第2話 破
2週間後の昼休み、裕士は史奈と一緒にあのベンチに居た。
外はもうかなり寒く、そんな中で上着を羽織って外で話する人間は珍しかった。
「これ……ありがとう。面白かったよ」
彼は本を手渡すとそう言った。
「そう、良かった。実を言うと……途中で諦めちゃったのかと思ってたの」
彼女は少し悪戯っぽく笑った。
「ああ、そうだろうな。自分でも、読み始めた頃は最後まで読める自信がなかった」
彼は正直に答えた。実際に何度か諦めかけたのも事実だった。
「でも、最後まで読んだんでしょ?」
「ああ、最後の一文であんなことになるとは思ってもみなかった!」
「そうそう。この作者のサスペンスは構成が上手で――」
彼女は熱心に語りだした。彼は時折相槌を打ちながらそれを聞いていた。
彼女の話は好きな本のこととなると止めどなく続く……が、こうして彼女の話を聞いているのも悪くない――彼はそう思い始めていた。
いつの間にか、昼休みも終わりに近付いていた。
「あ! ごめん……私ばっかり話してしまって」
彼女は少し申し訳なさそうに言った。
「いいよ。楽しかった」
それは彼の素直な気持ちだった。
彼女と会うようになってから、あの、世界から放り出されたような疎外感を感じなくなっていた。昼食を食べた後のほんのわずかな時間だが、それが彼の心に大きな支えとなっていた。
「あの……」
彼女が何か言いかけて口を閉ざした。
「ん? 何?」
「ううん。やっぱりなんでもない」
彼女は少し慌てて取り繕ったように見えた。
その日はそれで終わりだった。
「あの……やっぱり、お願いが……」
史奈がそう言いだしたのは、翌日の昼休みだった。
「文芸部に入ってほしいの! お願い!」
彼女は懇願するような目で裕士を見ていた。
「別にいいけど……どうして急に?」
「それが――」
彼女は文芸部の現状を語りだした。
形式こそ「部」であれ、ほとんど幽霊部員で実質彼女しか活動していないこと。それが生徒会にバレて、まともな部活動をしていないなら廃部にすると言われたこと。
「驚いたな……文芸部にはもっと人が居るものだと思ってた」
「つい最近までは、それで誤魔化してたの。でも、いつ見に来ても私しか居ないから、生徒会にバレちゃって……」
彼女の声には焦燥感があった。
「でも、文芸部に入っても、俺は何をすればいいんだ?」
そうだった。彼はほんの少し前にまともに本が読めるようになったばかりである。
「それは……ゆっくり覚えてもらえばいいから、今はとにかく放課後に部室に居てほしいの」
――自分でなくとも、誰でもいいんだろうな。
そんな考えが彼の頭をめぐったが、彼は彼女を助けたいと思った。
「分かった。放課後に部室に行けばいいんだな……なるべくそうするよ」
「ありがとう! 助けてくれて……」
こうして、彼は文芸部に入部することとなった。
この次の日から、2人が昼食を食べるのも文芸部の部室に変わった。
「本当に誰も来ないんだな」
文芸部に入部届を出してから、数週間が経った。裕士と史奈以外、本当に部室に誰か来るのは稀だった。
一応、肩書「顧問」と「部長」が一度だけ見に来た程度で、それ以外は他の誰も来ていない。これでは廃部になるのも頷けるというものだった。
「これでも、少しは活動してるんだけどね」
彼女は部室のPC(かなりの旧式)のキーボードを打ちながら言った。
そうだ。PCが3台とプリンターがあるのはまだ良い方――彼はそう思い込もうとした。
少なくとも、原稿用紙に手書きするよりはまだ楽だろう。
もっとも、彼はまだ自分の文章というものがまともに書けていなかった。ここ数年、まともに書いたのは読書感想文ぐらいだ。無理もない。
そのためには、まずは他人の文章を読むこと――彼女にそう言われて、それをしている最中だった。具体的には彼女のお薦めの小説を読み漁っているところだ。
しかし、上手い――裕士は史奈の作品を見てそう思った。
彼は確かに他の作品をよく知っている訳ではないが、彼女の書く文章は素人目に見てもプロのそれと遜色がないように見えた。彼そう言うと、彼女は恥ずかし気に「自分はまだまだ」だと言った。
――それにしても……。
彼女の文章は確かに上手い。だが、こんな所に居ても宝の持ち腐れではないだろうか。ここではそうだとしても、評価する人間が居ない。大きなコンテストに応募したりもしているようだが、審査員もちゃんと読んでくれているのかどうか……。
裕士は小説のページをめくりながら、それとなく史奈を見た。
彼女は報われない努力をしているのではないだろうか。かつての自分がそうだったように。――そう考えると、親近感とも哀れみともとれる感情が彼の中にうずまくのだった。
「うん……前より分かり易くて、いいんじゃないかな?」
あれから、2ヶ月が経った。
裕士の部内でのポジションが決まりつつあった。自分では書けないが、史奈の書いた作品を読んで感想を伝える。そんな試し読み係のような役割になりつつあった。
今も部室で、彼女の書いた作品を読んで感想を伝えているところだった。
「そう、良かった。前より文章がくどくないかちょっと心配で……」
返した作品を受け取りながら、彼女は言った。
「大丈夫だよ。山瀬はもっと自信を持っていいと思う。これなら、受賞もできるんじゃないか?」
「そんな……受賞だなんて大げさな」
史奈は、とある出版社の主催する短編小説コンテストに応募する予定だった。その原稿を読んでほしいと裕士に言ってきたのだ。
「それより……中谷君は出さないの?」
「俺? それは、ちょっと無理。こんなに書けないし、他人の読んで感想は言えるけど……」
そうだった。裕士は自分では作品を書けないが、感想は言える――そのことにここ最近、気付いていた。その感想も史奈に言わせると「的を射ている」らしく、彼女に会うまで本をろくに読んでこなかった彼にとっては意外だった。
「でも、中谷君の書いた物も読んでみたいな」
「だから、俺には一から書けないんだって」
「それだったら、感想を書いて読んでもらったら」
彼女はとある小説の投稿サイトのことを説明しだした。そのサイトでは小説だけでなく、エッセイや詩等も幅広く募集しているらしく、そこで今まで読んだ本の感想を書いてみたらどうかという話だった。
「自分が書いた感想を他人に読ますか……ちょっと恥ずかしいな」
「でも、コンテストに応募するのだって恥ずかしいよ」
「そうか……そうだよな。それなら、してみるかな」
彼はそう納得して頷いた。
実際、彼にとって赤の他人に自分の書いた文章を読ますのは度胸が要ることだったが、彼女はもっと大きなことに挑戦しようとしているのだということが、彼を勇気づけた。
それから、裕士はそのサイトにせっせと自分の読んだ本の感想を投稿しだした。
史奈はそのコンテストに応募するとすぐに、また次の作品へと取り掛かった。
この時はまだ、2人の間に何の隔たりもなかった。
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