4-2.変わってないよ


「おっと、ヒカルが逆指名ー?!まじかよー!笑」


 冷やかしの声があちこちから聞こえる。若いホスト君は……


「ヒカルさん……すいません!どうぞ!!」


 大声で謝ると、逃げるように別のテーブルに移動していった。


 仁美さんが気になってチラッと見る。

 他のホストにベタベタ触りながら、楽しそうに会話をしていた。


 ほっとしていると……



「──亜妃ちゃん、こっち。おいで?」


 柊は私と視線を合わせないままそう言って、お客様をもてなすように私の腰にそっと手を添えると……VIPルームへと、案内してくれた。




──部屋の中に入る。


 柊は私をソファーに座らせて、自分は向かいのソファーに腰掛けた。



「なんで……こんなとこいんの?」


 少し怒っているような……そんな口調だったけど。

 昔と変わらず優しい声。胸がギュッと熱くなる。


「柊………」


 私が名前を呼ぶと、切なそうに目を逸らされた。


「たまたま出張で名古屋に来てて……仁美さん、私の職場の先輩でね。有名なホストクラブがあって、お気に入りの男の子がいるから一緒に来てって誘われて……来てみたんだけど……」


 柊の金髪を、チラッと見る。


「まさか柊だったなんてね、びっくりしちゃった。笑」


 声も笑顔も明るく繕って言うと、柊は黙ってしまった。



「………こうゆうとこ……よく来んの?」


 沈黙の後、急にまた少し怒ったように、柊が思いがけないことを聞くから……


「来たことないよ!ほんとに今日が初めて」


 慌てて否定する。


「……そっか」


 そこからまた、長い沈黙───



 この10年間、積もり積もった想い……。


 聞きたいことも話したいことも、山程あるはずなのに……


 あまりにも突然の再会に頭が真っ白になり、なにも言葉が出てこない。


 すると、柊が突然──



「髪……短いのも可愛いな?すげー似合ってるよ」

「……ありがと」


 柊は昔からいつも私の変化にすぐ気付いて、誰より先に褒めてくれていた。


 ふと、目が合う。



「あれから……どうしてた?」


 柊が、話を切り出した──




「えっと……あのまま高校卒業して、メイクの専門学校に行って……今は仁美さんの所でブライダルメイクの仕事してる」


「生活自体は……特に何も変わらず。私がお母さんの代わりに家の事して、それまで通りの生活を変わらずって感じかな?今はお父さんが再婚したから私は一人暮らしだけど」


 私の話を聞いている柊は……これまで見たことのない複雑な表情で、ローテーブルをぼんやり見つめていた。



「……柊は?……どうしてた?」


 恐る恐る、聞いてみる。


「俺は……これ見たらだいたい分かるっしょ?笑」


 柊は寂しそうに笑いながら、真っ白い煌びやかなスーツのジャケットを、両手で広げて見せた。


「………」


 きっといろいろあったのだろうと想像しただけで、胸が苦しくなる。

 言葉に詰まりながらも……私は聞いた。


「……ママは?」


 私がその言葉を発した途端、柊の眉毛が、一瞬ピクリと動いた。部屋の空気が急に冷たくなったように感じる。


「あの時は……ごめんな」


 柊が言う“あの時”が何なのか、私にはすぐに分かった。


『私はあんたのママじゃない』

『もう二度と、私の前に現れないで』


 大好きだったママに冷めた目で言い放たれた、あの日の朝のこと。


「いいよ、そんなの。全然気にしてない」


 私は柊に伝わるように、力強くそう言った。


「俺さ……あん時の亜妃の顔がどーしても忘れらんなくて……。何もフォローしてあげらんなくて……ごめん」

「なんでよ……謝らないで?仕方ないよ。ママの気持ち考えたら誰だってあぁなるよ」


 柊は黙ったまま、何かを考えていた。


「今ママは……どうしてるの?」


 柊は………ママが自殺未遂をして、7年前から植物状態であると教えてくれた。


「……柊……」


 その話を聞いて、私はすべてを察した。


 あの柊が…このような夜の仕事をしている理由も。

 これまで一人きりでどれだけ苦しい日々を過ごしてきたのかも。


 息が苦しくなるくらい胸が締め付けられて、言葉がやっぱり何も出てこなかった。


「お母さんから……連絡とかあったりした?」


 柊がまた口火を切る。

 私は首を大きく横に振った。



「……いいの、もう。お母さんのことは。恨んでも……辛くなるだけだから」


 この10年でやっと整理がついた気持ちを、初めて口にする。


「今はもう、柊のパパとどこかで幸せに生きていてくれたら……それで良い」


 柊を見ると……今にも消えてしまいそうな儚い表情をしていたので、ハッとした。


「って、ごめん……。柊はそんな風にはとても思えないよね……」


 慌てて言葉を付け足す。


 柊は静かに首を横に振り……ふっとまた、寂しそうに笑った──



「やっぱすげーな……亜妃って」


 柊はソファーにもたれて、天井を見つめながら、続ける。


「辛かったろ?お前だって。お母さんとすげー仲良かったしさ。母親がいなくなるって……相当メンタル堪えただろうし」


「お父さんもほとんど家にいない人だったしさ、ずっと一人で寂しかったろ?」


「それなのにさ、グレたり病んだりもしてねーし。ちゃんと夢まで叶えてて。見た目もさ?良い意味でなんも変わってなくて……」


「変わらないでいられるって……すげーことだと思うから」


「で、結局そうやってお母さんと親父の幸せ、本気で願ってるって顔してんだもんな……」


「やっぱ亜妃って……かっけーな」


 柊は天井をぼんやりと眺め続けていた。


 “かっこよくなんかないよ”

 “柊に比べたらきっと私なんて大した苦労してない”


 そう、喉元まで出掛かったとき……



「──俺はさ、もう変わっちゃったから」


 沈黙を破るように、立ち上がる柊。


「あの頃の俺は……もうどこにもいないから。何もかも変わったの。今の俺はお前とは住む世界が違う。だから……もう二度とここへは来んな」



 柊が部屋を出ようと歩き出したとき──ふわっと懐かしい香りが漂った。


「……香水……まだ付けてくれてたの……?」


 柊は私の方を振り向き、儚げにふっと微笑むと……


「幸せに……なってな」


 そう言い残し、VIPルームから出て行った。



「変わってないよ……、柊だって……なんにも…っ…変わってないよ…っ……」


 煌びやかなVIPルームにポツンと座り、ポロポロとこぼれる涙を拭く気力もなく。


 私は泣きながら、静かに呟いていた──

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