△▼それでも空は泣いてくれない△▼

異端者

第1話 序

 ――自分自身こそが、自分の人生の主役。

 何人の人がそう思っていることだろう。

 だが、少なくともこの作品の主人公、中谷裕士についてはそうではなかった……。


「アンタみたいな何の取り柄もない人と付き合って、私に何か意味ある?」

 裕士が中学二年の頃、初めて告白した相手の返事がそれだった。

 確かに彼は目立つ方ではなかった。成績も容姿も並。所属しているサッカー部でも一度もレギュラーになれず、練習試合に出たことすらなかった。

 だからといって、特別何か欠点がある訳でもない。それなのにその返答は彼の心を大きくえぐった。

 告白した相手、彼女はそれだけ言うとさっさと去っていった。まるで相手をすること自体が無駄だというようだった。

 彼の目から涙がこぼれた。恋愛対象として拒絶されたからというよりも、まるで害虫であるかのように蔑んだ視線が印象に残った。

 空はよく晴れていた。彼の心境を無視したように、雲一つない晴天だった。


 それから、裕士は地元の進学校に進んだ。サッカーはやめて帰宅部になった。その根底には、元々素質などないのだからこれ以上頑張っても仕方がない――そんな考えがあった。

 かといって、勉強に打ち込んだかというと、そうでもなかった。


 ――自分は、頑張ったところで「主役」にはなれない。


 そんな思いが、裕士の心の中にはあった。

 主役の踏み台、引き立て役のモブあるいはNPC。……そんな自分が頑張ったところで何ができるのだろうか。頑張ったとしても、それは周囲の道化になるだけではないか。

 彼の心は日に日に疎外感と孤独感に蝕まれていった。


 こうして、彼は淡々とした日々を過ごした。

 気が付くと、高校1年の秋だった。

 いつものように彼が何の感慨もなく、学校の中庭のベンチで弁当を食べていると声が掛かった。

「あの……ここ座っても、いいですか?」

 遠慮がちの声。見上げると鞄を持った眼鏡の少女の姿があった。整った顔立ちで育ちが良さそうに感じさせるが、特別華があるタイプには見えない。

「ああ、いいよ」

 そっけなく答える。

 内心、「物好きな人も居るものだ」と思う。

 今、中庭のベンチで昼食にしているのは裕士一人。他の奴はこんな肌寒い季節にわざわざ外に食べに来ない。

 彼がここに来る理由はただ一つ。疎外感を感じさせないからだ。教室に居るとその喧騒に自分自身がかき消されるような感覚にとらわれるが、ここにはそれがない。

 眼鏡の少女は小ぶりな弁当箱を取り出すと食べ始めた。

 裕士も食事に戻る。――弁当箱はすぐに空になった。

 彼は食後の休憩に座ったままだったが、少女はまだ食べていた。ようやく食べ終えると、今度は文庫本を取り出して読みだした。

 彼女は熱心に本を読んでいる。彼は気になって尋ねる。

「一体、何の本を読んでるんだ?」

 彼女は少し驚いた顔で彼の方を向くと、本を閉じて表紙が見えるように差し出した。

 彼が聞いたこともないタイトルの本だった。……そもそも、彼は本自体あまり読まなかったが。

「……何それ? 面白いのか?」

「えっ! ……この本は映画化もされた有名な本で――」

 彼女は少し驚いた顔をしたが、本の説明をしだした。

 これが、中谷裕士と山瀬史奈の出会いだった。


「入門用にこれならいいと思う」

 少女、山瀬史奈は中谷裕士に1冊の本を差し出していった。

 史奈は裕士と同じ1年でクラスはE組。裕士のB組からは少し遠い教室だ。

 あれ以降、こうして昼休みにベンチで一緒に座って会話するようになって、彼は彼女のいろいろなことを知った。

 彼女は文芸部所属で本を読むのが好きなこともその1つで、今はこうしてお薦めの本を貸してもらっているところだった。

「406ページか……読めるかなあ?」

 彼が本を受け取ってパラパラとページをめくってそう言うと、彼女は少しおかしそうに笑った。無邪気でほっとさせる笑顔だった。

「大丈夫。少しずつ読めばいいの」

「でも、俺は運動はしたことあっても、本はあんまり読んだことがないからなあ……飽きて寝ちゃうかも」

「最初はそれでもいいと思う。無理しないでいいから」

「そっか……そうだよな」

 彼は妙に納得して言った。

 本を読む――以前はほとんどしたことがなかったが、それもいいかもしれない。そう思わせる要素が、史奈にはあった。

 何より、裕士はこうして史奈と話していると疎外感というか、孤独感が薄れることを実感していた。何の取り柄もない出来損ない――そんな風に思わなくても良いのだと感じさせる何かがあった。

 もっとも、それは彼の内側のことで、彼女にもはっきりとそう言ったことはなかったが。

「そういえば、山瀬も何か書くんだよな? 文芸部だし」

「えっ! それは確かに書くけど、そんなプロみたいな上手な文章じゃ――」

「だったら、今度機会があったらそれを見せてほしいな。別にプロじゃなくてもいいから、どんなの書いてるのか見てみたい」

 それは彼にとって、自然な感情だったが、彼女は恥ずかしそうだった。

「う、うん。また機会があったらね。今はまだ書きかけのがあるから、それが完成するのはもう少し――」

 キーンコーンカーン!

 昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。

「いけない! もうこんな時間!」

「あっ! 急がないとヤバい! 本ありがとな!」

「う、うん……さよなら!」

 2人は急いで教室へと戻った。


 夜、裕士は家の自分の部屋でその本に立ち向かっていた。

 立ち向かう――大げさな表現に聞こえるかもしれないが、彼にとってはまさしくそうだった。

 何しろ、無理矢理読まされた教科書か、読書感想文のための本ぐらいしか長い文章の本は読んだことがなかったからだ。そんな輩が、字がびっしり詰まった長編小説を読むというのは確かに挑戦だった。

 それでも、彼は少しずつだが確実に「解読」していった。

 貸してくれた史奈に悪いというのも理由としてはあったが、慣れてくると案外、面白いのではないかと思い始めたからだ。

 もっとも、彼がそう思い始めたのは解読作業にかかりっきりで、深夜になってからだったが。


 小説の中で、主人公の青年は信頼していた人に裏切られる。

 いっそこのまま首でも吊ってしまおうかと、思案しながら夜道を歩く青年。

 いつの間にか空は曇り、月明かりが遮られて真っ暗な中に、雨が降りしきる。


 ――現実では、そう都合よく雨なんて降ってくれないよな。

 その雨は、青年の心境を表しているのだと、裕士にもなんとなく分かった。だからこそ引っ掛かった。

 小説だから、主人公の心境に合わせて天候が変化してもおかしくはないだろう。

 彼だってそれが理解できない訳ではない。ただ、そんな主人公の心境を汲んでくれる世界が羨ましかったのだ。


 現実では、いくら自分が嘆いたところで雨は降ってくれない。


 要するに、現実はそんなに優しい世界ではないのだ――彼は無理矢理自分を納得させると、本を閉じた。

 もう遅い時間だ。続きは明日にしよう。

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