終の章 《獣の国》3

「ーーーよし、製鉄するぞ」

「朝っぱらからどうしたんだ一体」


 小鳥の囀りが響く穏やかな朝の日、縁側に揃って腰掛けて朝飯の果物を齧っていたら玄がそんなことを突然言い出した。起承転結の結しかない、彼は考え事を頭の中で完結させて唐突に言い出すことが癖だった。今回もまた色々と考えたらしい、その視線は昨日芽が出たばかりの小麦畑に向けられている。


「狩人たちの武器を見てて思ったんだ、原始的過ぎると」

「動物を狩る分にはあの程度の弓で十分だろう」

「弩があるそうだ。しかも魔弾を撃てる」


 それは焔も聞いたことがあった。使うのは魔獣の襲来などと言った非常時と決めているそうだが、魔力の矢玉を放つ事ができる魔法武器。この国ではそういった武器を《魔導機》と呼ぶらしい。生産は主に国の中枢で行われ、三国ごとに特色も様々。弩や弓といったタイプの魔導機は一般的なもので扱いも比較的簡単。翠森では魔獣討伐用にと各集落に国から弩の魔導機が村の規模に応じて数機支給される。ちなみに水生村には十機あるそうだが、まだ実物を見た事は無かった。


「・・・まさか、造るとか言い出さないよな?」

「察しが良くて大助かりだな」


 からりと笑い飛ばす彼に思いっきりため息をついたのは仕方がないと思う。簡単にいってくれるが只の武器を造るのとはわけが違うのだ。かつてドワーフの国でその技術を学んだ時、一人前と認められるのに二百年もかかった。その間一日何十時間も鍛冶場に籠り鉄と炉と睨めっこをしていたのは今となっては良い思い出である。


「これは割と真面目な話なんだ・・・ずっと考えていたんだ。どうして盗賊どもが、この国を襲うようになったのかを」

 お茶を飲み下した玄は語る。十年前からこの国には盗賊が現れるようになった、しかし逆に言えば十年前までは盗賊の被害は一切なかったと言える。たった十年、それは獣人族にとってみても短い時間だ。その間に世界的に起きた出来事とは・・・そこまで言われて焔も心当たる事変が浮かんだ。


「・・・奴隷商人の一斉検挙か」


 奴隷制そのものはそれこそ己らが眷族になるずっと前に廃止されていた。しかし世界の影の部分では闇市などで奴隷の売買が繰り返されていたそうだ。その実体は何度か目にして、辺境の村や小国から攫われた子どもたちを何百人と救ってきた。そうして十年前、アスガルドを中心に奴隷商人の一斉検挙と闇市場の殲滅が世界規模で行われた。己らも主神の名の元に参加して奴隷商人のアジトをいくつか潰した覚えがある。


「・・・まさか、その生き残りがここに?」

「いたとしても不思議じゃない。検挙を逃れる為に誰も知らないような辺境の国に逃げ込んだ・・・ここは一番近い神の国からも随分遠いからな」


 三獣連合は種族としても知名度が低く、ましてここは世界の果てと言ってもいいような辺境国家だ。難を逃れた商人の残党が逃げ込むのには都合がいいだろう。しかも獣人族は皆眉目秀麗で、男までもが子を産める。新たな商品とするには十分な魅力があるのだろう。もしかしたら奴らはこの国そのものを新たな市場として利用しようとしているのかもしれない。


「・・・愚図め、害虫はしぶとさだけは一級だな」

 本当に忌々しい限りだった。奴らは弱者の命を平気で弄ぶ、奴らが狙うのは子どもばかり。攫いやすく、抵抗力の少ない、そして長く使える幼い命ばかりを。この世界で最も尊ぶべき命で、奴らは己の私腹を肥やし笑っているのだ。腹が立つ、思い出しただけでも腸が煮えくり返る光景にただ拳を握り締めた。


「村の防衛機能は正直言って脆弱だ。簡単に突破され、しかも抵抗できる手段すらない・・・与えるべきだ。殺す道具ではない、打ち負かす道具を」


 獣人族は相手が外道であっても殺生を厭う。ならば彼らに合った武器を、相手の命を奪う武器ではなく追い払う程度の武器を与えればいい。獣人族は命の大切さを、尊いことを知っている。ならば力のある武器を与えても正しく使えるはずだ。

 そう力説する彼の眼はまっすぐで、これは何をいった所で考えを曲げないことは目に見えている。彼はいつだって正しかった、そんな彼の正義感を好いていた。だから・・・共に為したいと思った。


「・・・まずは村長と狩人たちと話し合う。村の一員なんだ、独断では決められん」

「おう」


 笑う彼の穏やか返事につい絆される己を実感していた。彼はよく笑う、人間であった時は仏頂面ばかりだった男が随分と表情豊かになった。人間であれば決してできない経験と永遠の月日が彼の本来の性を開花させたのかもしれない。彼には才能が、上に立つ者の資格があった。多くの人が彼を慕う、それは人間で会った時と何ら変わりない。それこそ彼が望めば国の主にもなれただろうに、それでも彼は己の側にいる。


「・・・お前は、俺の隣で満足なのか?」

「今更だなぁ。逆にお前は満足でないのか?」

「・・・満足しすぎて、恐ろしいよ」


 いつかこの幸せが終わるのではないか、そう考えたら恐ろしさのあまりどうにかなりそうな気がする。もう彼無しでは生きられない、彼が己の側から離れたらすぐにでも死んでやる。だから考えたくなかった・・・いつか訪れるかもしれない最期の瞬間を。


「なら十全。お前が幸せなら俺も幸せだ。俺たちは対だ、命を持ったその瞬間から・・・だから安心しろ、最後の最期も一緒だからな」


 さも当然のように宣う彼の、その笑顔は穏やかだった。彼の言葉に安堵する己と、背徳感と優越感とが胸中を渦巻いている。彼は光のような存在だ、そんな存在をたった一人己だけが独占している。嬉しくないわけがない、彼がいるなら己はまだ大丈夫。最期も一緒、彼が言うなら確実なのだだから。






 ~~~~~~~~~~






 改革とは失敗と実験の繰り返し。確かに旅を始めた頃はそんな調子だった、しかし何千年という経験を積んだおかげである程度の予測から最良の一手を導くことができるようになった。


「やはり成長が速いな」

「誰も手を付けていないから土壌の栄養が豊富なんだ。これなら果樹農園もいけるかもしれんぞ」


 植えた野菜の多くはエルフの里でもらったものだった。一般的な野菜に比べて一株あたりの収穫量が減るものの、その分早く成長するというメリットがあった。手づかずの土壌は栄養豊富、これならより大きな作物が収穫できるだろう。


「あ、あっちに山羊がいる」

「山羊だと!?よし捕まえるぞ!!」


 果物を採りに森に出ると、野生の山羊を見つけた正吾の言葉に玄は駆け出して行った。暫くして山羊を二頭抱えて戻ってきた男の晴れやかな笑顔とは対照的に山羊たちは可哀そうなほど泣きわめいている。あれに追いかけられてさぞ恐ろしかっただろう。この時初めて涙目の山羊というものを見た。


「この鶏も、山羊みたいになんか採れるのか?」

「こいつはミルクじゃない、卵が欲しいんだ」

「えぇ~、兄ちゃんたち卵も食うのかよ・・・」


 庭先に捨てた干し果物の滓を目当てに現れた野生の鶏たちは優しく捕獲した。山羊はミルクとバターを目当てに、そして鶏は卵が欲しかった。つまりは酪農、本当は乳牛が欲しいところだがさすがにそいつを自然界で見つけるのは困難だと諦めた。


「・・・これが、魔導機の弩・・・ですよね?」

「試作第一号だ、試し打ちようの的はあれだ」

「的って・・・玄殿ですよね・・・」

「どんと来い!」


 対盗賊用に作った試作品を前に東水は引きつった笑みを浮かべていた。参考にしたのはエルフの国で作った魔法の弩であり、魔法を使えない獣人族でも強力な魔弾が撃てるように試行錯誤を重ねて作ったものだった。この国で作られた魔導機の弩とは大きく形状も異なり、空気中の魔力と大地を流れる地脈の力を吸収して魔弾を撃ちだす仕組みにしている都合上かなりごてごてした造りにはしてあるが重量は重くないはず。使い方をレクチャーしてまずは一発、放たれた風魔法の魔弾は一直線に玄へ飛来して顔面に直撃。爆発した魔法が彼の体を空へ攫い、彼は小枝のように吹き飛ばされて行った。


「手っ取り早く追い払えるように風の魔法術式を組み込んである。対象を中心に半径3mに及ぶ竜巻が発生して周囲の敵を一層できる」

「悠長に話している場合か!?玄は!?」

「計算ではここから数キロ離れた場所に落とされる。落下時は風魔法がクッションになるから、よほどの馬鹿でなければ死ぬこともあるまい・・・やはりお前に敬語は似合わんな」


 なんて話している間に玄はひょっこり帰ってきた。それと同時に東水に己らに対する敬語を禁止、見た目だけなら同じくらいなのだからラフにして欲しかったのだ。彼ははにかんだ笑みを浮かべて了承してくれた。そうして彼と他の狩人たちの協力もあり、魔導機の開発は着々と進めることができたのだ。


「本当にすごいなお前たちは、こんなのどこで学ぶんだ?」

「三千年前くらいにドワーフの国で学んだのさ、一人前になるまでに二百年かかったが」

「・・・・・・ちょっと待て、今・・・何歳なんだ・・・?」

「五千歳を超えたあたりから数えていないが・・・五千と三百と言ったところか」


 年齢の話をしたら村人全員に土下座されそうになった。彼らの平均寿命はおよそ三百年、そう考えたら五千というのはけた外れだった。この村には最年長の村長でさえ290歳、東水たちに至っては100歳も超えていないらしい。若いとは良いことである。そう締めくくったらそういう問題ではないと突っ込まれた。


「これが、じゃがいも・・・なんか石みたい」

「これが蒸かすと美味いんだ。バターもできたし、じゃがバターを作ってみるか」


 作物第一号はじゃがいもだった。根っこ部分に連なるそれらに正吾を始めとした子どもたちは興味津々で、蒸篭で蒸して山羊バターを乗せただけでその目を期待にキラキラさせていた。野菜嫌いな子どもでもジャガイモは食べられるという子は多い、故に彼らも大丈夫だろうと思って振舞った結果。


「~~~!!おいひい!!初めての味なのに、すっごくすっごく美味しい!!」


 大盛況、子どもたちは共に笑い合い喜び合ってくれた。今まで肉の味しか知らなかった彼らにとってじゃがいもの味は未知との遭遇だったに違いない。肉とは違う淡泊で優しい味は彼らの心を鷲掴んだようだ。


「そら、匂いを嗅ぎつけた大人たちも来たぞ」

「おやつにじゃがバターか。まぁ悪くない」


 いもを蒸かしていた時から魔法でその匂いを村へ送っていた焔は林の奥からこちらを凝視している若者たちを見つけてしてやったりと言いたげな目をして笑っていた。そうして集まってきた村人全員にじゃがバターを振舞えば、彼らは皆一様に明るい笑みを浮かべて喜んでくれた。そして野菜の魅力と偉大さにも気づいてくれて、農作業に大人たちも手伝ってくれるようになった。


「水田、とな?」

「あぁ、そこで米を作りたいんだ。肉とはまた違う主食になるはず・・・水が不可欠でな、川の近くに作りたい」


 村人たちが協力的になってくれたおかげで水田作りに取り組めるようになった。稲だけは高天の円丘ものなので時間がかかるも上手く実れば村人全員が茶碗一杯のご飯を食べても有り余る量は採れるはず。村長は快く了承してくれて、稲とトウキビを作るための水田を整備した。


「野菜ってすごいんだなぁ、俺もう一生野菜だけ食べていたいくらいだ」

「それを野菜が嫌いな子どもに言ってほしいくらいだ」


 月日が流れるのはあっという間、気が付けば村に来て半年近くの月日が経っていた。この地方は一年を通しての四季の変動が小さく、様々な種類の野菜を同時進行で育てることができた。村のあちこちに広がる畑の数々に正吾はからころと嬉しそうに笑ってて、そんな少年の無邪気な姿に焔もつられて笑みをこぼす。


「もうすぐ小麦が取れる。そうしたらパンを作ってやるぞ」

「ぱんってどんな食べ物なの?」

「とてもやわらかい、歯がなくても食べられる」

「じゃあ焔火ほのかも食べられるな!」


 嬉しそうに微笑む少年の背中、おんぶ紐に括られているのは小さな小さな女の赤ん坊だ。彼の妹、つい数日前に生まれたばかりの彼女の名は焔火(ほのか)という。東水から、己の名を使わせてほしいと懇願されたときは少しばかり気が引けたものだ。すると今度は村長の娘が、ならば自分の息子には玄の名を使わせてほしいと言いだして。どこかくすぐったいような気もしたが、そこまで言うならと了承した。


「さすがに赤ん坊にはな。もう少し大きくなったら・・・お前が作ったものを食べさせてやるといい」


 その方が喜ぶだろう。そう告げて頭を撫でたら少年ははにかむような笑顔を浮かべていて、その顔は彼の父親にそっくりだった。焔火の顔だちは母親似だから彼女も美人に育つだろう。血のつながりなどないのに、己の名を使ってくれたこともあってか自身の子のように愛おしい。もちろん正吾も、彼は本当に素直で頭も良く、師匠と慕う己の言うことをどんどん吸収していくのだ。しかも発想力が豊かで、彼の発案から・・・この国にはない画期的な魔導機も生まれた。


「・・・!玄兄ちゃんが帰ってきた!」


 独特の駆動音、それに気づいた正吾が顔を上げ、同じ先に視線を向ければ彼の姿が見えた。白銀の機体、タイヤのないバイクのような形状のそれに跨った彼は器用に宙返りをしてこちらの目の前に着陸する。ゴーグルを外した彼は爽やかな笑みを浮かべて親指を突き立てていた。


「いい感じだぞ。スピードも出るし長い距離も飛行可能だ。落下した時の緊急浮遊術式も問題なかった」

「やったな正吾、お前の成果だ」


 飛空艇の魔導機、神の国では割と当たり前に存在する乗り物ではあるがこの国での乗り物は馬車や水船くらい。しかしこれはマナと地脈の力を利用して空を飛行できる。魔力を持たない獣人族では神の国と同じものは作れなかった、しかし正吾の発想が不可能と思われた飛空艇を完成させたのだ。


「造ったのは師匠じゃんか、俺は何も・・・」

「お前の言葉がなければそもそも造ろうとさえ思わなかった。今は一人乗りくらいしか造れんが、そのうち数人乗りや運搬用も造れるだろう。想像は無限大だ、人の想像できることは創造できる・・・お前にはその才能がある」

「願うことは悪いことじゃないさ。お前が望むなら俺たちはその力と手段を貸してあげられる・・描いてみせろ正吾、お前の望む世界を俺たちにも見せてくれ」


 彼には才能がある。ただそれを行使できる力を持たないだけだ。けれど己らならば貸してやれる、彼ならその力を正しく使えるだろう。まっすぐで純粋な魂の子どもだった、そんな彼を息子に持っている東水たちが心底羨ましいとさえ思う。応援したい、支えたいと思ったのは神の眷属としての寵愛精神からかもしれない。己らの言葉に正吾は驚いたように目を見開いて、そして力強く頷いてくれた。その顔も魂もまったくの別人だというのに・・・彼はある人物によく似ている。かつて己らを救いあげてくれた希望の英雄に。


「随分長く飛べてなぁ、おかげでたまたま見つけた盗賊のアジトをつぶすこともできた」

「まったく・・・あいつらはどこにでも巣を作るな」


 この半年で玄が潰したアジトは両手の数をすでに超えている。今後の禍根の芽をつぶすためにそれこそ国中を巡ってはアジトを潰し、そのたびに村人を救ってきた。おかげで彼は翠森ではかなりの有名人で。《黒の牙》などと呼ばれているらしい。しかし彼は自身の名や出身を一切明かしていないから、彼がどう思われているのかはさっぱりわからない。


「そろそろ親玉が出てきても可笑しくないんだが・・・ここまでアジトを潰されても何も動きがないとは」

「存外、お前がつぶしたアジトの中に親玉がいたかもしれんぞ」

「それだったらいいんだが・・・」


 心配性な彼はどこか不安そうな眼差しで遠くを見つめている。盗賊たちはすでに金砂や蒼海にも勢力を伸ばしている、しかしその二つの国はベクトルは違えど戦闘に長けた軍団が備わっているようで、その被害はここより少ないだろうとのとことだ。それでも盗賊たちの方が強く、おかげでここ十年は二国との貿易は途絶えている。この国には長く住むつもりだった、故に不穏因子は徹底的に排除しようと考えている。とりあえず村の環境はそれなりに整った、しかしまだ問題は残っている。


「衣食住の食はまぁいいとして・・・衣と住居の改善だな」


 彼らはとことん狩猟技術にしか発展していないというのをこの半年でしみじみと味わった。まず衣、彼らの衣服はほぼすべてが蒼海から輸入されたものでその素材は麻か綿、これらはかの国に広がる巨樹の森で採取したものを糸に加工して他二国に輸出している。しかしはっきり言って品質は悪い。糸自体の凹凸が多く、布の網目もばらつきが目立ちかなり着心地は悪い。彼らは着慣れているから気にならないのだろうが己らは痒くて仕方がない。

 さらに住、雨風を凌ぐだけの設備はある。しかしそれ以外は劣悪だ、電気もなければ水道もない。百歩譲ってそれはいいとしても・・・風呂場がないのはかなり痛い。暖かい風呂というのは心身ともに癒されるもの、しかしこの国で体を清めるというのは水浴びが一般的。水を沸かすなんていうのは肉を煮るという行為でしか思いつかないらしい。三獣連合全体で四季の変化は小さく雪が降るのは高い山だけ。人が住む低地では風呂で体を温めなくても十分過ごせる気温なのだ。

 しかし、だ。己らは元々人であったが故に・・・もっと良い服が着たいし風呂にも入りたいのだ。この欲求だけは無視することはできない。


「こいつの試運転の時に、お前が探していたものの代用品になる奴を見つけた。しかもかなりでかい」

「なら十全、捕獲できるか?」

「問題ない、アルなら運搬もできるだろう」


 ならば早速とお願いしたら彼は指笛を鳴らしながら歩き出した。暫くして騎獣に跨って村を出ていく彼を見送り、そうして焔は住の改善の第一段階を果たすべく踵を返す。向かう先は村の裏山、これは予測だがこの山ならきっと掘ればあるものが出てくる。山の形や村の位置関係から鑑みれば九割がた間違いない。


「どこ行くの?俺も着いてく!」

「来ると良い、一番風呂にありつけるかもしれんぞ」


 いちばんぶろだ!言葉の意味も分からないだろうにそうして笑う正吾は楽しそうだった。うまくいけば一か月以内に衣食住はすべて揃うだろう。その頃には・・・この村の変化が外にも伝わるはずだ。肉に代わる食文化はいずれこの国全体に広まっていくだろう。文明開化はもう間近、その瞬間が楽しみだとついほくそ笑んだ。






 ~~~~~~~~~~





 獣人族には料理という習慣がない。彼らにとって食事とは生命の糧を得る行為であって娯楽や楽しみにはならないのだ。しかし食べ物の美味い不味いというのはきちんと理解しており、甘いや酸っぱいと言った味覚も分かるらしい。と言っても知っている味覚はただ焼くか煮ただけの肉の味か果物の味だけ。必要最低限としか考えていない以上、味を変えようだとか試行錯誤してみようという発想そのものが浮かばない。

 玄が手渡した木の器に入れられた、水を一口含む麗人の顔は途端に驚きに目が見開かれる。同じ男とは思えぬほど可憐な印象を抱かせるこの青年は東水の奥で正吾の母だ。光の加減で赤にも橙にも染まる真朱の髪を緩く首元で束ね、くりりとした大きく丸い瞳は年齢とは裏腹に幼げな雰囲気を醸している。滑らかな白い肌はこの田舎村では際立つような気品があり、その一挙一動にも他とは違う育ちの良さがある。


「・・・・・・これは、海水ですか?」

「水に岩塩を混ぜただけだ。で、どんな気分だ?」


 阿尋は再び水を口に含み、あまり美味しくないと首を振る。濃度で言えば海水もよりも濃くしており、常人が飲めば塩辛いと感じるような味だ。ならば海水濃度の半分、あまり塩味を感じない量を混ぜた水を飲ませてみると彼はそれでも塩味を感じ、しかし不快感はないと頷いた。

 一般的な人種に見られる味覚の傾向として子どもは鋭敏であり苦味などには強く反する。成長に従って味覚が衰えていわゆる大人の味とも呼ばれる渋味や苦味が逆に美味しいと感じるようになるのだ。

 一方で獣人は料理の習慣がないので調味料という概念すらない。良くも悪くも素材そのままの味しか知らない彼らの味覚は大人であっても鋭敏で、故に控えめな味付けでも強く味を感じてしまう。


「極端に薄味派というわけではないようだな」

「どこぞの種族は素材の味をなんて言うからなぁ、あれはあれで美味いが・・・やはり味が欲しいものだ」


 どこか懐かしそうに呟いた玄は火から鍋を上げて中身のだし汁を木の器に移す。煮ていたのは干し昆布で、この国に来る前に備蓄として手に入れたそれを煮だし、和風料理の基本ともいうべきだし汁が完成する。


「・・・!とても飲みやすい!塩味がしつこくないし、お腹が暖かくなるような感じがします」

「だしはそのままでもいけるのか。じゃあ次はこれに少し醤油を足して・・・」

「兄ちゃん俺も!俺も飲みたい!」


 飛び跳ねせがむ正吾にも玄は笑いかけて木の器を渡していた。暖かい日差しの差し込む午前の庭先で行っているのは味覚調査の実験だった。じゃがいも革命から野菜の魅力は村人に伝わった、故に次の段階はそれらを料理して生まれる手料理の魅力を伝えること。そのためにはまずは彼らの味覚を知る必要があった。今まで狩った獲物を口へ産地直送同然の行為しかしていない彼らに、何も考えず料理を出しても味の不評を買う恐れもある。どこからどこまでが美味しくて、逆に超えると不味いのかを知るには基本的な味覚の程度を調査する必要があった。なおこの場には若者代表として阿尋ともう一人、子ども枠には正吾と村長の孫である蘭太朗、老年枠には村長夫婦に来てもらっている。


「・・・その、黄色いどろどろしたのは?」

「マヨネーズ。卵から出来ている」

「卵からこんなものができるのか・・・」


 興味深そうに手元をのぞき込む青年に焔は笑いかけ、そうして匙で救いあげたマヨネーズを彼に差し出す。この青年、李淵りえんはかつて結界石の修繕の時に己に矢を向けた青年だった。一見すれば狷介な印象を抱かせる細い瞳は今や好奇心にきらきらと輝いて無邪気なほどにも、すっきりとした目鼻立ちはこれと言った印象強いものはないが口元を片方吊り上げ笑う仕草は成熟した大人の色香と未熟な子どもの無垢を同時に表現するかのようだった。村一の健啖家だという彼は野菜革命が起きた今となっては前以上に良く食べるようになったそうで、ちょくちょくと家に訪れては何かしらを口にしてから帰るのが習慣になっていた。もちろん野菜作りにも積極的で、元来から好奇心が強いのか未知の食材を前にしても訝しむことなく食してくれる。


「ん~・・・生っぽいのは感触のせいか?生の卵の味が分からんからなんとも言えないが・・・なんか酸っぱい感じはする」

「お酢は控えめにしたからな、不味いか?」

「俺は美味いって思うけど、これは人を選ぶかも」


 味が強く出るマヨネーズやソース、ケチャップは加える調味料を控えめにすれば問題はない様子だった。出汁を初めとした素材の味をそのまま引き出している味噌や醤油などは高評価で、高天の円丘系列ということもあるのだろうと思われた。


「とりあえずは和風調味料をベースとした料理を中心にするか」

「香辛料があればもっとレパートリーが増えるが、それはまた追々だな」


 少しばかり残念そうに呟く玄は恐らくカレーが作りたかったのだろう。彼はカレーやラーメンと言った手間がかかる料理にはとことんこだわる男で、そのうち作りたいと言いだすかもしれない。香辛料を手に入れる手段はなくもないが、今は必要な時期ではないと諦めたようだ。


「和風料理を中心に作っていくか。そのうち米もできるし、収穫祝いにそれなりの豪華な食事ができるようにしないとな」

「おそらくこの国で初めて栽培された米になるだろうからなぁ、今まで採った野菜の分も含めて盛大に祝おうか」


 米と同じ時期に小麦もできる、ならばその時はパンも造ってみよう。なんて呟いたら正吾と士郎は未知の食べ物の味に期待してか涎を垂らしそうな勢いで。他の子どもたちの為にも収穫祭は盛大に祝おうと思えた。彼らだけじゃない、己らを受け入れてくれた村人全員の為にも。ここに住みたいと思わせてくれた、彼らのまっすぐな魂に敬意を表して。

 そうして視線を映した先にはかつて更地だったとは思えない広大な畑が広がっていた。恐らくこの三獣連合で初めて芽吹いた野菜が沢山実っている。ここが始まり、ともすればこの国の在り方さえも変わるかもしれない。そんな期待を抱かせた。

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