4-11.心も身体もお前だけ~柊side~


──亜妃から親父の訃報を聞いた。


 俺は北海道へ行くことを決め、オーナーにしばらく仕事を休むと伝えた。


 その晩は亜妃と一旦別れて自宅に帰ったけど、やっぱり行くのを辞めようとは不思議と思わなかった。


 そして翌朝……亜妃と待ち合わせている空港へと、何の迷いもなく、俺は向かっていた──




──北海道に着くと、急いで葬儀場へ向かう。


 10年ぶりに再会した亜妃とお母さん……目の前で抱き合って、泣いていた。


 俺はその二人の様子を見ながら、亜妃が大好きだったお母さんと再び会えたことに、心からほっとしていた。


 棺桶で眠る親父のあまりに穏やかな死顔を見た瞬間……涙が溢れて止まらなくなった。


 俺はただただ、声を抑えながらずっと泣いていた。


 ママと俺を捨てて出て行った親父……。


 こいつのせいで、この10年の俺の生活は散々だった。俺はこんな腐った人間になってしまった。ママも変わり果ててしまった。


 そして、大好きな彼女と別れなければいけなくなった。


 考えれば考えるほど親父への文句が浮かぶのに。

 なぜだか心は……親父を恨み切れなかった。


 恨みや憎しみよりも、最愛の女性に最期を看取ってもらえた親父を、心底羨ましく思う自分がいた。


 穏やかに安らかに、まるで微笑んでいるような死顔を見ていたら……

 親父がこの10年、愛する人とどれだけ幸せな日々を過ごしていたのか、痛いくらいに伝わってきた。


 顔を上げると、そこには愛おしそうに親父を見つめる親父の最愛の人がいる。

 その隣には……ホロホロと涙を流す、俺の最愛の人がいる。


 そんな今の状況をどこか不思議に感じながらも……


 この人達といるこの空間が、なんだか懐かしくて、あたたかくて。ずっとこの場にいたいような気持ちになった。



──葬儀後、亜妃のお母さんからこの10年の話を聞いた。


 それでも俺の心は不思議と穏やかだった。


 親父の人生はきっと幸せだっただろうと素直に思えて、亜妃のお母さんに感謝の気持ちすら芽生えた。


 しばらく話を聞いていると……亜妃のお母さんが、俺たちにホテルを用意しておいたと言ってくれた。


 亜妃とは一定の距離を置こうと努力してた俺だったから迷ったけど。お母さんのご厚意を無駄にする事もできない。


 俺は御礼を伝えて、ホテルに泊まることに決めた。



──タクシーを待ってる間、亜妃はお母さんに言った。


「……生きてね」


 二人の会話を聞きながら、やっぱり亜妃はかっこいい女性だと改めて思った。強くて温かくて、優しくてまっすぐな人。


 これまで出逢ったどの女性とも、やっぱり……何もかもが違う……。何をどう頑張っても、亜妃に惹かれる気持ちは、やっぱり変わらなかった。

 

「──行こうか」


 二人の会話が途切れた所で、無意識に身体が動いて亜妃の荷物を手に取ると、俺たちはタクシーに乗り込んだ。




──ホテルまでの道中、俺は北海道の風景をぼーっと眺めていた。


 隣にいる最愛の女性が放つ唯一無二の心地良い空気感を、ぼんやりと感じながら。


 少しでも会話をしたら自分の気持ちを抑え切れなくなる気がして、ただただ俺はずっと外を眺めていた。


 今、こんなに近くに亜妃がいる……。

 亜妃と今夜一緒に過ごせるんだ……。


 考えないようにいくら封じ込めようとしても、昂ってくる感情があった。


 けれども俺は明日から現実に帰らなければいけない。俺がこの10年間腐り切った生活をしてきたことは、変えようのない事実なのだから。


 俺のような荒んだ人間が、純粋な亜妃と関わってはいけない。


 亜妃を汚したくない。

 綺麗な彼女を守りたい。


 もう、あの頃のまっすぐな俺ではなくなってしまったんだ……。


 今夜を越えたら俺はまた煌びやかな夜の街へ帰る。

 そして亜妃の幸せを願いながら……俺は独り、孤独な人生を歩んでいくんだ。


 そう自分に強く言い聞かせ、俺はホテルへ向かった。


「もし次会えたら、素直になんな?」


 いつか真知子さんに言われたその言葉が、ふと浮かんできたけど……


 今の俺には亜妃の手を掴む資格などないと……


 そう思っていた──



──部屋はシンプルなツインルームだった。


 俺は亜妃に促され、先にシャワーを浴びた。シャワーを浴びている最中も、同じ部屋に亜妃がいるという事実を、未だ信じられずにいた。


 やっと会えた…

 ずっとずっと会いたかった…

 もっと話がしたい。

 もっとちゃんと目を見たい。

 触れたい…

 抱き締めたい…


 どんどん自分の中から湧き上がってくる熱い感情を、俺はシャワーと共に洗い流していた。



──部屋に戻ると、交代で亜妃がシャワーを浴びに行った。


 俺はベッドに腰掛けて、またぼーっと窓の外の夜景を眺めていた。

 明日からまた俺は名古屋のあの街で、毎晩浴びるように酒を飲み、何も感じないまま女を抱く日々を送って生きてくんだな……。


 底知れぬ虚無感が襲ってくる。


 もう、亜妃と会うのも今日で最後か。

 いや、最後にしなくちゃいけない……。

 

 そんなことを考えていると……彼女が戻ってきた。


 すると彼女は迷いなく俺の隣に座り、横からそっと……俺を抱き締めてくれた。


 耳元で感じる大好きな人の声、視線…

 ぎゅっと抱き着いた身体のフィット感…


 振り払わなくてはいけないと分かっていながらも、

俺は振り払うことが出来ずにいた。


 すると、亜妃が気持ちをぶつけてくれた。


 その言葉を聞いているうちに、さっき俺の中で固めた決意が、グラグラと……揺らいでいった……。


 亜妃を汚したくないという気持ちと……

 今すぐ触れたい気持ちが、ぶつかり合い、ひしめき合って……


 俺は独り心の中で葛藤を繰り返していた。



「守ってるよ、わたし」


「“俺がお前の最初で最後の男な”って。

 あの約束……まだちゃんと守ってるよ?」


──その言葉を聞いた瞬間……


 俺の中に張り巡らせていた決意の壁がハラハラと崩れ落ち、一気に涙が溢れてきた。


 亜妃は俺の左手の小指にそっと指を絡めると、


「抱いて……柊」


 まっすぐに俺を見つめ、そう言ってくれた。


 俺は夢中で亜妃を抱いた。


 彼女に触れると……この10年間の自分の身体が嘘のように、俺の身体はあっという間に反応を示した。


 亜妃とキスをして舌を絡め、彼女の胸やお腹や太腿に手を這わせるだけで……それは痛いぐらいに立ち上がってきた。


 身体は異常に興奮しているのに、なぜだか涙が止まらなかった。最中も、とめどなく涙が溢れてきた。


 仕事の延長でコンドームを常に持ち歩いていた俺は、亜妃と繋がる直前、カバンから取り出して付けた。一瞬……自分の仕事を思い出し、胸の中に黒い渦が現れたけど……。


 10年ぶりだと言ってくれた亜妃を気遣っているうちに、その黒い渦は消えていった。


 俺は彼女の中に、心と身体を解放していった。


 これまで他の女に肌を触られる度に、寒気がするような不快感を感じていたけれど……、亜妃の透明な白い肌は、俺の手に、脚に、唇に……心地良く吸い付いてくる。


 この肌に触れたかった。

 ずっとずっと、この肌を求めていたんだ。


 それでも尚、汚れた自分が彼女と関わることに躊躇いを感じていると………亜妃は、そばにいさせてと言ってくれた。


 やっぱり……亜妃じゃないとダメだ。

 俺はこのとき強く感じていた──




──翌日は、亜妃と北海道を観光した。


 前日に中途半端にしてしまったのが嫌で、俺は移動中に北海道の定番告白スポットを調べ、夜そこへ亜妃と向かった。


 最初は、もう一度付き合ってほしいと伝えたけど。


『俺は死ぬまで一生、亜妃以外は有り得ない』


 そんな想いが湧き上がってきて……

 北海道の夜景を前に、亜妃にプロポーズをした。

 彼女を一生守ると、この胸に誓った。


 親父が最愛の女性に見守られながら旅立った……

 この、北海道の地で──

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