終の章 《獣の国》1

 それは箱庭の片隅、神にさえ忘れられたーーーその区画を担っていた神が物忘れが激しい男好きの男神だったのが原因であるーーー少し変わった獣人たちが暮らす国で起きた、小さな出会いと革新の物語。







 旅に出ようと言ったのはどちらだったか。しかしお互いに反発もなく、少し散歩に出るかというような気分でその身一つで実家を出た。地図も持たず、行く当てもなく、ただ気分と直感に身を任せて様々な国を渡り歩いた。最初の百年は放浪を、その後は居心地の良い土地を見つけて百年単位の時間を過ごしてまた旅に出るの繰り返し・・・この身は老いることはなく、ともすればよほどのことが無ければ死ぬこともない。だから少しばかりの無理もできて、おかげで人であった時ににはできなかった経験も積めた。

長い長い旅と放浪は独りでは決してできなかっただろう。数千年近くに及ぶこの旅路をこうして乗り越えられたのは、背中に感じるもう一人の存在があってこそ。

 ガタゴトと、鬱蒼と茂る森の中に出来た一方通行の轍の上を走る場所が一つ。木目も色彩もバラバラなパーツで構成されたそれは、しかしアンバランスな色調とは正反対に一つ一つのパーツは機械で清算したかのように均一な形状をしている。道の悪ささえなければ搭乗者に一切の負担を掛けさせないだろうその馬車に乗る影は二つ。

 骨太い四肢を持つ若い男が手綱を握っていた。彫刻芸術のような鍛え上げられた筋肉を纏う腕や足、緩やかな形状の衣装の合わせ襟から覗く胸は膨れた筋肉で壁のような威圧感さえ抱かせる。程よく日に焼けた肌にはしかし歴戦の勇者の風貌とは裏腹に傷一つなく、その顔立ちも決して強面というわけではない。細い眉、高い鼻梁に男らしくエラの張った顔つき、一種岩石のような頑固そうなパーツをもちながら柔和に微笑む口元や凛々とした眼がそれを緩和していた。

 男は馬車の揺れに合わせて首の辺りに擽ったい感覚を時折味わっていた。それは背中に寄りかかったもう一人の髪の感触、かつてはずっと短かったそれは、今は膝に届くのではないかというほど長く伸びている。風に攫われて赤い光を纏うそれは美しく、つい思い浮かぶのは寝台にのそべった時の彼の姿。炎の色を宿したそれが真白のシーツに広がる様は幻想的で、こちらを見据える黄金とのコントラストも相まって高揚すらした。くつりと、漏らした笑みが振動となって彼に伝わったのだろう。背後で彼が動いたのが分かった。


「何を思い出し笑いをしている?」

「いや・・・髪が擽ったいと思って」

「・・・またやらしいことでも考えていたな?」


 嘘は言っていないが、やらしいことを考えていたのも否定はできなかった。真昼日だと言うに嬌艶な質さえ感じさせるテノールボイスが笑うような吐息を漏らし、そのまま彼が向きを変えて胴体に緩く巻きついてくるのは彼の腕。程よい筋肉の付いた腕、女性的な柔らかさもなく、男のそれに比べたら華奢ではあるが世間一般からすれば逞しい腕をしているだろう。肩口の辺りに赤い頭が見えて、首筋にかかる吐息に擽ったさとはまた違う感覚を覚えた。


「一応、俺は運転中なんだが?」

「そうか、なら俺に好きにされるしかないな」


 なんて言って笑う彼の顔が無性に見たい衝動に駆られた。そんなこちらの胸中も知らずに悪戯とばかりに首にキスをして、そうして彼は腕を離すと鼻歌交じりに背中に触れてくる。感触からして髪を弄られている、一房だけ伸ばしているそれをまた三つ編みにしているのかもしれない。実を言うと髪を触られるのはキスをするより好きかもしれない。


「今日は何色のリボンを混ぜてやろうか?」

「赤がいいな。お前の色の」

「いいだろう、ならばあとで俺の髪に黒のリボンを結べ」


 楽し気に笑う彼の声に我慢ができなくて、振り返った先で漸くその顔を見ることができた。自身と同じ老いることのない若々しい男がいる。平原を抜ける風のような優美で鋭い瞳は流麗に、その色彩は輝く黄金を宿す。高い鼻筋は彼の魅力を高めつつ女性的な色香を漂わせていた。薄い唇に微笑を称え、微かに頬に靨を刻む様は見た目にそぐわぬ幼さを微かに滲ませた。そよ風に靡く風は灯の如き色合いを醸しながら、これまで過ごしてきた年月を語るように長く艶やかに。同じ世界に同じ日にその生を受け、かつて残酷な運命に翻弄され、それでも共に生きてくれた愛しい対の者。こうして永遠を得た今となっても側にいてくれる、この世界でたった一人の伴侶。


「前を見ろ、運転中だろう?」

「そうしたらお前の顔が見れない」

「我儘な奴め。もう少し頑張れ」


 そのまま唇を重ねようとして、しかし彼に額を叩かれる。軽くであったけれどかなり残念でならない。おあずけ、なんて笑った彼はそうして三つ編みを再開してしまい苦笑するしかなかった。

 渋々と視線を前に映しても景色に大きな変化はなく。轍だけが残る一本道が森の中に伸びているだけ。植生は今まで見てきた森の中では比較的穏やかで慣れ親しんだ植物が多い、神々が住まうこの世界には魔訶不思議な地域もあるが、この辺りはそうでもないらしい。しかし事前情報を聞く限りではやはりこの地域もかつての世界から見れば普通ではない。


「獣人の国か、どんな場所だろうな?」

「俺たちが知る一般的な獣人ではないとあの方は言っていた。系列で言えば高天たかま円丘えんきゅうの血統らしいが」


 次の居住国と決めたのは獣人の国、その名を《三獣連合》、三つの小国が同盟によって結ばれて一つの国となったらしい。今も小国ごとに国家があり政治もあり法律も定められ、あくまで有事の際の同盟関係ということも中立的な関係をお互いに保っているというのは主神である彼女の言葉。

 獣人の国、しかしこれまで見てきた獣人とはまた違う種族らしい。獣の種類は多種多様、さらに親の性質が子どもにそのまま引き継がれるのではなく遺伝子によってその種別が発現する。たとえば猫と犬の獣人との間に鳥の子どもが生まれることもあり、それは先祖の中に鳥の獣人がいた証。さらに獣と人とで姿をはっきりと変化させることしかできないようで、人の姿に獣耳や尻尾などという状態にはならないとか。

 そこまではまぁいい、しかしさらに驚くべき点は・・・彼らの生殖について。三獣連合は男が多い、種族としての特色らしいが・・・彼の種族は男でも子どもが生めるというのだ。同性同士のカップルも珍しくなく、国によっては禁忌とされる同性愛がこの国では当たり前だそうだ。


「平均寿命は300年、その多くが20代から50代前後の比較的若い姿を保つそうだな」

「男女共に美人ばかりだとか、お前といい勝負になるかもしれん」


 女ばかりの国や、子どものばかりの国も見てきたが男が多く同性愛が認められている国は初めてだった。第二の故郷であった高天の円丘も同性婚はすくない事例で、禁忌とまではいかないがあまり公に周知されていない。かつて暮らしていた時、兄弟たちは気にしないでいてくれたが・・・外に出た時は居心地が悪いと感じた時は何度かあった。彼も自身も男、特に彼は美人で魅力的であるからそれはそれは女性に迫られた。その度にヤキモキして、そうして彼がさも当然のように夫婦だと公言して・・・悪い空気になったことは何度も何度も。


「・・・今度こそ、過ごしやすい場所だといいな」

「・・・そうだな」


 主神も兄弟たちも優しかったし、自分たちの関係を祝福してくれてもいた。それでもやはり、もっと多くの人に認めて欲しいと感じた。堂々と人前で彼を妻だと言える世界が欲しかった、彼を自慢できる場所にいたかった、自分たちの関係が当たり前の居場所が。だから旅に出た。けれどどこに行っても満足できなかった。環境もそうだが、自分たちの肩書が・・・主神の眷族という名前がちらついた。主神は神々の世界では有名人、神でその名を知らぬ者はいないほどに。頼んでもいないもてなしや上辺だけの称賛、憧憬、羨望・・・嫉妬。それらの視線を嫌と思わなくなるほど見てきた。正直疲れたとさえ思ったこともある。それでも旅を続けているのは主神の後押しがあったから。望むままに生きろ、それがたとえ世界の果てだったとしても。この旅は残酷な運命から救い上げてくれた彼女にできる恩返し、そう思って何百年と世界を放浪して・・・三獣連合の存在を知った。


「どんな秘境だろうな?あんな高い山に阻まれていては外交も満足にできんだろうに」

「南端に海がある、が・・・あの辺りは魔海狭だ。神の船でもなければ通れんよ」


 三獣連合は周囲を高い山に囲まれている盆地だ、南端に海があるも魔獣の住まう魔海峡があって広く貿易には向いていない。そのせいか外界との接触はなく、三獣連合の存在さえ知らない者の方が多い。


「せっかく山越えまでしてきたんだ、永住の地であることを祈るばかりだな」

「まずは村か町だ、今日か明日からはちゃんとした寝台で寝たいからな」


 野宿は慣れたものではあるが、やはりふかふかのベッドが恋しくもなる。山越えはかなり厳しかったこともあり、それこそここ一週間は体を伸ばして寝れたことすらなかったのだ。せめて今日のうちに人のいる場所に着いて、願わくば寝台で体を伸ばして眠りたい・・・あわよくば彼と一夜を。なんていう想像を抱いたのは仕方がないと思う。


「・・・またやらしいことを・・・」

「すまん、はっきり言って欲求不満だ」

「人間だったときはお前の方が奥手だったくせに、いつからこんなに俗物に・・・ん?」


 ふと彼の言葉が止まって、その瞬間に微かな違和感を感じた。思わず手綱を引いて馬を止めて、違和感を探るように意識を四方へ張り巡らせる。風の音、木々の葉が揺れる音に混じって・・・自然に反する音が聞こえてくる。何かが枝を払いながら突き進んでいる。それが二つ、これはまるで逃げる者と追いかける者だ。


「・・・逃げているのは獣だな、四足の。小さい奴だ。追っているのは・・・人の子どもか」

「どちらも獣人か?」

「子どもの方は獣人だな。これは追いかけっこというより、狩りをしているようだ」


 子どもが森の中で一人で狩りを、つまり個の近くに集落がある可能性が浮上した。すると彼は馬車の奥から弓を持ち出して、手慣れた動作で矢をつがえて弦を引いている。目視の瞬間に放つつもりらしい、彼の腕であれば打ち間違えることもないだろう。ならばと静観を決めて、そうして二つの影が飛び出してくるだろう林を注視した。


「3、2、1」

「待ちやがれーーー!!!」


 彼のカウントダウンと同時に、二つの小さな影が林から飛び出した。先に出てきたのはキツネだ、そうして数瞬遅れてきたのは男の子。馬の前に飛び出してきた彼らに対し・・・彼の放った矢がキツネの首を正確に射貫いた。


「えっ?」


 驚いたような声を上げた少年は、そうしてこちらの姿を認めるとまたさらに大きく目を見開いた。しかしその視線はこちらではなく、馬車を引く馬の姿にくぎ付けで。その反応にうっかり馬を変化させるのを忘れていたのを思い出した。馬車を引いているのは自身の騎獣、翼を持った四足のドラゴンだったからだ。


「う、わああああ!?魔獣!?ドラゴン!!?」

「ふむ、大和語だな。魔獣も共通認識か」

「悠長に解析している場合か・・・」


 高天の円丘の系列であるから言葉は大丈夫だろうとは思っていた。しかし今はそれより少年の心配をすべきだろう。腰を抜かしてへたり込んでしまった彼は10歳前後の見た目の愛らしい少年だった。くせ毛がちの茶髪と大きく丸い黒い瞳。手足は細く体躯もかなり小さいが、キツネと互角に走れる脚力は獣人故の特異性かもしれない。


「大丈夫、こいつは人に危害は加えないぞ」


 努めて穏やかに声を掛けながら馬車から降りて少年に歩み寄る。そこで彼は漸くこちらの存在に気づいたようで、自身と連れの彼を交互に見つめて不思議そうに首を傾げている。経験則だと、こういった場合は怖がられるか逃げられるかではあるが・・・少年はそんな様子はなく、きょとりと目を瞬かせている。


「兄ちゃんたち、どこの人?」

「外から来た。後ろの山を越えてな」


 背後には雲を突き破らんばかりに聳え立つ山脈がある。超える前は大したことないかと思っていたその山は、しかし登ってみたらとんでもなく険しい山だった。改めてみるとその壮大さに驚かされるばかりである。


「山って・・・外人なのか?」

「まぁ、そういうことだな。俺はげんと言う。後ろは妻のほむらだ」


 さりげなく妻と言ったのは、この国での同性婚の噂の真偽を確かめたかったからだ。今までは苦笑やら嫌悪やらを向けられていたが、少年はと言えば対して気にした様子もなく受け入れている。


夫夫ふふなんだ。綺麗な奥だね!でもあの山を越えるなんて・・・それに、すごく狩りが上手だな!」


 奥、というのはこの国でいうところの妻を意味するのだろうか。からりと笑う少年はそうして羨望の眼差しを焔に向けている。今まで見てきた厭らしいそれとは違う、純粋だからこそ眩い眼差しに彼は擽ったそうに笑みを零していた。


「このキツネは君の獲物だから、このまま持ち帰るといい。君はどこから来たんだ?」

「君じゃなくて、正吾でいいよ!俺の村、水生村から来たんだ!」


 正吾と名乗った少年はそうして轍の遥か向こうを指さした、向こうに見える小山、その麓に彼の住んでいる村があるらしい。そこまで距離はない、これなら30分以内には着くだろう。ならばと玄は改めて少年に向き直る。


「見ての通り旅の者でな、今晩の寝どこを探しているんだ。君の村に宿はあるだろうか?」

「宿はないなぁ・・・あ、村の端っこにお医者様が住んでた空き家ならあるよ」


 半年前に家主は亡くなって、今は誰も住んでいない空き家があるとのことらしい。寝床の候補が出来た、後は村人がよそ者の自身らを受け入れてくれるかどうかだが・・・そういえば、正吾は随分と素直に答えてくれる。普通はよそ者とか見ず知らずの人間を警戒するだろうに。


「・・・よそ者の俺たちが村に入っても、大丈夫か?」

「関係ないよ!だって兄ちゃんたちからは悪い匂いがしないから」


 匂いと、その言葉にふと主神の言葉を思い出す。三獣連合の者は鼻が良く効くと。相手の善悪も、嘘と真実さえも匂い一つで看破する。少年を害する気は一切ない、だからこそ彼はすぐに信用してくれたのだ。


「・・・それは素晴らしいな。ならば今晩は世話になりたい、ただ・・・さすがに手ぶらというのもなぁ」


 旅の都合上、荷物は必要最低限しか持っていない。それこそ金銭は一銭たりともない。こうした小さな村で世話になる時は獲物などを狩ってそれを宿代にしている。今回もそうすべきだろう、そう思って焔を振り返ると徐に矢をつがえる彼の姿を見つけた。


「正吾、一つ聞く。この森で狩ってはならない獣等はいるか?」

「え?・・・ないけど・・・」


 そうかと呟いた彼は、そうして林に向かって矢を放つ。空気を切り裂く音が森の奥へ吸い込まれ、やや遅れて遠くの方から何か大きなものが倒れる音が。ここからではその姿は見えない、しかし焔はその気配と感覚だけで仕留めたようだ。


「イノシシだ、かなりでかいぞ。宿代にはなるだろう」

「探す手間が省けてなによりだ」


 そうして林の奥へ入って言った焔が、引きずってきたイノシシはしかし想像以上に大きかった。自身の背丈を優に超えている、体長は3m近くあるのではないかというほどの大きさだ。その眉間を正確に矢で撃ち抜いている。


「え!?一撃で!?」

「食える奴か?」

「食べれるよ!しかもこんなでかい獲物初めてみた!」


 飛び跳ね笑う少年の反応を見るに、この獲物は十分な宿賃になるだろう。馬車にくくって運ぶのはさすがに不安だったので仕方なく縄で縛って人力で運ぶことにする。縄を肩に背負って引きずり始めれば、正吾はまたしても驚いたように目を見開いている。


「玄兄ちゃん力持ち!!」

「これくらいならどうということもない、正吾は馬車に乗るといい」


 すると焔が少年の首根っこを掴んでそのまま馬車に乗せていた。少年は物珍しそうに馬車を見渡し、引くドラゴンにも目を向けて、最後にきらきらとした眼差しで手綱を引く焔を眺めていた。


「焔兄ちゃんは狩人なのか?俺にも弓を教えてよ!」

「そんな大層なものではない。生きる為に身に就けただけだ。俺も独学でな、学びたければ自分の眼で見て学ぶことだ」


 じゃあ師匠だね!からころ笑う少年に焔は微笑みを向けて、そうして優し気にその頭を撫でていた。まだ自身らが人であった頃など、彼はあまり社交的ではなく自分と仲間以外にあまり関心を抱かない性質だった。それが眷族になってからというもの、特に子ども相手は優しくて穏やかに接している・・・そんな彼の姿を見るたびに穏やかな心地と、申し訳なさを味わっていた。どうあっても己らには子どもは作れない。養子を迎えることはできるけど、それはまだしたくないと言ったのも彼だった。今は二人だけの時間を。己を選んでくれたことがただ嬉しいと感じたのだ。


「水生村はどんなところだ?」

「どんなって、ふつーだよふつー。連合の最西端、あとは金砂との国境が近いってだけかな」

「金砂との国境・・・つまり、水生村は翠森に所属しているのか?」


 そうだと笑う正吾は知りうる限りのことを教えてくれた。三獣連合は北の金砂、西の翠森、そして南東の蒼海からなる連合国。ここ翠森は国土こそ他の二国には劣るものの、自然豊かな森林が国土の大半を覆っており天然資源が豊かだった。都の純陽を中心に大小様々な村が点在し、水生村は翠森の中では最も西に位置した村だとか。


「これだけ自然豊かであれば獲物も多いだろう。あのイノシシも随分でかいからな」

「・・・でも、最近は少ないって父さんたちが言ってた。ここ十年で森で狩れる獲物が少なくなってるって」


 しょんぼりとした様子で正吾が話してくれたのは、最近は狩れる獲物が少なくなっているということだった。全体的に生き物の数が減っている。見かける獣は極端に小さいものや、逆に大きすぎる個体も。元よりこの国に生息する動物は大きく強くなる傾向があるらしく、焔が仕留めたイノシシなどは十年前くらいであれば一般的だったそうだ。


「俺が生まれたばっかの時はそうでもなかったって、でも・・・外からの異邦者が来てから、すっかり変わったんだ」

「異邦者?」

「山を越えてくる外人だよ。でも兄ちゃんたちみたいな優しい人じゃない・・・盗賊なんだ」


 それらが現れだしたのはおよそ十年前、奴らは山を越えて国に侵入し・・・村を襲っては人を攫って行くのだそうだ。獣人族は眉目秀麗で多くが若々しい姿を保つ。しかも男までもが子を孕めるという特異性は中々に興味をそそったのだろう。奴らは村を襲い、人や物を奪い、そして隠れ家で贅沢をしてはまた村を襲っている。最初に被害を受けた翠森からやがて金砂と蒼海にまで被害は広がり、盗賊の襲来で壊滅した村も少なくない。


「なるほどな、村が潰れれば狩りをする人数も減る。狩りをする者がいなければ動物の生態系の均衡にも影響がでる・・・より強い獣が程よい強さの獣を食い、極端に弱い獣ばかりが残る」


 しかしこのまま行けば弱い獣も食い尽くされ、そして強い獣は食い物を求めて村を襲うかもしれない。まだそれを目の当たりにしたわけではないのであまり実感はわかないが、子どもの正吾ですらこの反応では予想以上に深刻なのだろう。

「・・・一昨日、一番近い村が襲われたんだ。若い番は全員連れてかれたって・・・次は水生村かもしれないって、大人たちはみんなぴりぴりしてる」


「そんな時に狩りに出たのか?しかも一人で」

「母さんが身ごもってるんだ!栄養付けなきゃいけないし、でも父さんは他の大人と一緒に村を守んないといけないから・・・」


 これからできるだろう家族の為に少年は危険を承知で狩りに出たそうだ。この様子では誰にも内緒で出てきたのだろう、その気概だけは素晴らしいがやはり親に心配をかけさせるべきではない。


「帰ったら父と母にちゃんと謝れ。彼らにとってはお前も守るべき宝だ、これから生まれてくる弟か妹を独りにしてはならない」

「・・・・・・うん、わかった・・・あれ・・・?」


 ふと正吾が何かに気づいて空に目を向けた。目指している山の麓、その辺りから・・・黒い煙が上がっている。風に乗って微かに香るのは木の焼ける匂いしかないが獣人族の少年はさらに別の匂いを感じ取ったのか、その顔がみるみる青褪めていく。


「ち・・・血の匂い・・・そんな、こんな昼間に・・・!!」

「玄」

「あぁ!」


 名を呼ばれて騎獣に跨ったのと焔が手綱を叩いたのは同時だった。一気に加速した馬車から振り落とさないようにと彼は少年を抱きかかえている。あの煙の上がり方は自然ではない。それに血の匂いがしたというならば確実に襲われている。獣なら昼間はあり得ない。考えられるとするなら人為的によるもの・・・盗賊の襲来だ。


「村に戦える大人はどれくらいいる?」

「か、狩人は30人くらい!でも・・・盗賊の中には魔法使いがいるみたいだって・・・」

「ソーサラーか。それでは敵うまいよ」


 獣人族はほとんど魔法が使えない。せいぜい簡単な低位のそれくらいだけだと主神が言っていた。まして辺境の村人が魔法を使えるはずもない。魔法に対抗できるのは同じ魔法かそれを上回る武力、それか神の力だけ。


「昼間か、考えられる可能性は?」

「人さらいをするなら夜の方が都合がいい。

それでもあえて昼を狙ったのは・・・村そのものが目当てかもな」


 夜は奇襲がしやすいが、夜闇にまぎれて逃亡される可能性がある。昼間は目立つが・・・相手を確実に殲滅できる可能性が上がる。盗賊の中には魔法使いがおり戦力的に圧倒的有利がある、つまり奴らの目的は村をまるごと手に入れることかもしれない。

 そうして視線の先、道の終点に村の入り口らしき門が見えてきた。木で組まれた大門はしかし無惨にも破壊されていて、すでに盗賊による蹂躙が始まっている様子。感覚を研ぎ澄まして感じるのは焼けこげる匂いと血の香り、人々の怒号と叫び、嘲笑う声は盗賊たちのもの。悍ましく、忌まわしい声。しかし幸いにも、死者はいない。


「作戦は?」

「正面突破」

「心得た!」

「えぇえ!!?」


 からりと笑う焔の言葉に笑って返せば、背後で少年のドン引いたような叫びが聞こえてきた。我らが主神、彼女は派手な戦を好む神だ。王道を突き進む、常に誰かの光であれと彼女は願う。正道だからこそ険しい道を、しかし共に歩みたいと切に願った。盗賊に慈悲は無用、全身全霊を以て打ち滅ぼすのみ。悪道相手に小細工などいらない、正面突破で完膚なきまでに叩き潰すだけだ。


「アルジェント!突っ込め!」

頼もしい騎獣は雄たけびを上げてさらに加速する。左右に広がる銀の翼から青い稲妻が迸り、雷撃音を伴って門へ一直線に飛び込んだ。

 正面広場と思われる開けた場所、盗賊と思われる出で立ちの男たちがおよそ30、村人たちの多くが端へ集められ・・・ひと際大きな体躯をした大男が青年をつるし上げている姿を視認した。


「母さんッ!!」

「死ね、木偶が」


 底冷えするような声が焔から紡がれて顔の真横を彼の放った矢が突き抜ける。広場からわくどよめきと、大男がこちらに振り返ったのはほぼ同時・・・トカゲの頭をした大男の左目に焔の矢が突き刺さった。


「ぎやぁあああ!!?」


 絶叫、それは耳を塞ぎたくなるような大声だった。訳が分からくなっている大男は咄嗟に両手で目を覆い、その反動で捉えていた青年を落としている。へたり込んだ彼は蹲るように身を縮こませ必死にお腹を庇おうとしているのがわかる。あれは身重の証、そんな相手にあれは無体を働いたのだ。


「この・・・畜生がッ!!」


 腹の奥から怒りが沸いて、衝動のままにアルジェントの背中から飛び出して暴れるトカゲ男に体当たりをかました。硬い鱗の感触はしかし一瞬で、二回りも大きいそいつはあっさりと飛ばされて焼けこげた家屋に突っ込んでいった。煙を上げる家屋の残骸がその上から降りかかり肉の焼け焦げる音と一緒に不快な叫びが木霊する。あの体当たりで奴の腕は両方折れたはず、あれではもはや自力では出てこれないだろう。放っておけば焼死するのでもう無視だ。


「母さん!大丈夫!?」

「・・・正吾・・・?」


 正吾は蹲る青年に、自身の母に駆け寄ってそっと肩を抱いている。顔を上げた青年は顔色が悪く、心身ともに相当な負担がかかっていたはずだ。彼とお腹の子の安否を早急に確認する為にもまずは残りの外道を。


「・・・終わってたか」

「面倒だから全員眠らせた」


 意気込んで振り返った先で憮然と言い放つ焔と、ばたばたと倒れ伏す盗賊たちを目撃した。ソーサラーがいると聞いていたが、やはり焔相手ではそれも無意味だったのだろう。全員あっさり夢の中、彼のことだから悪夢をみせる魔法を使ったかもしれないが。


阿尋あひろ・・・ッ!!」


 盗賊が全員倒れて村人たちの間に安堵の空気が流れだしたその時だった。隅に追いやられていた村人たちの中から飛び出してくる青年が一人。肩に酷い怪我を負っていてもなお必死な様子で正吾たちに駆け寄るその男に向かって、正吾は父と名を呼んでいた。


東水とうすい・・・早く怪我を、」

「俺はいい!!お前は!?お腹の子は・・・!!」


 今なお血が流れる肩の傷はかなり深いように見える。それでも東水と呼ばれた青年は妻と腹の子が優先だと言わんばかりに必死な形相だ。そんな彼らに向かって歩み寄ったのは焔で、彼の存在に気づいた阿尋が顔を上げたのと同時に焔は右手で青年の額に触れる。


「貴公は・・・?」

「動くな、診るだけだ」


 焔の右手が淡い光を帯びて、阿尋たちは驚いたように身を固くしている。瞬時に剣呑な色を帯びた東水を正吾が留めてくれて、暫くして焔はその手で今度は阿尋のお腹に触れている。


「・・・母体胎児ともに異常なしだ。ただしこの後は安静にした方がいい・・・良かったな正吾、可愛い妹ができるぞ」


 ふわりと笑って正吾の頭を撫でた焔の、その言葉に少年はみるみる目を見開いていく。驚きと喜色、感動をないまぜにした彼はそのまま母に抱き着いて泣きじゃくっていた。


「怪我人は前に、重傷者には誰か手を貸してやれ。動ける者はこの屑どもをどこかに閉じ込めてくれ。蹴とばしても起きないから乱雑に扱って構わんぞ」


 パンと、彼が一つ手を打てばそれだけで覚醒したらしい村人たちが動き出す。彼は人を引き付ける、故に初対面であってもこうして反感もなく動いてくれる。そうして焔はまず手始めとばかりに驚き呆けている東水に手を伸ばした。


「お前は重傷だ。肩の血管が切れている・・・これは縫わないとダメだな」

「・・・妻を診てくれて、感謝する」

「信じてくれたのならそれでいい。正吾、手伝ってくれ」


 呼ばれて少年は涙を拭いながら頷いて、ならば自分もと言って阿尋も立ち上がる。焔は一瞬躊躇うような視線を向けていたものの、家族が共にいる方が安静だろうと判断したのか何も告げずに好きにさせていた。


「俺も手当できるから、重傷者は優先的に・・・あと、村の代表者はいるだろうか?」


 周囲を見渡しながら声を掛ければ人垣の中から出てくる影が二つ。小さな少年を抱きかかえた男だった。年のころは40代半ば、魂の気配から見るにこの村の中で最も年長だと思われる。彼の抱える少年の腕は大きく切り裂かれていて、応急手当の包帯が巻いてあるだけだ。そうして男は目の前にまでくるとその場で膝を着き、そうして地面に額を付ける勢いで頭を下げてくる。さすがに焦って止めたが。


「顔を上げてくれ。その少年は?」

「・・・私の、孫です。僭越ながら、私は水生村の村長を任されております。旅の方、我が村を救っていただき・・・なんとお礼を申し上げれば良いか・・・」

「話は後だ。まずは怪我人の手当をさせてほしい」


 芭蕉と名乗った村長の孫の怪我はそこまで深いものではなかった。それでも相当痛いはずで、正吾よりも小さい少年はしかし泣くまいとしてか必死に歯を食いしばっている。


「・・・よく頑張ったな、えらいぞ」


 少年の頭を撫でて、そうして馬車から常備している傷薬を持ち出して手当を開始した。横目で周囲の様子を見れば村人たちは焔の指示通りに動いてくれていて、怪我のない村人の何人かは同じく手当にあたってくれた。盗賊たちは近くの納屋に押し込まれることになったらしい。焔が魔法を解かない限りは決して目覚めない、ちなみにあのトカゲ男は焼死していた。


「・・・いたく、なくなった・・・」

「俺の妻が作った薬は良く効くぞ。そら、頑張ったご褒美だ」


 手当を終わって晴れやかな笑みを浮かべる少年に飴玉を差し出した。蜂蜜で作られたそれは自家製の菓子だ。子どもを安心させるには丁度いいだろう。少年ははてと首を傾げていて、彼を抱えている芭蕉も困惑した顔をしている。


「飴玉だぞ?」

「あめだま・・・?」

「・・・知らないのか?」


 こくりと頷く少年と同じように芭蕉も知らないと首を横に振る。辺境の村で菓子といった嗜好品は珍しいものであり、それそのものを知らないということもままある。これは実演すればいいだろう、ならばとそれをそのまま口に放り込む。


「舐めるものだ。とても甘い」


 そうして新しい飴玉を差し出せば少年はゆっくりとそれを手に取って舌を出す。恐る恐ると言った調子であったものの、味が分かった途端に表情を晴れやかにして口に入れていた。蜂蜜だといって笑う少年の様子に村長は穏やかな笑みを浮かべている。


「玄、それほど怪我人は多くない。お前は・・・残りの盗賊どもを始末してきてくれ」

「残りって・・・?」

「奴らがまっびるまにここを襲ったのは新しい拠点にするためだろうよ。こいつらは先兵に過ぎん、本体は隠れ家にいるだろう。知らせが帰ってこないとなればここへ襲撃に来るのも時間の問題だ」


 神妙な面持ちで語る焔の指摘に村人たちはざわめいている。30人相手でも歯が立たなかったというのにその上さらに盗賊がいて、それが一気に襲ってきたとなれば手も足も出ないだろう。ならば今のうちに盗賊のアジトを強襲して殲滅するというのは最良の一手だ。


「分かった。こいつらの足跡を追えば恐らく辿り着けるだろうからな」

「ほ、本気ですか!?」

「大真面目だ。それに一昨日襲撃を受けた別の村人もいるかもしれん・・・助かる命がそこにいるなら、それだけで行く理由になる」


 アルジェントを馬車から外し、その手綱を手に取って背中に跨った。困惑と驚きと、けれどかすかに期待を滲ませた人々に混ざりまっすぐと己を見据える焔がいる。彼は信じてくれている、自身の勝利と成功を。ならば答えてみせようか、彼が側にいる限り敗北は絶対にあり得ないのだから。


「お前は強い、だから勝て」

「あぁ、お前が信じてくれるなら・・・俺は絶対に負けない」


 手綱を引けば騎獣は前足を上げて雄たけびを上げる。広がる翼に稲妻を纏わせて、電撃音を轟かせて飛び出した。意識を研ぎ澄ませて“視える”のは森に残された盗賊どもの足跡だ。隠す気がまるでない、奴らはよほど自信があったのだろう。確かに彼らにとって自身と焔の存在は予測しえない誤算だったのだ。おかげでこちらとしては簡単に事が済む。


「・・・人様を襲い贅沢をした代償は高くつくぞ」


 ぐんぐんと速度を上げるアルジェントのおかげで思ったよりも早く着いた。奴らのアジトと思われる場所、視線の先に鬱蒼とした森を抜けた先にある小高い丘。かつては監視拠点として使われていたのか木で組まれた柵や崩れかけの石垣、物見櫓は修繕した痕跡が見えた。

相手は何人か、捕虜の数や場所、盗賊たちの力量・・・色々と考察してはみたが、最後に浮かぶのは穏やかに笑う焔の顔。彼はこんな時なんというか、それは自身が一番よく分かっている。


「ーーー正面突破、だろう?」


 来いと念じればその手に慣れた重みを感じた。数千年の時を共に過ごし、数々の戦場を勝ち抜かせてくれた大剣。武威の象徴、これは武器であり自身の名でもある。かつてこの剣を授けてくれた神は言った、守りたいと願った者の為だけにこの力を振るえと。それが例え世界の全てを敵に回すことになったとしても、信念に生きそして勝ち取れと。


「さぁ!戦の始まりだ!!」


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