3-2.あの朝~柊side~
──忘れもしない……あの日の朝。
「もう二度と、私の前に現れないで!!!」
亜妃を怒鳴りつけて家の外に押し出した自分の母親を見て、殺意にも似た感情を覚えた。
その直後……
「名古屋に帰るから今すぐ荷物まとめて」
ママは高圧的な態度で言い放った。
「は?!ちょっと待てよ、何があった?!何で亜妃にあんな…っ…」
「うあぁぁぁぁぁっ………」
俺の言葉を遮って、ママは泣き叫ぶ。
そんな狂った母親の姿を見て……俺は親父が消えたことを、静かに悟った。
元々ママは少しヒステリックな部分があった。
これまでにも親父と喧嘩をして怒鳴り声をあげたり泣き喚いたりするママに親父が辟易してる姿を、何度か見たことがあった。
それが今回の件で爆発し……ママは完全におかしくなってしまっていた。
俺が亜妃に連絡を取ろうと手に取ったスマホを奪い取り、思いっきり床に投げつけ……泣きじゃくりながら何度も強く踏みつけるママ。
「あぁぁぁ……っ、」
「ママ、分かったからもう…落ち着けって……、」
制止する俺を睨み付けてくる。
するとママは口元に不敵な笑みを浮かべて、急に俺に問いかけてきた。
「………バレてないとでも思ってた?」
「……え…?」
「あんた達の関係なんて……とっくに気付いてたに決まってる……」
狂気じみた母親の表情から、視線を逸らせない。
「柊、あの子とは別れなさい」
「嫌だ……、それだけは絶対い……っ」
突然、頬に鋭い痛みが走る。
ママに平手打ちを食らわされていた。
「もう二度とあの子に会わないで」
「なんでだよ……俺達は関係な……」
「うるさーーーーい!!!!!」
怒鳴り、泣き叫ぶママ。
光のない暗い目が……俺を捕らえる。
「もし、関係を続けるのなら……」
「あの子も殺す」
……俺は怖くなった。
自分の母親が、怪物に見えた。
それほどまでに、愛する人を奪われた精神的ダメージが大きかったのは、よく分かる。
でも……
“あの子 も 殺す”
その発言が何を意味しているのか……。
ゾクゾクと寒気がしてきて、なにも言葉を返すことができない。
もう無理だと思った。狂った母親を前にして、その言葉を本気で実行してしまうのではないかという恐怖を感じていた。
亜妃と関係を続けることはできない。
別れるしかない。
俺が亜妃を守る方法は……それしかない。
……俺は大人しく荷物をまとめることに決めた。
部屋に戻り、服を適当にカバンに詰め込む。
机の引き出しを開けると、亜妃とのツーショット写真と香水のボトルが目に入った。
俺はママに絶対に気付かれぬよう、その写真を近くにあった文庫本に挟み込み、香水のボトルと一緒にカバンに突っ込んだ。
そして……ママに言われるがまま家中の雨戸を閉め、東京駅へと向かった──
──新幹線の車内でも人目も憚らず泣き続けるママ。
ひとしきり泣いて少し落ち着くと、聞いたこともないような低い声で、唸るように話し始めた。
「最初から……嫌な予感がしてたのよ」
「……最初って?」
「私たちがあの住宅街に引っ越してすぐ。パパとあの家に挨拶に行った日」
ママは止まったはずの涙をまた目にいっぱい溜めて……続ける。
「あの女の目……パパを初めて見た時のあの目……、今でもはっきり覚えてる……っ…」
ママは再び泣き始めた。
「はじめは……あの女がパパに……一目惚れでもしたのかと……思ってたのよ…っ。でも……違ったの。パパも……っ、パパも……おな…じ……っ、あぁぁぁ…っ…」
俺は周りの痛い視線を浴びながら、必死でママをなだめていた。
……今思い返すと、合点がいくことは多々あった。
ママは親父がゴミ出しに行こうとするのを断固として許さなかったし、地域の集まりにも絶対に親父を参加させなかった。
入学式や運動会などの学校行事の時は、息子の俺が恥ずかしくなるくらい親父にベッタリくっついていて。
亜妃の両親が近くに現れるとさりげなく避けている節があった。
亜妃のそばに行きたかった俺は、毎回一人で亜妃に話しかけに行っていた。
そんな状況だったから、俺は単純に、ママと亜妃のお母さんはあまり相性が良くないんだろうと、子供心に考えていたけど……。
そういえば、親父とママの喧嘩で『引っ越し』という言葉が出てきていたのを何度か聞いたことがある。
近所との関係も別に悪くないはずだし、何不自由ない暮らしが出来ているのに……なぜだろうかと不思議に思っていた。
ママはもうずっと前から、あの家から離れたかったのかもしれない。
「……あの子のことだって…っ」
泣きながらまた話し始めたママ。
亜妃の話だと分かった瞬間、今朝見た亜妃の絶望的な表情を思い出し……俺はグッとこぶしを握る。
「柊が仲良くしてるからと思って……可愛がってきたけど……っ、最初から……柊とも関わらせなければ良かったっ…」
──…後悔してるかのような口ぶりのママの横で、俺は思い出していた……
『ママね、柊には悪いけど、本当は女の子が欲しかったの。だから亜妃ちゃんが本当の娘みたいに可愛いんだ〜』
昔から何度もそう話していたママの姿を…──
実際ママは、亜妃のことは本心で可愛がっているように俺には見えた。
キョロキョロ新幹線の車内を見渡す。亜妃に会いたい……。
もちろんこんな所にいるはずなんてなくて、言いようのない虚無感に襲われた。
何とかして亜妃に現状を知らせなくちゃいけない。
でもそれは同時に……俺たちの関係が終わることを意味する。
あまりにも突然の環境の変化に、気持ちの整理なんて到底つかなかったけど。
もしも亜妃が俺を探して会いに来たりしたら……。
そう思うと、一刻も早く別れを告げなければいけないと思った。
俺は名古屋に到着すると、泣き過ぎて放心しているママをベンチで待たせ、コンビニでレターセットと切手を買い、おじいちゃんの家へと向かった──
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