3-7.踏み出した一歩


 天王寺くんは、切なそうな顔をして続ける。


「でも……今の話聞いて分かった。成瀬さんが平岡くんを忘れられる日なんて、たぶん一生来ないんだなって。笑」


「だから……平岡くんのことは忘れなくて良い」


 天王寺くんは覚悟を決めた瞳で、私を見つめた。




「成瀬さんのことが好きです。これからは彼氏として、そばにいさせてくれませんか?」


 天王寺くんのその覚悟は、並々ならぬものだと分かった。


 私と柊の過去を受け止め、これから先もきっと柊を忘れられないであろう私を、すべて引っくるめて愛するという道を選ぼうとしてくれていた。



 今の私があるのは、間違いなく天王寺くんのおかげ。


 優しくて、爽やかで、素直で、スマートでかっこよくて……いつも私を笑わせてくれる。大切にしてくれる。こんなに素敵な人はそういないと、一緒に過ごす中で私はいつも感じていた。



 好きなのかと聞かれたら、正直なところ……分からなかった。


 もちろん人としてはとても好きだけれど、恋愛感情かどうかと聞かれたら、それには答えられない自分がいた。


 でも今、目の前の天王寺くんは、そんな私の胸の内なんてすべて分かっている。………そんな気がした。


 だからそういうことを深く考えてはいけないと思った。



 あれからもう6年も経つ。

 いい加減、前に進まなきゃ。


 そうしなければ一生私は柊を想い続けて、誰とも結ばれることなく人生を終えることになる。


 私は、ゆっくりと口を開いた。



「……こんな私で……ほんとに良いの……?」


 天王寺くんは、やさしく微笑んで頷いてくれる。


「少しずつ俺のこと好きになってくれれば良いから」


 天王寺くんは正面から手を伸ばして、私の手をそっと包む。


「俺の彼女に……なって……?」


 

──私は、コクリと頷いた。



「……天王寺くん……ありがとう」


 自然と感謝の言葉が溢れた。


 天王寺くんは嬉しそうに笑って、そっと手を離し………お冷に口を付ける。



「じゃあ、その“天王寺くん”て呼び方は今日でおしまいね!」

「………え?」

「下の名前で呼んで?」


 爽やかな笑顔で、彼はそう言った。


「……わかった。……勇人……くん?」


 気恥ずかしくて小さな声で呼んでみる。


「ははっ、やばい。めっちゃ嬉しい。笑」


 照れたように天井を仰いで、ふぅーっと息を吐く天王寺くん。



 正面に向き直ると、目尻を下げて私を見た。


「改めて、これからよろしくね。亜妃ちゃん」



 少しずつで良いから前に進もう。


 すぐには無理でも……少しずつ。


 こうして私は、勇人くんとの交際をスタートさせたのだった──




──勇人くんと付き合い始めて2ヶ月が経った頃。


「勇人くんはさ、私のどこを好きになってくれたの……?」


 前から気になってたことを思い切って聞いてみた。


「んー、そうだなぁ……」


 彼は少し考えた後、


「そもそも俺、亜妃ちゃんに一目惚れだからね?笑」


 まさか忘れてないよねー?って茶化すように笑いながら、話を続ける。


「だから……まずは見た目が好き。これはもう言うまでもなく、めっちゃタイプ!笑」


 本当に勇人くんは……素直な人だ。


「でももちろん見た目だけじゃなくて……何だろうな〜。言葉にするって難しいけどさ」


「優しいし穏やかだし、ピュアだし……芯があってブレなくて一生懸命だし?あとは、一緒にいるとなんか……心が洗われる感じがするんだよね。癒される!」


 勇人くんの言葉を聞きながら、私はまた……柊のことを思い出していた。同じようなことを、柊も言ってくれてたなぁ。



 柊がこれまで何度も伝えてくれた嬉しい言葉の数々。


 ストレートな愛情表現に胸がいっぱいになって自然と涙が出たり、むず痒くなって顔が赤くなったりもした。


 柊の言葉は毎回私の心と身体を熱く震わせていた。


 けれども今、勇人くんも柊と同じような嬉しい言葉を伝えてくれているのに……勇人くんの言葉に私の心が強く反応することはなかった。


 そんな自分に気付き、こんなに想ってくれている勇人くんに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。




──それからまたしばらく経った頃。


 その日は初めて私の家で勇人くんに手料理を振る舞った。


「うまっ!亜妃ちゃんって料理も上手いんだなー!?感動だわ〜!」

「ふふっ、よかった。笑」


 食後はお酒を飲みながらお互いの仕事の話をした。


 二人とも酔いが回り気分が良くなってきたので、ソファーに隣同士で座って映画を観ることにした。


 映画が中盤に差し掛かった頃……勇人くんがそっと私の手を握ってきた。


 隣に視線を送ると、重なる視線。



「亜妃ちゃん……?」

「ん……?」


 お酒のせいなのか、いつもより甘い声の勇人くん。


「……キス……いやかな…?」


 そう、遠慮がちに私を気遣いながら聞いてくれた。


「……ううん。……いやじゃないよ?」


 私が言うと、勇人くんは優しく微笑んで、ゆっくりと顔を近づけてきた。


 そっと目を閉じると……ちゅっと唇に触れたのを感じた。


 6年以上ぶりのキスは……再び私に………柊との思い出を蘇らせた。



 告白してくれた日の初めてのキス。

 技術室でこっそりしてくれたキス。

 行為中の優しく蕩けるようなキス。


 その度に私は、ドキドキしたりゾクゾクしたり……心と身体が強く反応していた。


 でも、勇人くんとキスをした今の私は……心も身体も寂しいほどに何ともならなかった。


 それでも勇人くんの優しさや愛を感じて、嬉しくはなった。嫌だとか不快だとかいうことは全くなかった。


 こうやって一歩ずつ進んでいこう。柊と比べるのは失礼だ。勇人くんとの関係を大切に積み重ねていこう。そう……自分に言い聞かせていた。


 ただ……私の柊への気持ちが薄れることは、少しもなかった。


 あれからどれだけ時が経っても、柊が夢に出てきては泣きながら起きることが未だに何度もあった。


 それでも勇人くんのことは心から大切に想っていたし、深いことは考えないように努力して……彼の愛に大人しく甘えさせてもらっていた──

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