4-8.10年越しの愛


──お母さんが用意してくれたホテルは、ベッドが2つ置かれただけのシンプルな部屋だった。


 窓の外には札幌の都会的な夜景が広がり、ここは東京なのではないかと一瞬錯覚する。


「お線香臭いね……シャワー浴びる?」

「……おう」


 柊がシャワールームへ入っていくのを確認して、私は自分のキャリーケースを広げた。元々どこかで一泊する予定で持ってきていた部屋着を取り出す。



……私は、さっきまでの柊を思い出していた。


 柊のパパの顔を見た時、止めどなく溢れてきていたあの涙も…


 お母さんの話を聞いている時の、あの優しい横顔も…


 移動中の仕草、言葉、表情、そのどれを取ってみても……柊は昔と何ひとつ変わっていなかった。


 どんなに派手な見た目をしていても、中身はやっぱりあの頃のまま、優しくて温かい柊だった。


 けれども、再会したあの夜もそうだったように。


 この地へ来るまでも、着いてからも、柊が私と一定の距離を取ろうとしていることに、私はずっと気が付いていた。


 タクシーでこのホテルに向かってくる間も、柊はぼーっと窓の外を眺めていて、私が話しかけて来ないよう、バリアを張っているように感じた。


 きっと今日が終わったら、明日からは名古屋と東京にそれぞれ帰り、柊はもう二度と私に会わないつもりなんだろう。


 そんなの絶対嫌だと、私は覚悟を決める。



──柊が戻って来てすぐ、交代で私もシャワーを浴びた。


 支度を終えてシャワールームから出ると……


 柊は窓側のベッドの端に腰掛けて、膝に肘をついた姿勢で、ぼーっとまた外の夜景を眺めていた。


 私は柊の隣に座り、横からそっと彼を抱きしめた。


「柊……?」

「……触んなよ」


 そうやって突き放すような言葉を言いながらも、私の腕を払う素振りは見せない。



「ずっと一人で頑張ってきたんだね。私なんかの何倍も……苦しかったよね……柊」


 横からギュッと更にきつく抱き締める。


「でも……もう大丈夫だよ?

 柊には私がいる。私がぜんぶ受け止めるから」


 彼の顔を横から覗き込み、まだ少し濡れている金髪に……指先で触れた。


 しばらく柊は黙っていた。


 窓の外の夜景を、無気力に眺めていた。



──ゆっくり口を開くと、


「でも俺……亜妃のこと汚したくない……」


 震える声でそう言って、私の方に身体を向け……静かに視線を合わせる。


「こんなに亜妃は…10年経っても綺麗なままなのに」


 今にも壊れてしまうんじゃないかと思うくらい……柊は儚い顔で私を見つめていた。


「俺みたいな汚いやつと関わんな。お前はずっと……そのままでいてくれよ……」


 柊は諦めたように私の腕をそっと引き剥がし、再び目線を窓の外へと向ける。



「──柊?こっち向いて」


 私は強い口調で言う。


 柊は少し躊躇う様子を見せながらも……ゆっくりと私の方を向き、目を合わせる。


「汚していいよ?柊にならどんなに汚されたっていい。だからもう、独りで過去を背負わないで……?」


 戸惑う柊の瞳を、私はまっすぐに見つめた。



「守ってるよ、わたし」

「……え…?」

「“俺がお前の最初で最後の男な”って。

 あの約束……まだちゃんと守ってるよ?」



 私の言葉に驚いた顔をした柊。



───その直後……


 柊の目にぶわっと涙が溜まり、そのまま一気にポロポロと零れ落ちた。



「………亜妃…っ……」


 涙声で私の名前を呼ぶと……ぐっと腕を引き、私を抱き寄せて。


 ぎゅうっと強く私を抱き締める。

 懐かしい太い腕、分厚い胸板、柊の匂い。


 身体を離すと……

 次から次へと溢れる涙はそのままに……


 柊は何度もやさしくキスをしてくれた──

 けれども、しばらくキスを繰り返すもそこから次に進む気配はなくて。柊の躊躇いを感じた。


 “亜妃のこと汚したくない”


 その気持ちが彼を躊躇させていると分かった。


 私は柊の柔らかい唇をそっと舐めて、口を開くよう促すと、遠慮がちに口を開けた隙にそっと舌を差し込んだ。


 10年ぶりの最愛の人とのキスは……涙のしょっぱい味がした。


 久しぶりの感触に酔いしれていると、柊が静かに唇を離し、やさしい目で私を見てくれた。


 涙でグチャグチャに濡れた柊の両頬を、私は両手でそっと拭う。


 彼の左手の小指にやさしく自分の指を絡めると、その揺れる瞳をしっかりと見つめ返した。


「抱いて……柊」


 少しでも彼が背負ってきたものを分かち合いたい。

 辛かった過去を忘れさせてあげたい。


 それができるのはこの世に私以外いない。

 そう、強く思った。


 柊は、ふっと柔らかく微笑むと……


「10年ぶりだろ……?」


 私をぎゅっと抱き寄せて、


「………やさしくするから」


 そう耳元で囁いた。


 そして後頭部にそっと手を添えながら、ゆっくりと私をベッドに押し倒した。



──10年ぶりに肌を触れ合う中……


 暗い部屋でも、柊の頬をまた涙が伝ったのが分かった。


「……しゅう?」

「ごめ……っ…、涙止まんねーわ……っ」

「いいよ。大丈夫だから。大丈夫」


 止めどなく溢れる柊の涙。


 この10年……彼が抱えてきた孤独、喪失感、絶望感……。そのすべてを感じ、胸が苦しくてたまらなくなった。


 でも不思議と、私の涙は出てこなかった。


 “私が柊を守る”


 そんな強い覚悟が私の中に生まれていた。


 行為中の柊は昔と同じように、丁寧にやさしく私の身体を解してくれた。


 その一つ一つの動きに、10年前の感覚が瞬く間に蘇って……私は心も身体もじんわりと熱く満たされていった。



「……大丈夫?痛くない?」


 ゆっくりと繋がった瞬間、あまりにも久しぶりな私を気遣ってくれる柊。


「ん……大丈夫…、…っ…」

「よかった……。ぁ……まじでキツくてやばい…、」


 私の上で金髪を揺らしながら、妖艶に顔を歪めている。ときどき止まっては私を見つめて、やさしく微笑んでくれて。


 やっぱり柊は……あの頃と、何一つ変わっていなかった。



「柊……」

「亜妃……」


 二人はお互いの名前を呼び合いながら、ゆるやかに絶頂を迎えた。

 私に覆い被さったまま呼吸を整えている大きな背中に、腕を回す。


 柊は顔を上げ、穏やかな表情で私を見つめると、


「……ずっと……、ずっとずっと会いたかった……」


 声を詰まらせながら、私の頬をゴツゴツした手で、そっと擦ってくれる。


「この肌………」


 溜め息交じりの声で呟く柊。


「やっぱ俺……お前じゃなきゃダメだ」


 柊は安心したような笑顔で、ちゅっとキスしてくれた。


「私もずっとずっと会いたかったよ……」


 今度は私から、柊の唇をそっと奪う。


「大好き」


 10年分の想いを込めて伝えた。


「俺も大好き」


 彼の心に張り巡らされていた──いくつものバリアが……サーっと溶けていくのが、見えた気がした。


 幸せそうな柊の顔。


 私は彼をもう二度と離さないと……そう、胸に強く誓ったのだった──

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