終の章 《獣の国》5

 中に入った途端に感じたのはむせ返るような腐敗臭だった。肉の腐った臭い、歩む度になる水音は水と血と肉が潰されるもの。松明の灯りを照らし石造りの陰湿とした屋内をどんどん進みながら、その度に目につく死体と血飛沫の後に眉を顰めた。


「これを・・・黒の牙はたった一人でやったというのか・・・」


 上も下も右も左も、どこを見渡しても通常の岩壁の色が分からないほどの惨状に沈念はただ絶句した。死体の数はここだけでもざっと30はある。しかも全員急所を一撃、時間がたちすぎているせいか腐っていているものの、死体全員に共通しているのは鋭い斬傷痕。たった一薙ぎで人の胴体を真っ二つにできるほどの切れ味と大きさを持った武器で奴らは殺されている。状況が状況でなければ鮮やかな手腕だった、しかしこれでは一方的な蹂躙にしか見えない。同伴した部下たちもあまりの惨劇に呻いている者までいた。

 そうして辺りを隈なく巡り生き残りがいないか探す。そもそもここへ来たのは近隣の村からの通報があったからだった。黒衣の異邦人が廃村の方角から去っていくのを見たと。その特徴は半年以上前から突然翠森に現れた謎の男と一致していた。彼が現れた場所では盗賊たちは一網打尽にされていて、駆けつけた時にはいつもそこには結果だけしか残っていない。そうして今回も、そこにあったのは目を疑うような惨状。随分前に廃村になった場所にいたのは大勢の死体、どれもこの国の人間ではなく異邦人だったのだ。いで立ちからして盗賊だったのだろう。それが一人残らず、男も女も関係なしに惨殺されていたのだ。死体は屋外だけに留まらず屋内にまで、みな一様に徹底的に・・・確実に殺しにかかっているのが死体の様子から窺えた。

「・・・いくら盗賊とはいえ、ここまで・・・」

「・・・これまでの黒の牙の手口と同じだ。奴はやはり人を殺し慣れている」


 隣の花玖もうめき声を上げて、その身は畏怖からか震えているように見えた。その肩を抱きながら歩を進め、廃村で最も奥に位置していた家屋の最奥へ。外から蹴破られた大扉、広間の奥には後からおかれたと思われる木組みの大椅子。玉座のように置かれたそこには・・・見覚えのある亜人の死体が。


「あれは・・・都を襲った・・・!?」

「・・・姿形は酷似しているな。よもやあの化け物まで・・・」


 でっぷりと太った大きな体躯、緑色の肌と蛙のような歪な頭。かつて盗賊の王だと名乗った怪物はその頭をかち割られて絶命している。三か月前、奴は二百名近い盗賊を引き連れて純陽の都を襲ってきたのだ。まずは小手調べだと笑った奴はこちらを弄ぶかのような攻撃を仕掛け、城壁の守りに徹底していたために侵入を防ぐことには成功した。都の医術者たちの力もあって死者は数名だけ、しかし兵士の半数が負傷し再起までに最低でも一か月はかかるほどの打撃を受けた。けらけらと嘲笑う奴らが余裕で背中を向けて去っていくのを追いかけることもできず、いつまた襲撃されるかも分からない恐怖に都の人々は毎日毎日怯えていた。

 それが、今日この日を以て解放されたのだ。名も顔も分からない、異邦人の手によって。


「・・・ただちに王へ伝令を。盗賊の王は、黒の牙に討たれたと」


 慌てて飛び出していった兵士の一人を見送れば、他の部下たちは歓喜に表情を晴れやかに声を上げた。盗賊王討たれたり、黒の牙は偉大なり。叫ぶ兵士たちの声に、しかし沈念は素直に喜ぶことができなかった。

 黒の牙の力は常軌を逸している。己らでさえ相手にならない盗賊たちを奴はたった一人で滅ぼしてしまったのだから。その技だけじゃない、奴は人を殺すことに躊躇いがないのだ。狩人が生きるために獲物を狩るのとは訳が違う、それこそ奴にとって盗賊など何の関係もない輩のはず。であるのに彼は・・・無関係の人間を平気で殺すことができる。死体をそのままにしているのを見るに死者に対する礼儀もない。さらにもっと不気味なのは・・・これだけ血肉臭が辺りに漂っているのに、どうして獣や魔獣が寄り付かなかったのかだ。魔獣除けの結界石はすでにその機能を失っている。であるのに今の今まで獣が一匹も寄り付かなかった・・・彼らは恐れたのだ。この地に残った黒の牙の存在を。微かに残った臭いや名残を嗅ぎ付けて、故に近付くことを本能が拒んだに違いない。実際、沈念もまたここに来てから妙な胸騒ぎが収まらなかった。任務でもなければここに踏み入ることも、近づくことさえ躊躇うほどに。


「隊長、よろしいでしょうか?」


 すると部屋の外から兵士の呼ぶ声が。見てほしいものがあると言われて外まで着いていけば、案内されたのは村の広場の端。村中に死体が散乱しているというのにそこだけ妙に綺麗で、その理由はすぐにわかった。


「墓・・・?」

「まだ新しい・・・ここ数日に建てられたものですよ」


 明らかに初めからそこにあったと思われない大小三つの岩が並べられていたのだ。その下は土が掘られたような痕もあり、岩の前には花と髪飾りが供えられている。獣人族式の墓だった、盗賊の死体の状況を見るにその中の三人を限定して葬ったようには見えない。恐らくここに眠っているのは・・・どこかの村からさらわれた獣人族だ。


「・・・ここから東の村で、行方不明の番がいたはずです。二つはその番・・・もう一つは・・・」

「・・・妻の腹に、子どもがいたそうだ」


 だから岩の一つは小さく、髪飾りの供物もないのだ。その岩を挟むように父と母の墓がある。供養したのは黒の牙以外考えられなかった、彼は番だけでなく腹の子どもの分まできちんと墓を作ったのだ。獣人族の礼式に従った供養の仕方や周囲まできちんと整備しているところには黒の牙の強者としての悍ましさとは対照的に・・・命あるものを慈しむ慈愛精神が感じられた。


「こことは反対の場所で火葬の跡が見つかりました。恐らくこの下に・・・」

「・・・ここに放置するわけにもいかない。神官を呼んでくれ、彼らを故郷の村で供養するよう手配を」


 敬礼をした兵士は足早に去っていく。花玖は墓の前に膝をついて合掌と共に祈りを捧げていた。ここで三人もの尊い命が失われた。それこそあの時都で盗賊たちを倒せていればこうはならなかったかもしれない。都を守ることだけしかできなかった、もし黒の牙がいなければ盗賊王を倒すことも、この番たちを供養してあげることもできなかった。


「・・・黒の牙を探さねばならない。そして・・・見極めなければ」


 彼が本当にこの国にとって有益なのか。もしかしたら第二の盗賊王になる可能性だってある。そうなったら最後、おそらくこの国は蹂躙し尽くされるだろう。蒼海と金砂との国交が途絶えてしまった今、これ以上の脅威にこの国を晒すわけにはいかなかった。もうこれ以上、誰かが犠牲にならない為にも。






 ~~~~~~~~~~






 吹く風が冷たく頬に当り乾燥した空気は肌を割くような季節。秋から冬に差し掛かるこの時期は森の獲物が少なくなり、果実も木々の落葉と同時に減少する。今までであれば本格的な冬になる前に獲物を狩り、その肉を保存用に加工してほそぼそとした食糧だけで冬を越していたそうだ。しかし今回はその必要もないだろう。この辺りは雪が積もらない、だからある程度の野菜は冬の間も継続して栽培が可能だからだ。寒さに弱い種類は難しいものの、主食となった小麦は寒さに強く米は備蓄として長期保存が効く。よって保存用の肉は例年の半分でも大丈夫だという話になり、現在まさにその獲物を狩って村に戻っている途中だった。


「これで今年の冬は安心して越せるよな」

「小麦と米の備蓄もある程度揃ったからな、村人全員どころかあと三世帯増えても余裕があるかもしれんぞ」


 それは十全だと笑う東水は気合いが入ったとばかりに飛空挺の速度をあげた。今ごろ村では阿尋たちが冬服をしたてているはずで、焔は薬草採取に出ているはずだ。彼とは途中で落ち合うことになっていて、荷台に積まれた獲物をみれば彼も満足してくれるだろう。相も変わらず弓がからっきしであったので素手で仕留めたのだが。


「玄は本当に弓がダメなんだなぁ・・・翠森じゃ狩人の武器は専ら弓か剣なんだぞ?」

「剣は使えるぞ?ただ日用使いできるものがないからなぁ・・・今度作るか」


 お前にはいらないだろう。何て言われたので心外だと反論すればなんだか可笑しくなって二人揃って笑っていた。まだこの国に来てかた一年もたっていないというのに、水生村の環境は随分と様変わりした。焔の作った結界のお陰で魔獣の心配がなくなり、野菜の栽培が軌道にのって食糧難を改善、畑作業や織物に従事することで村人の向上心を刺激し玄たちが個人で行っている他の物作りにも興味を持ってくれる村人も出てきてくれた。最初は異邦人だからという理由だけで警戒されていたものの今では村の仲間として受け入れてくれている。いつだって最初は大変だった、けれどその過程を経て初めて手に入るものがあることを知っていた。それが放浪を続けている理由のひとつでもある。


「ただ・・・他の村の状態も気がかりでははあるよ。俺達は君たちという存在に恵まれた。しかし他の村はそういうわけにはいかないからな」


 東水が話しているのは一昨日のことかもしれない。水生村から一番近くにある隣村の村長が数名の狩人を引きつれて村に訪れたのだ。彼らが求めたのは水村近辺における狩猟許可、村ごとで縄張りが決められていて基本的に他村の縄張りでの狩りは禁止されている。村長の許可があれば狩りをすることは可能であり、芭蕉も困ったときはお互い様だと快く許可を出していた。


「だが、縄張りを無視して狩りをできる狩人もいるのだろう?」

「都の認定狩人だな。あとは・・・追放者と呼ばれる者たちだ」


 追放者、それはとある事情で集落を追われた者を指す。罪を犯した罪人がその多くであり・・・中には口減らしの為に追い出される者も。しかし後者の例は東水はまだみたことがないそうだ。


「芭蕉殿の話ではあの方が子どもの時にみたことがあるくらいだそうだ。罪人ならともかく、口減らしの為に村を追い出すなんて・・・」


 悲しげに話す東水の、若さ故の純粋さが羨ましいと感じた。外の世界の、辺境の村では口減らしの為に追い出すなんて珍しいことではないのだ。追い出されるくらいならまだ平和だ、中には自分の子どもを売り飛ばす親だっている。かつて奴隷制度が施行されていた時などはもっと悲惨だったと教えてくれたのは兄弟たちだった。親は自分の跡継ぎ以外を全員売りに出す場合もあった。獣人族は命を尊ぶ、特に彼らは子どもや身重を尊重する。東水たちには外の世界での状況など考えられないだろう。


「・・・野菜が広がれば口減らしの為に村を追われることもなくなる。いつかそうなる日がくればいいな」

「いっそ都に出て売り出すというのは?君たちが作る料理を彼らに振る舞えば確実に広まると思うが」


 多くの種類の野菜が収穫できるようになって料理の種類も増えた。中には簡単にできるおやつや菓子、ファストフード類もいくつかある。都にで売り出すというのは確かに手があるかもしれない。しかしながらその為には材料の数をもっと揃えないといけない。しかしいつかはしてみたいとは思い、今はその為の前準備だ。


「焔とは・・・この辺りで落ち合うはずだよな?」


 この辺りは基本的に道が整備されていない。都の近くはそうでもないらしいが辺境になれば道と呼べるのは馬車が通った跡にできる轍だけ。焔との待ち合わせ場所は水生村へと続く三叉路だったのだが・・・そこに彼の姿はない。彼が約束を違えるなんて珍しい、なんて思っていたら林の奥から知った気配が。


「すまん、ちょっと問題がな」


 なんて言いながら出てきた彼の、その腕に抱かれた者が問題なのだろう。抱えられているのは子どもだった。正吾と同年代くらいだろう少女、しかしその体はかなり痩せ細っている、意識もなくぐったりとした彼女の顔色は悪く明らかに栄養失調だった。


「俺が見つけた時は意識があったんだが・・・家族を助けてと必死に懇願してきてな。事情を聞こうにも同じことしか言わなかった」


 極限状態におかれたことによる錯乱に陥っていたのだろう。このままでは彼女の心がもたないと判断した焔は止む負えず眠らせたそうだ。しかしこれでは詳しい事情も分からない。すると東水が、何かに気付いたのかまじまじと少女の顔を見つめた。


「・・・この子、見覚えがあるぞ」

「知り合いか?」

「・・・・・・・・・っ!?あぁ!四谷の鴻連こうれん!!彼女は彼の子だ!!」


 四谷村は水生村とは一つ村を挟んだところにある村だそうだ。四谷の鴻連と言えばその辺りで知らぬ者はいないと有名な狩人だそうで、東水も同じ狩人として何度か面識があるそうだ。


「ここから四谷まで徒歩じゃ三日はかかるはず・・・どうしてこの子だけ・・・」

「家族を助けてと言っていた。事情は分からんが・・・家族共々村を追いだされたのでは?」

「まさか!!鴻連はこの辺りじゃ一二を争う剣の名手だぞ!?彼の意志で村を出たならともかく、追い出すなんてよほどのことがなければ・・・」


 疑問ばかりが増えていく状況だったが、ここで話し合っていても仕方がない。急いで飛空艇に乗り込んでエンジンを起動し、少女の足跡を遡って林に飛び込んだ。


「家族共々追放されたならこの近くにいるはずだ。誰かが動けなくなって、彼女が単身で助けを求めたのかもしれん」

「鴻連の家族構成は知っているか?」

「彼には妻と、子どもが双子だったはずだ。この子は恐らく妹の赤穂あかほ・・・こんなに痩せて、いつから食べ物を口にしていないのか・・・」


 聞けば彼女は正吾より一歳年上だそうだ。それにしては体は華奢で日常的な食糧不足に陥っていたことが窺える。徒歩で三日はかかる距離の村から追い出されたにしては疲弊が酷い、おそらくもっとずっと前から村を追われ放浪の果てにこの近くに流れ着いたのだろう。しかし例えば口減らしの為に家族諸共追い出すなんて、東水はあり得ないと首を振っている。


「盗賊襲来の影響はまだ続いている。今までなかったことが起きても不思議じゃない。前例はないからと惑わされるなよ、常に見据えるべきは今そこにある現実と未来だけだ」


 必ずしも同じ明日が来ないように、未来という者は不規則に変化する。小さな切っ掛けで世界は大きく変わることもある。それは神にも分からないのだ。前例ばかりに囚われては新しいものは生み出せず見えてこない。静かな、それでいて力強い言葉に東水も言葉なく頷いた。

 少女の足跡は森の奥へ続いていた。覚束ない足取りは彼女の疲弊を物語り、何度もつまずいた痕も見受けられる。あの様子では立ち上がるのもやっとだったはずだ、それでも彼女は家族の為に無我夢中で歩き回ったのだろう。もしこれで他の獣人族に見つけられていたら、食糧不足のこのご時世だからと手を差し伸べられなかったかもしれない。この辺りはどこの縄張りにも属していない、それこそ他の狩人がいても可笑しくない状況で・・・それでも彼女は焔に巡り合った。これもまた縁が導いたに違いない、ならばその縁に従ってみよう。


「・・・・・・あそこか」


 そうしてどんどんと奥に進んで、目的地にたどり着いた。魔獣の生息域にほど近い場所だった、山の斜面に人が通れるだけの大きさの穴が見えた。穴自体は獣が掘ったように見えるも、入り口の周囲を隠すように木の葉や枝が散らばっている。あれは明らかに人の手によってカモフラージュされたもの、少女の足跡もそこから始まっている。


「・・・中に三人、一人は子どもだな。全員穴の奥で固まっている」

「鴻連たちだな。起きているか?」

「・・・・・・子どもは起きているようだぞ」


 穴から少し離れた場所で飛空艇を止めて観察していると、木の葉がすれる音が響いた。恐る恐るという調子で穴を隠す枝から顔を覗かせたのは子どもだった。顔だけ出して忙しなく辺りを見回すその様子はかなり警戒していて、その顔は赤穂にそっくりだった。彼は双子の兄の方だろう。


「なぜ大人が出て来な・・・動けないのは、両親の方か・・・」

「俺が話をする。最後にあったのは二年前だったが・・・恐らく顔は覚えているはずだ」


 そうして木陰から出て行った東水はあえて足音を大きく立てながら彼に近付いていった。無遠慮に草を踏むその音に少年は即座に反応して、穴から勢いよく身を乗り出すと弓を構えた。傷だらけでやせ細ったその身で、しかしその目は闘志に怖いほど燃えている。東水の姿を認めた彼は、すると途端に怯えたように肩を跳ね上げている。それでもその狙いはしっかりと彼に定めたまま。東水はそんな少年から少し離れた場所、十分弓の射程に入る場所で歩みを止めた。


「璃空、覚えているか?水生の東水だ。二年前、君の御父さんと一緒に狩りをした」


 攻撃の意志はないという表明の為に東水は両腕を少年にも見えるように上げた。穏やかに語りかけるその言葉に少年は静かに頷いてみせる。それでも少年はまだ弓を下ろさない、その目から闘志はいくらか薄れたものの気配は張りつめたままだった。


「君の妹、赤穂を保護した。大丈夫、彼女は無事だよ・・・その奥に、お父さんとお母さんがいるのだろう?」


 その名に反応した少年は、さらに気配を剣呑にして弓を大きく引き絞った。唸り声まで上げ初め、次の言葉次第では矢を放つ勢いだ。しかし東水は動揺もせず、ただただ穏やかに少年に語り掛け続けた。


「君たちを助けたい、力になりたいんだ。お父さんには世話になった恩もある。二年前、彼のおかげで俺たちの村は飢えずに済んだんだ。その恩を返させてほしい。約束する、君たちには絶対に危害は加えないと」


 穏やか声と真摯な眼差しには彼らを想う故の優しさしかない。彼ら獣人は匂いで相手の善悪さえ察知する、それはたとえ錯乱状態にあっても判断くらいはできるはずだ。力みすぎて震えていた弓が・・・だんだんとその動きを鎮め、最後には漸く下してくれた。が、次の瞬間に少年はいきなり態勢を崩し前のめりに。驚いた東水が間一髪のところで飛び出してその身を受け止めて、少年は意識を失っていた。


「二人とも!もう大丈夫だ!」

「東水、穴の奥から両親たちを引っ張ってきてくれ。玄は手伝え、お前では穴には入れんだろうからな」

「いっそ上から掘ってもいいじゃないのか?」

「時間がかかる。大人が動けなくなるなんて相当だぞ」


 穴は相当狭く、大人では入れるのは限られるような大きさだった。東水でもぎりぎり通れる大きさで、焔はともかく己の体格では不可能だった。やがて穴の奥から東水の鴻連の名を呼ぶ声、その数十秒後に彼は男一人を引きずってはい出て来た。


「妻の燕洛だ、鴻連も意識がなかった」

「・・・肋骨数本、足も折れてるな。あとは栄養失調・・・」


 一体いつからこの場所にいたのか。鴻連の妻だという青年の身体には古いものから新しいものまで傷跡がいくつも刻まれていた。衣服もほとんど襤褸布同然で体は泥にまみれ顔の造形さえ分からない。そうして次に救出された方も似たり寄ったりの状態で、鴻連はさらに傷が多く中には致命傷一歩手前のものまであった。二人の傷は魔獣との戦闘によるものだろうと思われた。村を追われ生きるために狩りをして、その最中に負った傷が蓄積したことで動けなくなってしまったのだ。


「積み荷を降ろせば全員運べるな」

「人命優先だからな。最悪後で俺が取りに戻る」


 積み荷は全て村の備蓄、しかし今は人命優先だと三人は結論づけて即座にそれらを全て降ろすと三人をそこへ運び込む。獲物は後で狩りなおせばいいだけ、己らの匂いが付いているから大抵の獣は寄り付かないだろうが。そうしてエンジンをフル稼働して飛空艇を発進。樹々を飛び越えて一気に空高く舞い上がった。


「多少速度を落としても構わんから揺らすな。ここで応急処置をする」

「了解した!」

「俺にも手伝わせてくれ」


 ならば止血を頼む。焔の言葉に東水も動き出したのは気配で分かった。玄は飛空艇のハンドルを握りしめながら、それでも考えてしまうのは彼らがどうして追放されたのか。やはり口減らしの為か、盗賊襲来によって狩人が減少し魔獣の活動が活発化。それによって獲物が狩りづらくなり食糧不足に。こういうときは国の中枢が対処に動くべきだろうに、しかしそんな様子も噂も少なくとも水生村と隣の村には聞こえてきていない。その余裕が都にすらないのか、そもそもその取り決めすらない可能性も否めなかった。

 疑問とやるせない気持ちばかりが沸き起こり、しかし今は運転に集中すべきだと頭を振った。今は救えるかもしれない命が四人も乗っている。こうして不思議な縁で巡り合ったからには何としてでも助けたかったのだ。


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