2-10.忘れられない朝


───二人を目撃した日から2週間後……


 その日は私と柊の1年記念日だった。

 朝、目が覚めると……なんとなく胸がザワついた。

 階段を降り、キッチンへ行く。


……あれ……?


 いつもなら朝ご飯の支度をしてくれているお母さんの姿がない。


「……お母さん?」


 ザワつく胸を無視してリビングへと足を進める。



「……え、お父さん?」


 普段はもう出社していていないはずの父が、ソファーの上で一点を見つめ、ぼーっと座っていた。


「……どうしたの?お母さんは?」


 私が声を掛けると、お父さんはハッと顔を上げる。


「亜妃……父さんのせいだ。すまない」


 震える声でそう言い、私に2枚の紙切れを見せた。


 1枚は、離婚届。

 もう1枚は、お母さんの置き手紙だった。




 私の母と柊のパパは……この朝、二人で姿を消したのだった。


 手紙を一気に読むと、私は玄関を飛び出した。

 髪も服も整えず寝起きのそのままで、向かいの柊の家のインターフォンを夢中で押した。


 ガチャッと鍵を開ける音がして、扉が開く。

 そこにはママが立っていた。



「ママ………」


 私がいつもの呼び名を放った……次の瞬間──




「私はあんたのママじゃない」


 ママは汚らわしいものを見るかのような冷え切った目を私に向け……そう言った。


 私が呆然としていると、階段を降りてきた柊の姿が後ろに見えた。


 まだ起きたばかりで、状況が理解できていないようだった。



「もう二度と、私の前に現れないで!!!」


 ママは大声で言い放つと、私を強い力で玄関の外へ押し出し、家の鍵を閉めた。


「亜妃!!!」


 家の中から私を呼ぶ柊の声が虚しく響いている。


 最愛の夫を私の母に奪われたママは、娘の私に対して、憎悪の感情を剥き出しにした。


 これまでの大好きだったママは……もうどこにも居なかった。




──その日、私はお父さんに言われていつも通り学校へ行った。


 お父さんは何かを覚悟してたかのように冷静で、これから仕事に行くが今日は早く帰る、と言っていた。


 柊は登校してこなかった。


 自宅に帰ると、柊の家はすべて雨戸が閉められていて、どこかへ行ってしまったんだと分かった。


 朝から何度も送っているメッセージには、一つも既読が付かなかった。電話も電源が切られているようで、何度かけても繋がらなかった。


 その日は……大好きだったお母さんにもう会えない喪失感と、優しかった柊のママが変わってしまった虚しさと……柊と連絡が取れないことへの不安が、頭の中でグチャグチャだった。


 訳が分からず、涙も出ず、もはや何の感情も沸かなかった。


 ただ、私がこれからは母の代わりに家事をしなくてはならないことは分かっていた。


 早く帰ると言うお父さんのために、ボーッとした頭のままスーパーへ買い物に行き、食事の支度をしてお風呂を沸かし、ボーッと独りで帰りを待った。



 帰宅したお父さんは「亜妃……すまない」と、何度も私に謝った。


 仕事にかまけて母さんを思いやってやれなかった自分のせいだと、お父さんはひたすら自分を責めていた。


 けれども、私はそうは思わなかった。

 父は父なりに母への愛情を示していたことを、私はちゃんと知っていたし、母も父を家族として大切に思ってたことを知っていた。


 ただ……ホテル街で見かけたあの……柊のパパを見つめるお母さんの愛おしそうな眼差しを思い出すと……。


 私は、誰も責める気にはなれなかった。


 そんなことよりも何よりも、私はもう柊に二度と会えないんじゃないかと……なんとなくそんな気がしていた。


 その現実を受け入れたくなくて、無言で頷きながら父の謝罪の言葉を聞いていた。


 お父さんは「母さんが決めたことだから」と、その日のうちに離婚届にサインをした。捜索願などはもちろん出さなかった。


 それから2日経っても3日経っても、柊へ送ったメッセージが既読になることはなかった──

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