手術は無事成功したが、徐々に衰弱していき、その姿を見るのが少し辛かった。
そんな中、奥さんの妊娠がわかり、おとんに報告しに行った。
「初孫の顔を見るまでは死なれん」
あの時の子が、上のお姉ちゃんだ。下の弟が生まれたのは3年前。今こうして幸せを噛み締められるのも、両親が僕を守ってきてくれたからだ。いろんな思い出が蘇り、その記憶が味わいを深めた。
最後の一滴を飲み干すと、娘と息子が底にある麺をつついている。その姿に、当たり前で当たり前じゃない幸せを受け継がせたいと思った。そのためにまた明日からがんばろうと決意した。
その時、玄関のチャイムが鳴った。
「こんにちは!赤緑急便です」
印鑑を持って玄関を開けるとマルちゃんのダンボール。大阪からの宅配便だった。差出人は、おとん。伝票の字は昔と変わらず角張った力強い字だった。
赤緑家族 不二剣 @fujiken57
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