4-7.最愛の人


──お尚香を済ませた後…


 柊のパパの遺体に近づき、お花を添える。


 柊はパパを見た瞬間、何かの糸が切れたかのように泣いていた。

 

 必死で声を抑えながら……ずっとずっと、泣いていた。


 柊のパパのあまりにも穏やかな死顔を見て、私の目からも、無意識に涙がこぼれていた。



──葬儀がすべて終わると、お母さん達がこの10年間暮らしていた家へと向かう。


 北海道の広大な自然の真ん中にある、昔ながらの小さな一軒家だった。そこで二人は小規模な農業を行い、自給自足の生活をして暮らしていたらしい。


「………随分小さい家でしょう?」


 喪服姿のままのお母さんが、お盆に乗せてお茶を運んできた。


「……小さいけど、素敵なところだね」


 私が言うと、お母さんは頬を緩め、儚げに窓の外に目をやる。


「……昨日、お父さんから電話をもらってね。亜妃が柊くんとそっちに行くと思うからって」


 “──行ってきなさい、亜妃”


 そう言ってくれたお父さんの、優しい眼差しを思い出す。手紙に書かれていたお母さんの番号に連絡を入れておいてくれたことを、このとき知った。



「……お父さんから……いろいろ聞きました……」


 お母さんは申し訳なさそうな目をして、私と柊を交互に見る。


 この10年、ずっと二人で懺悔の気持ちを抱えながら過ごしてきたと……ゆっくり、話してくれた。


「本当はね、彼の病気が分かった時に言ったんです。もう雲隠れはやめて連絡しようって……」


 ときどき口を噤む姿に……お母さんの悲痛な胸の内が垣間見える。


「でもあの人……柊に合わせる顔がないからって。すべてをあいつに押し付けて苦労させた。俺が死んでも報告しないでほしいって。死顔を拝んでもらえる権利が……俺にはないと……言い張って……っ…、」


 お母さんは声を詰まらせながら話してくれた。


「でもやっぱり……どうしても……柊くんには最期を……見てあげてほしくて…、」


「彼……本当に柊くんのこと……よく思い出して……話していたから……っ」


 涙をグッと拭うと、お母さんは柊を見て言った。


「お母さんは……今どこに……?」


 私はチラッと柊を見てから、先日ホストクラブで聞いたママの話を……お母さんに伝えた。



「柊くん……っ…、ごめんなさいっ……」


 お母さんは胸を押さえて……畳にポツポツと涙の染みを作りながら、また泣いていた。自分達のしたことの罪の重さを、痛いくらいに感じているのが伝わってきた。



「お母さん………?」


 そう呼びかける柊の声が、あまりにも優しくて。

 私は思わず隣を見る。


 柊はとても穏やかな顔で、泣き続けるお母さんを見ていた。



「もう、謝るのはこれで最後にしてください。親父はきっと幸せだったと思います。亜妃のお母さんの側に……ずっといられたんですから」


 柊のその言葉にお母さんはハッとして……柊のパパの遺影を見る。


 遺影の中でニッコリと笑う柊のパパが、お母さんを見て笑っているみたいに思えて。


 まるで二人だけの世界が……その空間に広がっているように見えた。



 お母さんの目に溜まった涙が、一気に零れ落ちる。


「私も……とっても……幸せでした…っ…、」


 遺影の前にうずくまり泣き崩れるお母さんを見て……

 

 こんなにも、愛してたんだなぁと。

 ここには確かに、深い愛が存在してたんだなぁと。


 私の心の中に、諦めにも似た……何か温かい感情が生まれていた。


 そして、こんな風に最愛の人の最期を看取ることができたお母さんを、羨ましいとすら思っている自分がいた──




──1時間ほど経ったところで、お母さんが『今夜は札幌にホテルを取ってある』と言ってくれた。


 ただ、急なことでツインルーム一室しか取れなかったらしい。


 どうしよう。

 柊はきっと拒否するだろうな……。


 そもそもお母さんは、私と柊が昔付き合っていたことも知らないはず。


 あの一件で別れてしまったことも……もちろん、知らない……はず……。


 私は何も言うことが出来ず、戸惑っていた。



──すると、柊が口を開く。


「……ありがとうございます」


 こうして私たちは、ホテルの同室に泊まることになったのだった──




──家の前の通りに出て、タクシーを待っているとき。


「……本当はね、家に泊めてあげたかったんだけど……ごめんね……」


 そう言って、お母さんがふっと顔を横に背けたその時……


……嫌な直感が、私の全身を駆け巡った。



「ねぇ……お母さん……?」

「ん?」

「……生きてね」

「えっ……」


 お母さんは今夜……柊のパパの後を追おうとしてる。

 そう、私は直感した。


「過去のこと……罪悪感を感じてるのなら……絶対生きて」


 私の直感は……どうやら当たっていたらしい。


 お母さんはまた目を赤くし始めて、涙を堪えるように口をギュッと結ぶと、何度も小さく頷いていた。



「また連絡するね。また会いに来るから」

「亜妃……ありがとう……、ごめんね……ありがとう……」


 私たちのやり取りを静かに聞いていた柊は、私の荷物を手に取ると、



「──行こうか」


 札幌までのタクシーへと二人で乗り込んだ──

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