終の章 《獣の国》7

「ーーー呆れた。よもやそこまで都の連中が馬鹿だったとは思わなかった」


 それはそれは長い溜息をついた焔と、その隣で玄も苦笑交じりにため息をついている。呆れたと言わんばかりの二人の反応には説明をした東水も同意せざる終えない。

 鴻連たちが目を覚ましたのは正午のころだった。そのあと彼らから事情を聞いて、その話をそのまま外で畑仕事をしていた彼らに伝えたのだが・・・やはり自分で説明していても不条理だと憤らずにはいられない。鴻連たちはこちらの予想通り口減らしの為に四谷村を追い出されたそうだ。その原因は狩人不足、しかもその狩人が不足した原因は・・・都にあると。


「まぁ・・・原因を根底まで掘り返せば都を襲撃した盗賊が原因だとはいえるが・・・狩りをする兵士が負傷して動けないからと、四谷村から狩人を徴兵するとはな・・・」


 都の食糧は都に駐屯している兵士や守人たちなどが狩ってくる獲物が主要だった。ところが四か月ほど前、都は盗賊の集団に襲われ人的被害を被った。死者こそ少なかったらしいが負傷兵が大多数を占め、おかげで都は食糧難・・・そこで翠森全体を統治している王宮は、足りない分の食糧や兵士を四谷村から徴収していったというのだ。冬の備蓄を奪われ一般の狩人どころか守人の多くも徴兵されてしまい今度は四谷村が食糧危機に。もちろん残った狩人や守人たちも奮闘し毎日毎日狩りに出ては冬を越すための食糧を集めていた・・・しかし元々四谷村は人口が多く、たった一二か月で村人全員を生かすための備蓄を確保することは不可能だった。

 民衆の不満は最初こそ盗賊へ向いたものの、そのすぐあとに盗賊王なる輩が討たれたという触れが出回り・・・今度は都へ向けられた。己らが苦しんでいるというのになぜ都ばかり優遇されるのか。徴兵されていった狩人たちはいつ戻ってくるのか。王宮に直轄である狩人の館に民衆は押し寄せ、暴動一歩手前にまで不安がため込まれたその時・・・そこで暴挙とも呼ぶべき行動が成されたのだ。くじ引きをして選ばれた守人数名を、一家諸共村から追い出す。備蓄を集められなかった責任という名目で。


「人の生死を決めるのに、くじ引きだと?それで公正に行ったつもりか阿呆め!どこの馬鹿だそんな方法を決めた屑は」

「落ち着け焔、で?他の追放された家族はどうなった?」


 憤慨冷めやらぬ焔は今にも飛び出していきそうな勢いだった。こんなに怒った彼を見るのが初めてだった東水は焔から放たれる明確な怒気につい鳥肌が立ってしまう。そんな妻を宥める玄に問いかけられて、鴻連のほかに追い出された家族の話を記憶から掘り起こす。


「えーと・・・他に三人いたそうだ。けれど彼らは、その・・・都に親戚がいたり繋がりがあったりして、そっちに行っただろうとのことだ。確実に行ったかどうかまでは分からないそうだけど」


 そもそも守人というのが特別な役職だったのだ。一般人はどうあがいたところで狩人しかなれない、守人になれるのは狩人の館に選ばれる者、その多くは貴族の子息や豪商の家系ばかり・・・要は血筋重視。そんな中でなんのコネもなかった鴻連が選ばれたのは館の長が彼に目をかけていたからだそうだ。


「行く当てもなく方々をさまよって・・・そこであそこにたどり着いたと。周囲に助けを求めなかったのは、受け入れてもらえない可能性があったから」


 翠森全体で食糧難が起きている。どこの村も自分たちが明日を食つなぐ分で手いっぱいのはずだ。そんな中で家族四人を全員受け入れてくれる場所など無いに等しい。即戦力になる大人二人だけだったなら話は違ったかもしれないが、10歳の子どもが二人もいるとなれば渋られるのは目に見えている。


「・・・で、俺たちが異邦人だと知った反応は?」

「驚いていたよ。信じられないともね」


 彼は至極驚いていて、信じられないと首を振る男をどれだけ苦労して説得したことか。彼は異邦人をあまりよく思っていないのだろう。それもそのはず。四谷村が、自分たちが追い出されたそもそもの切っ掛けは異邦人たちが都を襲ったからだ。あの盗賊たちと焔たちは比べるのも烏滸がましいほど正反対ではあるものの、人となりを知らない鴻連にしてみれば異邦人は皆同じ。とりあえず納得はしてくれたが、だからと言って焔たちを受け入れたわけではないだろう。


「子どもは素直だったのに、大人は攻略するのは難しそうだ」

「あ、赤穂が君に会いたがっていたよ。機織りの続きがしたいと」


 ならば行くと即答した焔は家に向かって行った。その後を玄と一緒についていけば彼はそのまま鴻連たちがいるにも関わらず、ずかずかと家の中へ(もともと彼らの家ではあるけれど)入って行った。居間の戸を開けば鴻連親子が娘と息子を抱えてなにやら家族会議をしていたようで、そこで焔の姿を認めた鴻連はすぐさま殺気立ち抱えた赤穂をさらに強く抱き締めている。

 狼のような男だった。背丈は決して高くはないが、衰弱していたわりにはその腕や足の筋肉はしっかりと引き締まっている。真っ赤な総髪が逆立っているように見えた。剣のように強い印象を抱かせる瞳は警戒心を露わにより鋭く、高い鼻筋を横一文字に切り裂く傷痕は戦士の証であり、致命傷に近い傷を受けてなお生き残った猛者の証でもあった。微かに歯をのぞかせて歪む口元からは唸り声のようなものが漏れ出ており、もしかしたら犬や狼に準ずる獣人なのだろうか。

 妻の燕洛は夫ほどではないものの、その眼に微かな敵意を宿して抱いた息子を庇うような動作をしていた。こちらは猫と呼ぶには豹に近い、少なくとも愛らしい小動物というよりも荒野を駆る大型の獣の雰囲気を感じさせた。細身ながらも緩やかな曲sんを描く腰や肩は決して華奢な印象を抱かせない筋肉の質感を纏っていた。右目を縦に裂く傷痕が印象的ながら、微かに憂いを滲ませた瞳はまるで油断を誘っているかのようにも。引き結んだ口元は警戒と、怯えも感じさせた。未知なるモノに対する恐怖半分、それでも子を守らんとする闘気半分と言った所だろう。

 まさに手負いの獣であった。そんな彼らに対し、焔は鼻で一つ笑い気に留めた様子もなくさらに一歩前に出た。


「声も掛けずに入るなんて、異邦人は礼儀知らずか?」

「ここは俺の家だ。それを言うなら命の恩人に開口一番罵声を浴びせるお前の方が礼儀知らずではないのか?」


 尤もな焔の言葉に鴻連は今にも飛びかからんばかりに歯を食い縛って唸り声を上げていた。齢五千を越えている彼にとってこの程度の口喧嘩は子どもの戯れ言にしか思っていないだろうに、彼は人を煽る癖があるとぼやいていたのは玄だったか。その彼は、焔のその発言にため息をつくと自らの妻の頭に手を乗せなで回す。


「お前は本当に、怪我人相手に喧嘩を売るな」

「売ってきたのは向こうだ。売られた喧嘩は利子付きで返せと、」

「怪我人には慈悲を以て接しろというのもあの方の言葉だろう」


 まるで子どもを宥めるような玄の言葉と行動に焔は憮然と口を尖らせていたものの、渋々と引き下がるように身を引いていた。先ほどまでは怒気で冷え冷えとしていた焔の気配が玄の言葉だけであっさりと鳴りを沈めてしまう、信頼しあっているからこそ成せる技は東水には少し眩しくも見えた。


「妻の非礼、夫として代わりに謝罪させていただく。改めて、玄と言う」


 一人前に出た玄はその場に膝をつくと丁寧に頭を下げている。紳士然としたその態度には鴻連も毒気を抜かれたようで、唖然と口を開いて固まっていた。玄は不思議な人で、彼の纏う雰囲気は自然と周りを穏やかにする。一挙一動の洗練された仕草、物静かで穏やかな声は聞くだけで心地よく、まっすぐと見据える色違いの相貌は彼の心をそのまま写し出したかのように綺麗だった。

 張り詰めた空気が和らいだのはすぐだった。身構えていた鴻連がゆっくりと座り直し、抱えていた娘を離すと彼もまた深々と頭をさげる。


「・・・四谷の鴻連だ。こちらも、助けてもらった恩を忘れ言い過ぎたこと謝罪する」


 夫に習い燕洛もまた同じように姿勢を正して、双子の子供達も見よう見まねで頭を下げている。一方の玄はそこまでさせるつもりはないと慌てて頭を上げさせていたが、彼は本当に謙虚というかなんというか。


「最初から素直になればいいものを」

「ほ、む、ら?」

「・・・悪かったな」


 対して焔は素直でないようで、玄に凄まれて漸く謝罪を口にした。彼の方がよほど素直ではない。玄は苦笑を漏らし、そうして改めて鴻連たちに向き直る。


「調子は良さそうだな。うちのは口は悪いが腕は確かでな、あと一週間は安静にすればもう大丈夫だろう」


 口が悪いは余計だと抗議をあげる焔を玄はさらりと受け流して鴻連たちに対し穏やかな対応をしている。彼らの治療をしていたのはほとんど焔であり、それを聞いた鴻連は焔に対しきちんとお礼を告げていた。ありがとうと、その言葉にさしもの彼も思うところはあったのだろう。玄の側に並んで座り改めて鴻連たちと相対していた。


「事情は聞いた。で、あのまま例えば野宿で冬を越せたとして・・・その後はどうするつもりだった?」

「・・・四谷に戻れたらと。春になれば獲物がまた狩りやすくなる、それまでの辛抱だと・・・だが、現実はそう上手くいかなかった」


 自嘲の笑みを浮かべる彼の肩を妻がそっと抱いている。大丈夫だと励ます子どもたちもそのつもりだったのだろう。しかしいくら彼らと言えど過酷な外界で冬を越すのは不可能だった。


「・・・恥を承知で頼みたい。ここに、妻と子どもを置いてほしい。せめて子どもたちだけでも、」

「なぜそこにお前自身が入らない?離婚願望か?」

「り・・・そんなわけあるかっ!!このご時世に一家四人を受け入れる余裕なんてないだろう!?」


 焔の発言に鴻連は顔を真っ赤にして怒鳴っていた。冗談だとしても質が悪い、玄もそれには頭を抱えていた。鴻連はせめて自分の家族だけは生かしたいと思ってそんな頼みをしたのだ。確かに他の村であったなら一家四人全員を受け入れる余裕なんてないだろう。今年は例年と比べて獲物の量も少ない。自分たちで手一杯なのに追放された家族を向かい入れるなんて決断は簡単にはできないはずだ。

 しかしながら、ここはそんな問題は一切なかった。なぜなら焔たちがその問題を解決してくれたどころか、更なる豊かさをもたらしてくれたから。


「一家全員、この村に住めばいい。どうしても四谷に戻りたいと言うなら冬が終わる期間だけで構わん。お前達をここに運び込んだ時点で村長の了承も得ている」


 つらつらと話す焔の言葉に鴻連と燕洛は眼を白黒させて驚いていた。自分たちが寝ている間にそこまで話が進んでいるとは思わなかったらしい。東水はもうすでに彼らは村の一員くらいに思っていた。彼が四谷に戻りたいと言えば仕方がないと諦めもつくが、本心を言えば彼のような腕のたつ狩人がここにいてくれればとても心強い。


「あの・・・しかしそれでは、この村の備蓄が、」

「あと三世帯増えても余裕がある程度には備蓄はある。むしろ今は一人でも多く人手が欲しい。今すぐ働けとは言わんが、とにかく四人も増えてくれるならこちらとしては万々歳だ」


 おずおずと声を出した燕洛に対しすると玄が朗らかに笑ってあるものを指差した。機織機、焔が使っているそれには作りかけの布が張られている。


「あれ以外に色々なものを作っていてな。君たちにも手伝ってほしいんだ。住まいもある、毎日食事が二食とおやつ昼寝付き」

「暖かい風呂もある、といっても共同だがな。今なら都よりも快適な暮らしができるぞ」


 畳み掛けるような玄たちの言葉に鴻連夫婦は理解できないとばかりに首をかしげて困惑気味だ。おやつや風呂と言った未知の単語を考えあぐねているのだろう。ならばと立ち上がった玄が隣の台所から持ち出したのは焼き菓子。


「あ!クッキー!」


 赤穂はすでにその味と匂いを覚えていたのか、玄が皿ごと差し出したそれを受けとると嬉々として一つを口にいれた。未知なるものを前に鴻連たちは娘を咄嗟に止めようとしたが遅く、しかし娘が美味しそうに租借する姿と香ばしい匂いに興味がそそられたのだろう。今度は息子の璃空が手を伸ばした。


「!!うっまい!ちょっと甘くて、食べやすい!」


 からころ笑う子どもたちがどんどんクッキーを減らしていって、すると燕洛が意を決したようで二つを手に取ると鴻連にも差し出した。彼らはまずは匂いを嗅いで、ついでその形を様々な角度から眺めている。あれは小麦粉を固めて焼いたお菓子、そもそも彼らは小麦どころか野菜を知らないのであれが何でできているのか検討もつかないだろう。それでも匂いで危険ではないことは分かったようで、夫婦はほぼ同時にそれを口に入れて・・・みるみるうちに眼を見開いて固まった。


「ははっ。気に入ったか?」

「・・・これ、は・・・なんですか・・・肉でも魚でも、干した果物でもない・・・」

「小麦という野菜を粉にして焼いたものだ」


 こむぎ、やさい。そんな言葉を繰り返す彼らの姿はきっと少し前の己らと同じだったのだと、東水はどこか誇らしい気持ちにもなっていた。これらをもたらしたのは焔たちではあるけれど、これから先では同じ獣人族が驚く姿を見る側になると思うと高揚さえしていた。


「草が食えるのか・・・?」

「そこらの雑草ではないぞ?人が食える類の草、果実の親戚みたいなものだ」


 で、どうする。再度問いかける声に、夫夫二人は顔を見合わせていた。言葉はないが、声はあった。それは音の発生にも近く、犬と猫の唸り声。鼓膜を揺らす程度の発声、それは狩人たちが使う獣の声だ。狩の最中における連携や指示を出す時に使う声は複雑な言葉こそ表現できないがある程度の会話は可能でもある。それで彼らが語り合っているのは、異邦人である玄たちには分からないだろうとふんでのことだろう。東水が聞く限りその内容は決して玄たちを蔑ろにするそれではなく、むしろ悩んでのそれだ。


「・・・・・・時間を、くれないか。少なくとも、そちらに恩を返すまではここに残る。その後は・・・」

「いいだろう。あと三日は養生して寝ていることだ。その後は軽い運動から、一週間後にはきびきび働いてもらうぞ」


 人の悪い笑みを浮かべているが焔の態度はむしろ彼らを気遣ってのことに感じられたのは、言葉とは裏腹に存外声音は穏やかだから。信用も疑惑もすべて鴻連たちに委ね。その意思決定を彼らに任せている。そういうことを自然にやってのけるから、ここの村人は皆彼らを慕うのだ。






 ~~~~~~~~~~






 仮住まいとして与えられた家は外観も中身もしっかりとしていた。あの異邦人たちが造ったという家屋はこの片田舎にある家屋としては立派なものであり柱や床に施された植物のレリーフはまるで貴族の家のような雰囲気さえ醸していた。四谷村にも大工はいたし、彼らも同程度のものは作れるだろう。しかしこれをたった二人で、おまけに一月も必要としなかったというのだから驚きを通り越して呆れもする。


「布団だー!」

「ふっかふか!」


 新しい家に飛び込んだ双子たちは真っ先に奥の部屋へ続く障子を開け、そこに畳まれた布団を見つけて飛び込んでいた。異邦人たちの家にあった布団の虜になった子どもたちは今まで触れたこともない上等な手触りと羽毛の如き柔らかさにきゃらきゃらと年相応に笑っている。鴻錬はそんな二人を見届けて、そうして隣に佇む妻に視線を向けた。彼は物珍しそうに室内を見回し、居間の中央に設置されている庵なるものを見下ろし首を傾げていた。ここで火を焚いて飯を作ったり暖を取るらしい。家の中で火を焚くなど正気かと、隣の家にいる東水にそれはもう詰め寄ったが彼はけらりと笑って楽しみにしていて欲しいというだけだった。


「何もかもが、僕たちの常識と違うね。彼らが本当に異邦の民であると認め猿負えないよ。それでも、彼らは僕らにさえ手を差し伸べた」

「・・・懐柔して、その後裏切るかもしれない」

「それは君も分かっているだろう?彼らからは、悪意の匂いはしなかった」


 でなければ子どもたちがあぁも懐かない。蘇るのはあの異邦人たちの住まいを後にしようとしたときの出来事だった。赤穂はもとい璃空もすっかり彼らに懐いてしまい、まだいたいとごねる双子を彼らは優しく諭しながら、また遊びに来ればいいなどと宣った。本来医術者の家は神聖な領域として他から隔離される。あそこは元々この村の医術者が住んでいた場所であるらしく、しかし彼らはまったく気にしないとばかりに開放的だった。

 その彼らから、一切の『悪意の匂い』はしなかった。この鼻は、我らが先祖が造物主に賜った真実を見抜くもの。どれだけ高価な香を焚こうと、どれだけ衣を重ねようと、その真実を偽り隠すことはできない。


「鴻、少し休もう。これからのことはゆっくり考えればいいと、東水も言ってくれた」

「・・・・・・そうだな」


 子どもたちが奥の部屋から戻って来た。あれがどうだのこれがどうだのと、家じゅうを探検してきたらしい彼らの顔は興奮と喜色とで明るい。


「隣は東水さんちなんだろ?俺行ってくる!」

「私も!」

「あまり騒ぎ立ててはいけないよ」


 元気に返事をした双子たちは外へ飛び出して、自分たちも改めて彼らの家族に挨拶へ行こうと外に出る。

 広がる情景はかつて訪れた時の面影を残しながら、しかし鴻連の記憶には存在しない景色も混ざっていた。山の傾斜に建てられた家屋は真新しいものが多く、裾野の平地に広がる土色の地面に大小形も様々は草が生えている。しかし雑草と呼ぶには大きく、花と呼ぶには華美もない。まるで花弁の蕾のような、しかし大きさは子どもの頭ほどもある大きなもの、つる草の先端にたわわに実った赤い果実はリンゴとも違う、土の中から掘り起こしたそれは黄色の石ころにしか見えない。全部、食べられるものらしい。完全に未知でしかなく、しかし村人たちはそれらをせっせと収穫し、その顔はこの不景気にあるとは思えないほど明るい。村を縦断する川の左右には黄金の絨毯の如き光景が展開されていた。黄金色の色彩をした植物が風に靡く様子はどこか幻想的で、知らない香りのはずなのに穏やかな心地にもなるのだ。


「でぇえ!?正吾!?おま、本当に正吾なのか!?」


 ぼんやりと景色を眺めていると息子の素っ頓狂な悲鳴が聞こえて来た。騒ぎ立てるなと言った側から騒がしい我が家の嫡男は東水の家の戸口で唖然と目も口も開けている。目の前にいる、その少年はしかし鴻連にとっても驚くべき姿をしていた。


「正吾?随分と背が伸びたじゃないか」

「鴻連さんこんにちは!俺もなんかそんな気がするんだよね」

「俺より、デカい・・・」


 中からひょっこり顔を出した正吾は璃空の一つ下のはずなのに彼の方が背が高いと分かるのは、璃空が視線を上げねば目を合わせることができないからだ。二年前に出会った時は彼の方が小さかったはずだ。しかしその体つきも割としっかりしているように見える。少年特有の細さから、青年のしなやかな肉体に発達していく途上の、そんな印象を抱かせた。


「師匠がさ、きっとバランスの良い食事をしているからだろうって。できれば父さんよりはでかくなりたいんだよなぁ」

「やさいを食えば、俺もデカくなるか・・・?」

「俺がなれたんだから璃空もなれるよ」


 璃空が決意に雄たけびを上げた。よほど悔しかったらしい、一歩で赤穂は少年の背中にいる赤子が気になったようだ。女児だった、生まれてまだ数か月くらいだろう彼女は目の前にある正吾の髪をしゃぶって遊んでいる。


「その子は?」

「妹の焔火だよ!」


 東水たちの第二子にして長女らしい彼女の名は、あの異邦人の赤い髪の男の名をもらったとも正吾は誇らしげに笑っている。彼も、そして東水たちも、否・・・この村人たちはあの異邦人たちをよく慕っているようだった。それはただ食糧難を救ってくれたからだろうか。異邦の民でありながら一切の悪意の匂いを纏っていないからか。


「父さんたち?今は師匠たちの所だよ、内職のお稽古だって」

「ないしょく?」

「今は織物を作ってるんだ」


 その単語には赤穂が反応した。織物なんて、都か蒼海から輸入されるものしか知らない。そもそも作り方もよく知らなかった。赤穂があの家でしていたのがそれらしい。


「鴻連さんたちは明日からだって。あ、でも明日は狩の日だったなぁ・・・」

「なら俺が行こう。さすがに体が鈍ってしまうからな」


 父さんに伝えておくよ。そう告げてくれた正吾はぐずり出してしまった焔火をあやしにかかってしまったのでそこで彼とは別れた。

 見下ろす村の情景は安寧と平穏を体現していた。食糧不足も盗賊の脅威もまるで知らないかのように。それを作り上げたのがたった二人の異邦人だなんて。果たして彼らは何者なのだろう、懐疑よりもただ疑問がわくのは、その身から悪意の匂いがしないから。

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